2017-08

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私の大好きな記事(1)

[かおるんの独り言]
ワタシの大好きな記事です。かっこいいわぁ♪


2006年12月04日

モノローグ

そう、ずっと昔のこと、まだ幼稚園の頃だったと思うけれど、そうなのだ、僕はいつか死ぬんだ、今すぐにではないかもしれないけれど、必ず僕は死ぬ運命にあって、その時は、この世界もすっかり消えてしまうんだ、だって、この世界は僕だけの世界で、他の人には、世界は全然違った形で見えているはずで、僕が死んだ瞬間に、この僕だけの世界はすべて消えてしまうのだ、ということが、突然、リアルに、あまりにもリアルに分かってしまった瞬間があった。それからは時間が経つことがとても怖くなった。時間が経つにつれて少しずつ死に近づいているのだと感じることがとてつもなく恐怖だった。

成長し歳をとるにつれて、そんなことは少しずつ忘れていって、徐々に現実と折り合いをつけるようになって、「人生が有限であること」への恐怖はだんだんと消えていったのだが、それでも、幼いとき感じた、僕はいつか死ぬのだ、そしてその時この「僕の世界」は跡形もなく消え去るのだというあの恐怖心は、どこか身体の感覚として残っている。

今さら一念発起して、プロ野球選手になりたいとか、ミュージシャンになりたいとか頑張っても、もうどうにもならないわけで、恐らく、あと数十年の人生は、今の仕事を続けつつ、数千冊の本を読み、数千枚の原稿やレポートを書き、ブログを書き、数千本の映画を見て、数百本のワインと数百本の焼酎を飲み、そして、ちんちんが勃起する限りはセックスをする。そして、株価ボードの点滅を眺めつつ、トレーダー達の心理の逆を読み、恐怖の中で買い、熱狂の中で売り、ココロを殺して損切りを決行し、パーティー会場の宴からは、一人背を向ける勇気を持ち続ける。そうやって、一日一日と時が経過していき、やがて突然に終わるんだろうな。別に恐怖でもないが。

リチャード・ヘルっていう作家がいる。いや、「ブランク・ジェネレーション」という知る人ぞ知るの名曲を持つミュージシャンとしての方が通りが良さそうだけど、彼がインタビューの中で、「若い頃と違うのは、今はほんの些細なことにも心が震えるようになったことだな。たとえばガールフレンドとドライブするだけで、気持ちが動くんだよ」って語っているのを読んだことがあるけど、まったく心から同感してしまうな。

セックスそのものよりも、待ち合わせの時間のときめきの方が、ずっと心が動くのを感じるしさ。妙な話だけど、男の大学生と話してたって楽しいんだよな。別にホモじゃないけどさ。未来のある世代の人たちと一緒にいるということだけで、刺激を感じたりするんだよ。

トレードは基本的には、今後はあまりポジションを大きくすることはないだろう。2,000万から4,000万円という資金規模が兼業トレーダーとして一番冷静に動かせる金額のようだ。さらに大きく儲けてやろうとはあんまり思ってない。speculate という単語は、「投機をする」という意味と「(未来のことなどを)あれこれ思索する」という意味があるけど、一生、このままspeculationを続けたいと思ってるよ。

さあ、明日からまたマーケットとの対話が始まる。わずかな風向きの変化や、微妙な波の動きを見過ごさないように、そして自分の心の中にある弱い部分をリアルに見つめつつ、少しずつポジションを動かしていこう。ざわめき、歓声、絶望の悲鳴、ぬか喜び...。複数の人たちの、幾層にも織りなされた感情が奏でる複雑な不協和音の中から、しっかりと一つのメロディーを聞き分けること。That's all.

at 00:58
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私の大好きな記事(2)

[かおるんの独り言]
シモネタ、多かったですね~。でも、意外に女性ファンの反感を買っていなかったんですよね。カリカリしているのは男性の荒らしの人たちで、女性の読者の方は結構面白がって読んでいたのでは。男の子のこういう子供じみた自慢話には女の子って寛容なんですよ。
私のツボに嵌ったのは、『サブロー君!』という記事。もう何度読んでも笑ってしまいます。



2005年02月24日

サブロー君!

昨日の高知行きの飛行機に乗った時の話だよ。

高知へ行く飛行機は小さなプロペラ機で、ターミナルからは、そのまま飛行機に乗り込むのではなく、移動バスでタラップまで移動する。

俺様が、移動バスに乗って、しばらくすると、前の席にどこかで見たことがある顔が座った。あれっ、知り合いだったっけ、挨拶しないといけないかな~と、思って立ち上がりかけたところで、もう一人乗ってきて、前の席の男の隣にどすんと座る。そこではじめてどこの誰だか気がついたよ。桂きん枝と太平サブローじゃん。

それからさ、バスが動き出し飛行機まで連れて行ってくれる10分ほどの間、きん枝よ、お前喋りっぱなしだったな。お前の口はふさがる瞬間はないのか。それから、お前ら、話が面白すぎ。雑談がすでに漫才になってるじゃん。ってか、テレビで見てるよりよっぽど面白かったぞ。もしかしたら、空港内移動バス寄席で、ライブチャージ払わなきゃいけないのかと思ったよ。


さてさて、プロペラ機はぶるんぶるん揺れてさ。結構恐かったよ。巨乳がぶるんぶるん揺れるんだったら、喜ばしいんだけどさ。


ようやく高知龍馬空港へ着いて、トイレに入ったらさ。俺様の直後にサブロー君が入ってきたわけよ。そして、俺様の隣でションベン始めたわけ。つまり、俺様とサブロー君は連れション仲間なんだよ。

まあ、無言のまま、連れションしてたんだけどさ。ふと、サブロー君の視線が、俺様のちんちんへ、俺様の視線が、サブロー君のちんちんへという、視線クロス状態になったんだよ。

その時、サブロー君の眼差しの片隅に、かすかに浮かぶ悲しみの気配を、俺様は見逃さなかったぞ。

サブロー君、私は無骨な真面目一筋の男だ。
冗談を言うことも出来ない、ただ真実を語ることしかできない男だ。
君には人を笑わせるという素晴らしい才能がある。
人間の価値というものは、ちんちんの大きさだけで測ることなど出来ないと思う。

「ぽんぽこさんの、おっきいから、好きなの。生きがいなの」と甘い声で語る若い婦女子がいるように、「サブローさんのおちんちん可愛いから好き!(^з^)-☆Chu!!」と言ってくれる婦女子もいるかもしれないぞ。

サブロー君、この悔しさをバネにして、立派なお笑い芸人になってくれ!

at 23:54

ライブドア事件の一週間

[かおるんの独り言]
ライブドア社家宅捜査に始まる2006年1月のライブドアショックの1週間のぽんぽこさんの記事をそのまま載せてみます。

ぽんぽこさんはライブドア事件の直前に、マーケットの暴落を予告し、大規模にポジションを縮小していく過程を、リアルにネットに書き込んでいたのでした。そして、実際にライブドア事件が起き、株が暴落した後も、動揺することなく、クールなトレードとクールな書き込みを続けていたのでした。

まだトレードを始めたばかりのひよこだった私には本当に刺激的な書き込みの数々でした。驚きでした。感動でした。BNFさんやマーケットの奇術師さんといった天才トレーダーの手法を分析しながら、自分の進むべき道を探っていく。凄いです。今読み返してみても、あのときの気持ちが蘇ってきて、なんだか切なくなります。

そして、ライブドア事件後の株価暴落についてのぽんぽこさんのあまりにクールで挑発的な発言は一部の投資家の反感を買ったようでした。よく読めば、毒舌の背後に投資家への警告の言葉が一杯こめられているのに、そのことに気がつかない人たちも多いようでした。
逆恨みのような感情がぽんぽこさんに向けられていき、コメント欄には攻撃的なコメントが増えていきました。
暴落はマネックス証券がライブドア株の担保価値をゼロにしたことが原因だというネットの個人投資家の間で広まっていた説へのぽんぽこさんの反論の記事はあまりにクールです。
クールすぎるくらいにクールです。
この後、ぽんぽこさんのブログのコメント欄は徐々に荒らしが増えていきます。そして、コメント欄を閉鎖しなければならなくなります。やがて、ブログそのものも突然に閉じてしまうことになります。

最後に蛇足だけど...(←ぽんぽこさんの真似です)

ぽんぽこさんが総資産を書かなくなったのは、ライブドア事件後に大損したからだという誹謗を2ちゃんねるで読んだことがあります。
でも、ライブドア事件の直前の記事に「総資産を晒すのは今回で終わりにしたい」と書いてあります。実際は、もうしばらく後まで、総資産の報告はとぎれとぎれに続くのですが、ぽんぽこさんとしては、ライブドア事件の前に、資産の書き込み中止は決めていたようです。




2006年01月14日

1月第2週の資産計算

総資産   209,894千円
今週の損益 △6,424千円
今年のトータル損益 △17,123千円

順調に資産は増えたが、ポートフォリオはやや傷みつつある。含み損の銘柄もぼちぼち出てきたし、当初決めたロスカットラインに達してしまった銘柄も2つほど。来週初めは大胆に損切りを行い、ポートフォリオは思いっきりスリムにしようと思っている。2年3年と長期で持ってきた銘柄も、そろそろどかっと利食いの予定。

さて、週末の資産計算だが、総資産を晒すのは今回で終わりにしたい。来週からは先週との増減、今年のトータル損益のみを書くことにする。去年までのことはすべて忘れるつもり。

at 11:12



2006年01月15日

手法を盗む

ここ1週間ほど、ずっとBNF氏の手法について考えている。ネットの投稿者の発言について、これだけ集中して考えるのは、マーケットの奇術師さん以来だからほとんど5年ぶりくらいなんだけど、結局、僕の最大の関心を1行でまとめてしまうと次のようになる。

来るべき下落相場に対処する上で、BNF氏の手法をどのように取りいれるか。

これだけだね。上手なトレーダーのテクニックを盗むというのは一番有効なトレード上達法だと思うよ。



さて、もうすぐ暴落が来ます。

明日からかもしれないし、3週間後かもしれないし、3ヶ月後かもしれない。しかし1年後ってことはないだろう。右肩上がりのトレンドがあと1年続くなんて考えられない。

暴落は、ちょっと大きめの調整でその後株式市場はまた立ち直るのかもしれないし、2000年以降のようにだらだらした下げが数年続くのかもしれない。これもまだわからない。

しかし、ほとんどの未熟な投資家たちが、血を流して退場を迫られる大きな下落があるだろうことは、別に予言者じゃなくったってわかることだ。大坂の米の先物相場の時代から、マーケットはその妖しい魅力で人々を引きつけ、金を吸い取って身ぐるみ剥がしたあげく、蹴り出してきたんだからね。今回だけが特別だということはあり得ない。永遠に続く上昇トレンドなんてありえない。

そのときにどう対応するのか。

BNF氏の手法を上っ面だけ理解して、「そうか、下降トレンドの相場では、逆張りスウィングが儲かるのか」なんて考えている人は甘すぎる。下降トレンドで逆張りで買うというのは、落ちてくるナイフを素手で掴もうとするようなもので、一番リスキーなトレーディングだ。損切りする勇気のない初心者がそんな手法で挑んだら、間違いなくたちまち火だるまになるだろう。よい子の皆さんは絶対にまねをしてはいけないトレード法だと思う。

もっとも、一番リスキーなトレード法と、一番儲かるトレード法は、とても近くにあるんだけどね。

さて、2000年以降の下げ相場において、僕は「トレンドフォローの空売り」と「短期的な逆張りの買い」の2本立てで泳いだ。監視する銘柄はかなり絞り込んでいた。

兼業トレーダーだというハンディキャップもあるけれど、だいたい監視できるのはマーケットスピード2ページ分、60銘柄ぐらいが限界だったと思う。それも60銘柄きっちりはフォローできてなくて、実際アクティブにトレードできるのは、その60銘柄のうち10銘柄程度にすぎなかった。

BNF氏の手法がどのようなものか、謎の部分も多いのだが、エクセルなどのツールを巧みに操った数理的な天才という印象は僕は受けない。どっちかというと、どこのゲームセンターにも一人二人はいるゲームがやたらうまいガキンチョって感じかなと思う。

トレーディングもおそらくは非常に感覚的で、たとえば、1台のモニターでは、日経平均と先物の動きを見て、もう1台のモニターでは、マーケットスピードなどのツールを使ってセクター別の動きを眺めて、日経平均と先物との動き方の癖、セクターごとの動き方の癖を見ながら、「あっ、これはいつかのあのパターンだ」とひらめいて、速攻で売買の決断ができるという感じなんじゃあないかな。まあ、勝手に推測しているだけだけどね。

前の書き込みで、BNF氏は記憶力がいいんじゃないかって書いたけど、それは「さて、クイズです。×月×日の××という銘柄の株価はいくらだったでしょう」というクイズに即答できるような記憶力ではなくて、株価の動きのパターンがメロディーラインや囲碁の手筋のように感覚的に頭に入っているのではないかと思えるのです。

(まあ、このあたりは、BNF氏に託しつつ、僕自身にとっての「理想のトレーディング」をイメージ化しているだけではないのかという気も若干しないでもない。(^_^;)

僕は、空売りと買いと両方試みていたので、監視できる銘柄数が限られていたが、逆張りスウィングの買いだけに限定すれば、チェックのポイントはもっと単純化できるはずで、となると、200~300位の銘柄のウォッチは十分可能なんじゃあないか。300銘柄って、マーケットスピード10ページ分でしょ。ざっざっざっと眺めて、今日動いているセクターはこのあたりだなというおおざっぱな判断をして、先物の動きをヒントに買いのタイミングだけを探ればいいわけだからね。200銘柄監視してますという彼の書き込みに嘘はないと思う。

結局、ラーメンも出します、お寿司も扱ってます、食後にはコーヒーもつけますっていうレストランよりも、牛丼一筋とかカレー専門店の方が、効率的だし利幅が大きいし経営戦略も立てやすいんじゃあないかな。

もっともメニュー限定の専門店には、別のリスクもある。環境が変わった時に、突然ついて行けなくなることも考えられる。

しかし、そうした環境の変化に対して、BNF氏は非常に柔軟に対応できるのだと思う。

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01年だけ見ても地合のいい時もあったので素直に順張りもしましたし
乖離を甘めに判断して買うべき地合もありました。乖離率の判断は常に
流動的でした。
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「乖離率の判断は常に流動的でした」っていう一節が非常に重要なことを語っていると思うよ。


最後に蛇足だけど...

BNF氏の文章が「論理的ではない」とか「文章が下手」とかいう批判も2ちゃんねるの過去ログの中にあったけど、まあ、確かにいわゆる名文家ではないけれども、彼の書き込みに彼独特の「固有の論理性」があるのは明らかだと思うけどね。そうしたものが読み取れない人って、馬鹿じゃないのか。日教組のうすら馬鹿教師に、ひからびた食パンみたいな味も素っ気もない、もう絶望的につまんない文章ばっか読まされて、脳みそがいつのまにか糠味噌になってしまったんじゃあないかね。

日本語の持つ怪物的な芳醇さに一度打ちのめされてみたらどうだ。吉田健一『金沢』、蓮実重彦『表層批評宣言』、山東京伝『桜姫全伝曙草紙』なんて本を一度読んでみるといいよ。

at 02:33



2006年01月16日

1月16日前場のトレード

今日は大幅にポジション縮小である。さあ、暴落だと決めてかかっているわけではないが、長期保有の銘柄は十分利益を得ているので、そろそろ利益確定してよいタイミングだと思うし、短期で動かしている銘柄は、これからは損切りのラインをやや厳しめにしていこうと思っている。とりあえず、今週はポジションは大幅に縮小する。その後のことは今週の相場を睨みつつ判断する。

まず、半年近く追い続けてきた主力3銘柄を切る。

8411みずほ、損切り、ポジションゼロへ。
9984ソフトバンク、ポジション縮小。5枚のみ現引。
5405住友金属、損切り。5枚のみ現引。

そして、久しぶりの空売り。

8411みずほ、新規空売り。
9104商船三井、新規空売り。

日興コーディアルや野村證券に置いている長期保有の銘柄をどんどん利益確定。

2593伊藤園、利食い。
6361荏原製作所、利食い。
6594日本電産、利食い。
6758ソニー、利食い。
7282豊田合成、利食い。
2766日本風力開発、利食い。
6965浜松ホトニクス、利食い。

大きく含み益をふくらませている銘柄は指し値で慎重に利益確定。

5390宇部マテリアルズ、利食い売り。ポジションゼロへ
9103商船三井、とんとん。ポジションゼロへ。
5713住友鉱山、利食い売り、ポジションゼロへ。
9888UEX、利食い売り。ポジションゼロへ。
3111オーミケンシ、利食い売り。ポジションゼロへ。
3350ダイキサウンド、利食い売り。ポジションゼロへ。
1893五洋建設、利食い売り。ポジションゼロへ。
5262日本ヒューム、利食い売り。ポジションゼロへ。
4751サイバーエージェント、利食い売り。残り10枚。
5903シンポ、一部利食い売り。

2665ネクストC、新規買い。
9302三井倉庫、ポジション縮小、損切り。

at 11:00



幻のSQ、そして、ライブドア家宅捜査

昼過ぎに野村證券と日興コーディアル証券の支店に電話をしたんだけれど、何度電話しても繋がらないので呆れかえってしまった。僕はネット証券の安定性なんて、はなっから信用していないので、パニック的な下落などで、サーバーの処理能力以上の大商いになった時は、いくつもネット証券の口座を開いていても、どれもこれも使えなくなるんじゃないのかという覚悟はしている。だから、そんなときは、証券会社の店頭にどかんと現金を持っていって、買えるだけ買うなんて日がいつか来るのかなあと思っていたのだが、どうもそう甘いもんでもなさそうである。パニック的な売りの日には、対面取引の証券会社の電話は通じないだろうし、窓口へ行っても待たされるだけだろうな。年末に日興証券の支店に行く機会があったけど、30分くらい平気で待たせるもんね。まあ、野村あたりのシステムは、相対的には他のネット証券よりは安定しているのではないかという、あんまり根拠があるわけではないが信頼はしているのだが、やっぱり地場証券あたりに一応は口座を開いておいた方が安全かね。

株式トレードって、意外に脆弱な環境で行われているものだということは忘れてはいけないと思う。だいたい東証のシステム自体があてになんないもんな~。

さて、今日の地合いは一日中あんまりよくなかったんじゃあないだろうか。まあ、後場はデスクワークがあったんで、ザラ場はちらちらとしか見ていなかったので、断定的な言い方はできない。でも、円高でもないのにテクノロジーは重かったし、こうなってくると先週末のいわゆる「幻のSQ値」も意識され始めるだろう。東証の指数的にはしばらくはちょっと重たいんじゃあないかと読んでいる。

新興マーケットは、いよいよ訳が分かんなくなりつつある。「東京地検、ライブドアを家宅捜索」というニュースをマーケットがどのように吸収するつもりなのかよく分からないが、明日は急落の後の突然の急騰といったようなジェットコースターのような見せ物が見られそうである。基本的はギャラリーに徹するつもり。

フジサンケイグループがどういう報道をする気なのか見物だが、あんまり勝ち誇ったような社説は書かないでほしいな産経新聞。

at 23:55



2006年01月17日

ライブドア

基本的に言うと、ライブドアという会社には昔も今も全く関心がないし、ライブドアの株券にも関心はない。株を買おうとはあんまり思わない会社だ。(一回だけ買ったことあったかなあ。)

だいたいライブドアのいったいどこを称してIT企業と呼ぶのか理解できない。『四季報』開いて見てごらん。収益の半分以上はeファイナンス、つまりこの会社、実態はネットを使ったサラ金である。メディアは何故そうした事実をきちんと報道しようとしないのだろう。ちなみに、サラ金やサラ金地獄は放送禁止用語。夜のテレビでサラ金のCMがなんと多いことか。ほんとに吐き気がするよ。

中古車売買だ証券だとどんどん多角化を進めたり、社長がメディアに露出しまくっているのも、「サラ金のライブドア」という企業の実態を隠し、企業イメージをアップして株券を高く売りつけるための手段に他ならないと思うけどね。

もっとも今読まれつつあるようなこうしたライブドア批判が、ライブドアのブログで削除されることなく、晒され続けるのだとしたら、それはそれ、りっぱなことであり、悪質な洗脳メディアである新聞やテレビなどよりは、ライブドアの方が、情報産業としてははるかにまともな企業だと言えるだろう。朝日新聞批判が朝日新聞の読者投稿欄に掲載されるとは考えられないもんな。自らに対する批判を許容するというのが、新聞であれネットであれ、メディアの最低限の倫理だと思う。

話は飛ぶが、最近の風潮であるらしい「会社は株主のもの」という考え方も理解できない。会社は社員のものでしょ。そんなの当たり前じゃん。あるいは社会全体のものという考え方もありだと思うが、「会社は株主のもの」なんて考え方は「会社は社長のもの」というのと同じくらい愚劣だ。

まあ、スタバの株主優待券を使って、俺はこの会社の株主、だからこの会社は俺のもの、ということは店員のあの女も俺のものという妄想に浸りながら飲むコーヒーの味は格別だが、しかし、素面でマジで「会社は株主のもの」と主張する奴がいるのはあきれる。

そもそも、堀江とか村上とか、ああいう気持ち悪い奴らを賛美する連中がいることじたい理解できない。まあ、俺様みたいに株で2億稼いでしまうお金持ちならいざ知らず、勝ち組負け組に分けたらどう見たって負け組だろうと思える頭の悪そうなしょぼい若者が、テレビのインタビューで「村上さんを支持します」なんて言ってるのを聞くと、おまえ気は確かかと言いたい。

だいたい金儲けするというのがそんなに偉いことかね。

at 03:34



1月17日前場の途中

新興マーケットは、もう少しパニック的な売りになるのかなと思っていたんだけどね。まあ、あんまり危なそうなところは狙わずに、ソフトバンクやサイバーエージェントを指し値で狙っていく。もっとも今のところあんまり引っかかって来ていないが。

9663ナガワ、利食い売り、ポジションゼロ。
2768双日、小さく利益確定。ポジションゼロへ。

4751サイバーエージェント、少し買い増し。

昨日に引き続き、長期保有の銘柄は、どんどんカットしていく。

1878大同建託、利食い売り、ポジションゼロへ。
5804三菱電線、利食い売り、ポジションゼロへ。
6479ミネベア、利食い売り、ポジションゼロへ。
6502東芝、利食い売り、ポジションゼロへ。
6954ファナック、利食い売り、ポジションゼロへ。
7203トヨタ自動車、利食い売り、ポジションゼロへ。

at 10:20



1月17日後場の途中

東証マザーズ指数が前日比300を超える下げらしい。凄いね。

4751サイバーエージェント、本日買った分を含めて全部カット。とんとん。
9984ソフトバンク、後場、下げてきたところで買ったが、即、ロスカット。長期分は未だホールド。
8696SBI証券、全部カット。小さく利益。
9888UEX、落ちてきたところを買い。その後さらに下がる。
7013石川島播磨、新規空売り。ややショート気味に。
5405住友金属、新規空売り。ややショート気味に。

逃げ遅れてしまった銘柄もいくつかあるけど、まあ、だいたい順調。俺様はいつだってステイクールだぜっ。

at 15:01



2006年01月18日

ふぐ食ってきたぞ~。

ふぐ食いに行ってたぞ~。旨かったぞ~。酔っぱらってるし、もう寝る。

さて、昨日は大変なアクセス数。ページビューだと1万アクセスを越えてました。たぶんこれまでの最高記録だと思う。

コメントも沢山ありがとさん。

眠いので簡単に書きますけど、まあ、僕はあくまでクールでかっこいいロンリートレーダー。買い煽りも売り煽りもやってない。自分の売買と自分の判断を淡々と書いているだけ。僕のブログを参考にして、売買してうまくいったからと言って、お礼はいらないよ~。

なまむぎさんへ

>>明日、爆騰げしたりして…それもまた一興ですよね。

そうそう、それくらいの余裕を持って付き合うと、トレードってうまくいくもんだよ。

at 00:39



冷静に今のポートフォリオを見つめよう!

今週のここまでのトレードは、ほぼ満点だと自分では思っている。個々の銘柄では被害を受けたものもあるが、こんな急な下げを完全に被害ゼロで乗り切るなんてありえないもんね。まあ、かすり傷みたいなもんである。

先週末からのこのブログを自分で読み返して見たけど、もうほれぼれしてしまうクールでかっこいいね。自分で自分をほめてあげたいくらいだ。「さて、もうすぐ暴落が来ます。」なんて、先週末にきっちり断言した上で、月曜からどんどんポジション縮小に向かってるんだもんな~。俺様って格好良すぎ!

まあ、あんまり浮かれていないで、冷静に今のポートフォリオを見つめよう!

含み損がでかくなってしまったのは、7936アシックス、4062イビデン、9302三井倉庫、5001新日本石油といったところ。イビデンや三井倉庫は利食い売りでポジション縮小後の暴落だったのだが、アシックスは完全に直撃を食らった。

これらの銘柄は、さらに下がるのならば、ポジション縮小とつなぎ売りで対処したいが、ポジションゼロにはしないつもり。暴落が始まった地点での株価水準を記憶しておくためにも、何銘柄かはポートフォリオに残しておいた方が、その後のトレードがうまくいくことが多いような気がするので。

悔しいのは光通信の空売りのオーダー忘れ。月曜日、空売りのオーダーを出したつもりだったのに、あの日は大量のオーダーを出したからね、オーダーが通っていなかったことに気がつかなかった。いつまでたっても約定してこないからおかしいと思ってたんだよ。(^_^;)

さて、今日の前場のトレードである。長期保有の銘柄は、月曜に全体の6割、火曜に3割売ったのだが、本日残りの1割を寄りつきで売り切る。

日清食品、利食い売り。
花王、利食い売り。
ブリヂストン、利食い売り。
京セラ、利食い売り。
任天堂、利食い売り。

これで長期保有の株を置いていた野村と日興の口座は、持ち株ゼロ。すべてキャッシュへ。合計8千万ほどがキャッシュの状態になった。ネット証券の信用買い余力も軽~く1億越えているし、資金は十分。基本的にはウェルカム暴落だね。さらなる下げはチャンスだろう。アグレッシブに攻めてやるさ。

もっとも、新興マーケットのカブを、「昨日は500円だったのに、今日は400円だ。やすい!」とか考えて買うのはやめた方がいいよ。いつも言ってるけど、八百屋で買うカブじゃないんだからさ。「逆張りスウィング」なんてわけわかんないことを言ってる場合じゃない。今回の下げは明らかに殺傷力の高い下げなんだから、キチガイが振り回している刃物の前に出て行くもんじゃあないよ。

リスク管理のできていないトレーダーたちは、これからどんどん追い証がかかって、全財産をむしり取られてマーケットから蹴り出されるだろう。彼らが破滅するまで、この下げは続くだろう。

空売りは、新興マーケット周辺の銘柄を売れば、短期で大きく稼げる可能性もあるが、こうした相場では株価の反騰も急なものになりやすいので、そのときに逃げ遅れる恐れが高い。ここはやや慎重に大型株の空売りで狙っていこうと思う。

ポートフォリオ全体の含み損は絶対に膨らませてはいけない。今後、毎日ポートフォリオの含み損が増えていくとしたら、そのポートフォリオは間違っているのである。ポジション縮小、ロスカットを躊躇ってはいけない。

5405住友金属、空売り、売り増し。
5713住友鉱山、新規空売り。
7013石川島播磨、空売り、売り増し。
8035東京エレクトロン、新規空売り。
9302三井倉庫、新規空売り。ややショートへ。

8138三京化成、利食い売り、ポジションゼロへ。
2665ネクストコム、損切り、ポジションゼロへ。

at 10:53



これはまずいでしょ。

スポーツ新聞の一面トップが「ライブドア、株価暴落ストップ安」だったりする。こんなこと2000年のITバブルだってなかったぞ。光通信の連日のストップ安なんて、株をやってる人以外は、だ~れも知らなかったと思う。

前場でカラ売った5713住友鉱山が、後場には含み益100万円。一方、2枚3枚と売り残してあった銘柄は、どれもこれも含み損がウン十万円で、塵も積もればで全部合わせると計算するのが嫌になるような含み損である。

凄いわ。

後場、一時的に戻りかけたところで、買い銘柄の損切りと、空売りの売り増しをはかる。クールにやろう、あくまでクールに。

5713住友鉱山、空売り売り増し。
7013石川島播磨、空売り売り増し。
9435光通信、新規空売り。
8411みずほ、空売り売り増し。
6702富士通、空売り売り増し。
7936アシックス、空売り売り増し。

3110日東紡績、一部損切り。
4062イビデン、一部損切り。

2時40分頃、マーケットスピードがぴたりと動かなくなった。おいおい、またなんかあったのかと思っているうちに、「東証が午後2時40分以降に全銘柄の売買停止」というニュースがティッカーで流れていく。ん。なんで?

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緊急【東証よりのお知らせ】
東京証券取引所より以下の連絡がありましたのでお知らせいたします。
「本日1/18、東証における注文・約定件数が増加しており、約定件数がシステムの処理可能件数を超える可能性があることから14:40に以下の銘柄について取引を停止いたします。
東証株式全銘柄
東証CB全銘柄
東証交換社債全銘柄
皆様方には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご了解賜りますようお願い申し上げます。
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これはまずいでしょ。追い証かかってる人たちで、大引けで「決断」するつもりだった人たちとか多かったんじゃあないですか。

いよいよ凄いことになるんじゃないだろうか。

at 14:53



思いつくままに...

久しぶりに2ちゃんねるの株式板をざざっと眺めてきた。追証だの樹海だの、たった2日の下げただけだというのに悲痛なタイトルのスレッドがいっぱい立ってるね。

まあ、リスク管理できていないトレーダーは、今回のこの下げで、ほぼ全員が退場することになるんじゃないですか。

ダンナに秘密でへそくりのウン百万を信用で目一杯レバレッジをかけて運用している主婦なんてのは、どんな銘柄を手がけているかなんて全く関係なく、財産全部吹き飛ばしただろうね。銘柄なんて関係ないんだよ。ほんとに。大事なのはリスクの管理と心のコントロール。それだけです。

昨日今日とこのブログのアクセス数もちょっと驚異的な数字なんだけど、追い証の恐怖の中、涙目でこのブログを読んでる人なんてのが、結構いるんだろうな。

そうそう、株式関係の掲示板を見ると、今日の下げのさなかでソフトバンクを買ってる人というのが結構いるんで驚いている。今日、ソフトバンクを買うんですか?何故?


2ちゃんねるでこんな書き込みを見つけた。

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後場の初めにうっときゃあよかった。
前場の動き見て、回復したと思ったのになあ、、、
暴落は初体験だったので、これからの教訓にします。通常の相場なら、
稼ぐ自信はあるので。
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書いてる当人は大まじめなんだろうけど、あんまり馬鹿なんで呆れかえってしまった。というか、だんだん腹が立ってきたよ。

「通常の相場なら、稼ぐ自信はある」だって!

あのなあ、相場というのは、穏やかな凪の時もあれば、パニック的な売り、狂ったような急騰、乱高下、何でもありなんだよ。そうしたものを全部含めて、言ってみれば「通常の相場」でしょ。

20年、30年という長いタームで考えるならば、その間には必ず、大地震、戦争、テロ、北朝鮮から飛んでくるミサイル、中国の軍事的威嚇、原発の大事故など、想定外の事件が起きることは想定できる。そうした緊急時において、約定件数が400万件を超えるとストップしてしまうような脆弱な東証のシステムに、何が起きるのかはだいたい想像ができる。そうしたことまで想定した上で、リスクの管理をやらなきゃいけない。

「東証の全銘柄が明日ストップ安になる」ということはないだろう。しかし、何十年も株式トレードを続けたら、そんな日は必ず来るはずだ。

たとえば、「10年かけて少しずつ資産を増やしたけど、201*年の東シナ海沖での自衛隊と中国海軍との部分的交戦の時のパニック的な暴落で全財産をなくしました」では、話にならないわけでしょ。

通常の時なら稼げるって馬鹿か。


まあ、他人のことはどうでもいい。俺は俺のやり方で俺の財産を守り抜く。

今日の反省だ。ちょっと無防備に空売りのポジションを増やしすぎたと思う。後場調子に乗って売り増していったのは間違い。リスクが高すぎる。急落の後の急騰も十分にあり得るわけで、ちょっと調子に乗りすぎ。

空売りというのは、皆が暴落で茫然自失の時に、ひとり利益をあげるわけで、自尊心を満たしてくれる気分のよいトレードだが、そのわりにはあんまり利益を上げることはできないものだ。特にしばらくは乱高下が予想される相場で、空売りのポジションを増やすことはあまり賢明ではない。それより、余力たっぷりの状態で、もうしばらく相場の流れを眺め続けた方が良さそうだ。空売りの玉は、含み損になった段階で、どんどん手仕舞いすること。

at 18:22



2006年01月19日

エポケー

日経平均のこの程度の下げならば、去年の4月や一昨年の4月にもあったはずだが、個人投資家のセンチメントの悪化は目を覆いたくなるばかりだ。たった2日の下落である。年に1度くらいはあるいつもの下げとは全く性質が違うようだね。

一方、個別銘柄のチャートを見ると、日足が長い下ヒゲをつけた銘柄がごろごろ。あれもこれも買いたくなってくるよ。

さて、「気分」と「チャート」のこのギャップが明日以降の相場にどんなかたちで現れてくるか。

ファンダメンタルズに関係なく売られまくっているので、業績的に買える銘柄は買ってみようかという戦略もあるし、いや、どうせ一時的な反発だろうから、業績一切無視で25日、5日の移動平均線との乖離率を見ながら、短期で狙ってみようかという戦略もあるだろう。

どちらで狙うかは、今回の下げの意味をどのように読むかにかかってくる。つまり、これが一時的な下落であるならば、バーゲンセールで売り出し中の優良株をしっかり拾っておくのがよいのだろうが、ほんとに一時的な下落なのか、じつは僕は疑っている。しばらくは相場の行方を見守るしかないだろうな。

難しいね。(^_^;)

at 00:44



本日休業

実は今週は、大きなデスクワークの予定があって、自宅で仕事をするつもりだったんだよね。ところが、昼間はマーケットがこんな状態になっちゃって目が離せないし、夜は誰かさんとふぐ食べにいかなきゃいけないし、深夜までパソコンに向かって仕事やんなきゃいけないしで、とうとう過労でダウン。今日は一日寝てた。

ザラ場中は、何度か自分のポートフォリオだけチェックした。含み損が増えていくようなら動くつもりだったのだが、ポートフォリオのトータルの含み損益はほとんど動かなかった。今週に入ってからどんどん利食い売りを行い、昨日と一昨日は空売りも入れているので、ほぼ売り買い半分ずつの状態だったから、当然ではあるのですが。

結局、今日は、売買なしです。

まあ、個々の銘柄を見ると、悲喜こもごも。5713住友鉱山の昨日の後場では100万円を優に超えていたはずの含み益はどこに行ってしまったんだろうとか、いろいろ悔しいこともあるけどね。

さて、今後どうなるのだろう。このまま一気に上に行くとは思えないけどな~。昨日、一昨日の日足の大きな陰線はやはり血の匂いがするね。これだけ多くのトレーダーが血を流したその後で、何事もなかったかのように再度上昇トレンドに戻れるほど、マーケットって鈍感ではないと思う。来週初めあたりにひやりとする下げがあり、その後どちらに動くかが問題だな。動いた方について行くしかないだろう。

幸いにして買い余力はたっぷり。どっちへ行くとしても、流れについて行くつもりだ。


コメント、沢山ありがとうございます。「暴落は人を哲学者にする(?)」ようで、読み応えのあるコメントがずらり。一つ一つレスをつけたいのですが、ちょっとへばってますんで、勘弁してください。忘れた頃にレス返すかもしれません。(^_^;)
基本的には、唯我独尊のブログですので、好き勝手にやらせてもらってます。

では。

at 20:30



追加

おっと、本日の売買ゼロとさっき書いたけど、昨日オーダーを入れておいた指し値が入ってますね。訂正です。

3304トスコ、新規買い。
5903シンポ、利食い売り、ポジションゼロへ。
3110日東紡、とんとん、ポジションゼロへ。

at 20:41



2006年01月20日

1月20日前場のトレード

あんまり上昇トレンドが長く続いていたんで、空売りのやり方を完全に忘れてるよ。水曜日後場の底割れの不安の中では、冷静に買い戻しがセオリーだったね。売り増しを図ってしまったんだから馬鹿な話である。空売りは買いの時以上に強い意志が求められる。浮かれてちゃいけないな。一昨日のパニック的な売りの中で買い戻し、さらに買い、昨日の後場で全部売り切りなんてやりたかったけどね。感覚がだいぶ鈍っているというか、週初めのパーフェクトな売り逃げで有頂天になってしまい、判断が遅れてしまっている。

さて、今日の前場の印象は、ハイテクの戻りがしっかり、鉄鋼、造船など、昨年後半に大相場を演じた銘柄はちょっと頭が重いのかなという感じ。後場の展開次第では、空売りのポジションは、ばさっと削るかもしれない。

寄りつき、買い気配で始まった銘柄に空売り。

9984ソフトバンク、新規空売り。
8815東急不動産、新規空売り。
9435光通信、空売り売り増し。前場引けでほぼ買い戻し。

at 11:14


嵐の1週間が終わる。

今週はむちゃくちゃ疲れた。1週間終わってほっとしている。(^_^;)

後場は、ポジション調整。あんまり空売りのポジションを抱えてオーバーウィークしたくないので、空売りのポジションは小さくしていく。何故か下げ渋っている銘柄は、とりあえずカット。

9104商船三井、買い戻し。利益確定。ポジションゼロへ。
7013石川島播磨、一部買い戻し、利益確定。
5405住友金属工業、一部買い戻し、利益確定。
6702富士通、一部買い戻し、損切り。

4007日本化成、新規買い。
3304トスコ、利食い売り。ポジションゼロへ。

at 15:32



マーケットから蹴り出されないために

milesさんへ

>>所詮予想して「当たった!」「外れた!」って一喜一憂しても
>>100回の正解で儲けても、1回のハズレですってんてんになってしまう
>>ことは起こりえることですよね。
>>
>>味方のいない戦場で生き続けていたいです。
>>それには死なない方法を学んで、いかに勝ち戦側につくか?
>>ぽんぽこさんのブログを読んでいると自分の管理がつくづく難しいのを
>>考えさせられます。

そうですね。本当に難しいです。そして、「死なない方法」というのが、「リスクをとらない方法」だったりすると、今度は絶対に儲かりませんからね。

株式トレードの難しさ、しんどさについて、今回の下落ではいろいろ考えさせられました。僕はどっちかというと、今回の下げを上手に泳いだトレーダーの一人だと思うんだけど、それでも消耗したな~。日本の株式市場がものすごく脆弱な基盤の上に立っているものなのだということをあらためて知らされましたね。

たとえば、東京直下の大地震が明日明後日に起こる可能性はきわめて低いと思いますが、何十年というスケールで考えたら、間違いなく起こるわけです。そのとき東証はどうなるのだろうと考えると、リスクの管理なんて、現実にはほとんど不可能なのかもしれない。(もっとも命の保証もないのだから、株どころじゃないのかもしれませんが。)

「どんな相場環境でも空売りのポジションは作るように心がける」
「全力の信用買いはしない」
「資金は株式だけではなくできるだけ分散する」

当たり前のことですが、以上のようなことがやはり大事なんだと思う。


ライブドアで大損こいた人のブログを2つほど発見しました。明日は我が身、他山の石。読んでいるうちにだんだん背筋が寒くなってきます。

『株でもうすぐ一億達成!からライブドア20万3000株全力信用買!で大損こいて一気に地獄に落ちた日記。』

『GIRL'S TRADER』

[追記:後者のサイトについては、アフィリエイト狙いではないかという説もあります。この記事のコメント欄でも指摘されていますが、確かに独立ドメイン取ってるのもちょっと不思議な話だし、これまで完全にお休み状態だったサイトにいきなり書き込みを始めるのは不自然といえば不自然。チャットレディーの手の込んだ客引きという可能性もないわけではないですが、ただ、極限状態で現実逃避的にいきなりブログを始めるというのもありそうな話だと思うけどなぁ。だいたいアフィリエイトの儲けなんて知れたもんだしね。それだけのためにこれだけ手の込んだことをやっているのだとしたら、それはそれで凄いと思います。]

前者の方は1億円寸前までいって、今回の下落ですべてをなくしたようですが、確かにリスク管理を緩くして、思いっきり冒険をすれば、上昇基調のマーケットの時には、大きく稼ぐのは決して難しいことではない。でも、一回の失敗ですべてを失ってしまうわけですからね。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
でもいい勉強でしたわ。
稼ぐコツはわかってますんでまたこつこつがんばります。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

記事の中にそんな一節がありましたが、この人、おそらく同じ失敗をまたするだろうな。(^_^;)
「稼ぐコツ」は分かったのかもしれないけれど、「リスクを管理する規律」の方がもっと大事なんだけどね。それに上昇トレンドでの「稼ぐコツ」なんて、トレンドが変わったら何の役にも立たないかもしれないのに。

『GIRL'S TRADER』には次のような一節が。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
もう大きな取引はしないと思いますが、
いつかまた株に手を出すと思います。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

懲りないんだろうな~。

at 23:44



2006年01月21日

今週の資産計算:たいへんな1週間でした

さて、今週の資産計算である。

先週の損益 △6,424千円
今週の損益 ▼8,527千円
今年のトータル損益 △8,596千円

実は今週は利益確定は4,000万円ほど。何年もかけてため込んできた長期保有のポジションを、週初めに一気に利益確定したからである。

短期で動かしている分は、まず、ややポジションが大きくなっていた銘柄を含み損益と関係なくポジションを縮小し、それから、月曜火曜と指し値で含み益の大きな銘柄を少しずつ利益確定を行った。その後で動きの悪い銘柄を半分カット、半分現引きにする予定だったのだが、そこで暴落におそわれてしまった。(まあ、今週の売買の流れは、このブログにずっと書いているので、読み返して頂ければ、僕が何をやろうとしていたかは分かってもらえると思います。)

結局、数単位ずつ売り残していた銘柄の暴落が意外に大きくて、思っていた以上の損失を発生させてしまったのは残念である。

個人的に言うと、暴落が一日早かった。後一日暴落が遅かったら、おそらく今週はプラスマイナスゼロで逃げられたと思うし、水曜のセリングクライマックスでの対応を間違わなければ、十分プラスの収益を上げられたはずである。動かしている資金量がかなり大きくなってしまっているので、なかなか素早い対応ができないことにあらためて気づかされた。これは今後の課題として、解決策を考えなければいけないだろう。

「水曜のセリングクライマックスでの買い戻し、買い上がり、翌日の急騰場面での利益確定」が、できなかったのは非常に悔しい。イメージははっきりと見えていたんだけどな~。水曜の朝カラ売った銘柄が、後場直後には含み益が数十万、百数十万になっていたときに、完全に冷静さをなくしたと思う。急速に戻り始めてから指し値を入れても間に合わないしね。(^_^;)

今週は、トレード以外にもいろいろあって、体調管理も大変だった。ライブドア暴落の直撃を食らった人たちは、おそらく食事ものどに通らない、吐き気がするという状態が続いていると思うけれども、相場の失敗、相場の成功って、ココロよりもカラダを直撃するので、本当にきつい。木曜日、体調を壊して、一日寝ていたんだけれど、カラダが強制終了を命じたんだと思う。

これだけの大きな暴落を、それでも他のトレーダーよりは小さな傷で逃げることができたということで良しとしなければいけないのかもしれないが、それでもやっぱりちょっと悔しい一週間でした。

at 11:17



2006年01月22日

My Trading Life (27)

この記事は実は先週の日曜日に書いたものだ。

ブログの記事は、たいてい、書き終えたら即アップするのだが、『My Trading Life』はちょっと気合いが入っているので、一晩寝かせて、翌日、もう一度読み返してからアップすることにしている。ところが先週は月曜日にライブドア家宅捜査があり、その後、相場が大波乱を演じてしまったので、この記事の中で、「予想」として書いていることが、少し異なった形で「事実」となってしまったために、書き直さなければならなくなっていた。

週末にでも全面的に書き直そうかと考えていたのだが、いまあらためて読み返してみると、まるでこの記事全体が「先週末の僕」から「現在の僕」に向けたメッセージのようにも読めることにちょっと驚いている。

ちょっとタイミングのずれた部分もあるのだが、あえてこのままアップしてしまおうと思う。

先週末の段階で、僕は「もうすぐ」「何か」が起こることは予想していた。占い師ではないのだから、「もうすぐ」が「翌日」で、「何か」が「ライブドアの家宅捜査」だろうとは全く予想もしてはいなかったが、しかし、IPOバブルの終焉を告げるような何らかの事件が起きるであろうこと、それをきっかけに相場が軟調になるであろうことは、煮詰まったチャートを読めば予測できた。

いつも書いていることだが、「材料が相場を動かすのではなく、相場が動きたい時に材料が生じる」のである。あるいは、別の言い方をすれば、マーケットの動きたい方向というのがあって、何らかの事件が生じた時に、マーケットはその動きたい方向へと材料を吸収していくのだ。

ライブドアの家宅捜査がなかったとしても、早晩、新興株が先陣を切る形で、トレンドは変わっただろうと思う。その数日のずれによって、破滅する投資家、破滅を逃れる投資家がいるわけで、投資家にとって数日のずれは決定的に重要ではある。しかし、大局的な流れは、個々の出来事や事件などが作るわけではないのだ。そして、大きな流れにあらがうことはできない。トレーダーはトレンドを味方につけるようにと、ポジションを築いていくべきなのだ。

さて、話は2001年、前年春のITバブルの崩壊から1年近くが経過し、相場が徐々に立ち直りつつあるかに見えた頃である。




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今の相場だと、資産規模1千万円程度では、完全に鼻くそ扱い、度胸のあるデイトレーダーなら一日で稼ぎ出してしまう金額だが、2001年当時、200万円を1年ちょっとで1千万円にしたというのは、それなりにりっぱな数字だったんじゃあないかと思う。

相場環境は完全に逆風だった。1年前、ITバブルのど真ん中で、羽振りをきかせていたネットトレーダーたちは、ほとんど全て姿を消していた。高値では24万円した光通信の株価は、1,000円台にまで売り叩かれていた。

狂乱相場の後の宿酔は無惨である。

現在のIPOバブルも最後は悲惨だろうと思う。ストップ安売り気配が何日も続き、売りたくても売れないような事態が、おそらくもうすぐ訪れるはずである。東証一部をいじっているトレーダーはしばらくは対岸の火事を高みの見物していられるだろうが、やがて火の粉はこちらにも回ってくるだろう。対岸で悲鳴が上がったら、すぐに逃げ出すことだ。

それでも、2001年の春、ようやくマーケットは底が見えたように感じられた。日経平均は2月末に12,000円を割った後、急速に戻しつつあった。どうやら1年近くにも及んだ下げ相場はトレンドを転換し、再度、上昇へと向かいつつあるらしかった。

僕はそれまで何とか空売りを中心に凌いできたが、空売りのポジションを徐々にクローズし、買いへとスタンスを移動していった。

さて、この時期の印象に残っている思い出をいくつか書いておきたい。ひとつは『マーケットの魔術師』の「株式編」を発売直後に航空便で取り寄せて、2日間、ほとんど徹夜状態で一気に読み上げてしまったことである。トレードを学ぶことに対して、この頃は本当に真剣だったと今あらためて思う。

そして、『マーケットの魔術師』の「株式編」は実に面白かった。「正続編」は、トレードの道を究めた聖者列伝といった趣の本だったが、株式編は、なんというか「変な奴大集合」みたいな、こんな方法でどうして儲かるんだろうというトレーダーが次から次と紹介されていた。

結局、トレードに誰もが従うべき普遍的な正しい方法なんてないのである。自分にあったトレード法、自分が十分に資金と心理をコントロールできるトレード法を見つけること、それが大切なのである。そうしたことが、この本を読んだあとで確信に変わった。

『マーケットの魔術師:株式編』の読後感は、読み終えた直後に「売り専」の掲示板に書き込んでいる。とても懐かしい発言なので、再録してみようと思う。株式トレードビギナーの頃のワクワク感が十分に伝わる書き込みなので。(^_^;)

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【 タイトル 】Stock Market Wizard
【 日付 】01/03/04 16:29

皆さん こんにちは!!

1ヶ月ほど前に紹介させていただいたジャック・シュワッガーの新作「Stock
Market Wizards」ですが、昨日と今日で一気に読了してしまいました。

これは面白い!!

僕はアマゾンドットコムで2割引で買いましたけど、丸善信者の人は、丸善で
買うといいでしょう。アマゾンの倍の値段で売ってますので、丸善の売り上げ
に大きく寄与し、株価の上昇にきっときっと多大な貢献することでしょう。
(笑)

これまでの「マーケットの魔術師」2冊に登場していたのは、神のごとき高み
にいるトレーダー達という印象だったのですが、今回の本は、彼らよりは少し
だけ身近に感じられるトレーダーの記録です。
(といってもまだまだ雲の上だよ。)

トレーディングスタイルはこれまでの2冊以上に、多様で、個性的で、むちゃ
くちゃで、ホント面白い。

オプションの「買い」で堅実に稼ぎをだしていく牧場主の話しとか、どこの会
社に行っても上司とぶつかり合ってた女性が、空売りオンリーのトレーダーと
して大成功する話しとか、ホントに、こんなやり方で儲かるのかなぁと、若干、
半信半疑でもあるのですが、でもやっぱり自分の性格に合ったトレーディング
スタイルでやれば、うまくいくんだろうなぁと納得させられるのです。

あと、目からウロコというか、正直、笑ってしまったのが、狙いを付けた会社
のCEOだの関係者に電話しまくるというトレーダーですね。彼は売買すると
きにチャートを見もしないのだそうです。(ホントだろうか...。)

どなたか日本版のこんな本、出してくれないかなぁ。草笛さん、奇術師さん、
XXさんなどなど、「魔術師」の候補選手はこの掲示板に何人もいらっしゃい
ますね。

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そして、この時期に、もう一つ、とても印象的な書き込みを掲示板で読んだ。奇術師さんの「Gold」というタイトルの書き込みである。この発言もその後何度も読み返したし、そして大きく影響を受けた。「そう、プロにとって、金市場は売るためにあるのです。」という奇術師さんの口調も実に懐かしい。

奇術師さんの発言はどれもそうなのだが、読み返すごとに新しい発見があり、印象が変わってくる。この発言も、金相場のその後を予言したというよりも、どんな相場であれ、大局的な流れにつくことが大切なのだと教えてくれているのだと思う。

長期的なトレンドが上向きの時にこそ株を買うべきだし、FXに挑戦するならば、スワップ金利というハンディが与えられる外貨の「買い」で狙うべきだし、無限に増え続ける不思議な商品である金より、実需要のあるプラチナを買うべきなのだ。つまり、常に少しでも有利な側について、トレードをすることが大切なのだと思う。

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【 タイトル 】Gold
【 投稿者 】マーケットの奇術師
【 日付 】01/02/04 21:46:51

ヴォルテールさま、ハント姉妹さま:
個人的には、貴金属の長期定額購入をなさるなら、金よりもプラチナを
お勧めしたいです。休日モードということで、少し詳しく述べてみます。

金というのは、不思議な商品です。いや、商品とは言えないのかもしれません。
なぜなら、金には、本当の意味での需要、つまり実需というものがあまり
存在しないからです。

この世に存在する「商品」とは、すべて消費されるために生産されています。
採掘された原油は精製され、燃料や石油化学製品原料として消費されます。
生産された穀物は、飼料や食料として消費されます。
非鉄金属も、繊維も、鉄鋼も、セメントも、紙も木も、すべて同じことです。
そして、消費という需要と、生産という供給のバランスするところで最終的な
価格が決まります。『需給に勝る材料無し』というのは商品界のことわざですが、
一時的に思惑で相場が動いても、結局のところは需給関係が価格を妥当なところへ
収斂させて行きます。

金以外の貴金属には、宝飾品としての需要以外に、それぞれ工業物資としての
重要な用途があります。
銀は写真感光剤や抗菌剤としての、プラチナやパラジウムは触媒や電極材料としての
需要が、総需要の半分以上を占めています。
ところが金には、そういった実需がほとんどありません。せいぜいメッキや歯科材料
程度のもので、「需要」の大部分は宝飾品・投資・退蔵需要です。
しかも金は化学的に安定な物質で、錆びたり腐ったりしません。
ソロモン王やミダス王の昔から、永久にそこに存在するのです。
これを言い替えますと、世界中の金鉱山から採掘される年間約4000トンの新産金の
かなりの部分が、地上在庫として毎年繰り越されて行くということです。

要するに、穀物は食べたら消滅します。石油は燃やせば消滅します。
しかし、金はあまり消滅せず、地下から掘り出された金が毎年どんどん地上に
あふれかえってくるのです。「不思議な商品」とは、そういう意味です。
ですから、はっきり言えば金価格は毎年下がるのが当然なのです。

そう、プロにとって、金市場は売るためにあるのです。永遠の戻り売り銘柄と言っても
過言ではありません。

ニクソンショック以後の現代は、もはや金本位制の時代ではなく、実物通貨としての
価値は幻想になっています。つまり、昔は、金の本質的価値に「通貨的側面」という
プレミアムが乗っていたわけですが、それが徐々に剥げ落ちてきているのです。
一挙に急落しないのは、それがいまなお消費者の「共同幻想」に支えられている
からに過ぎません。

産金会社や商社、貴金属商、宝飾品業者などは、こういうことは口が裂けても言いま
せんけど、彼ら自身は常に市場で売り方に立ち、大規模なヘッジ売りをしています。
南アや豪州の鉱山会社がCOMEXでどれだけの売り玉を持っているか、あるいは
純金積立を派手に広告している商社がTOCOMでどれだけの売り玉を持っているか、
調べてご覧になれば、おそらく驚かれることと思います。
彼らが必要としているのは、富の象徴というイメージに幻惑され、自分たちの売りに
喜んで買い向かってくれる消費者なのです。

金地金は、持っているだけでは利息を生みません。各国の中央銀行は、準備資産として
莫大な地金在庫を持っていますが、それを貸し出してリース料を取り、利息の代わりに
しています。
しかし、その貸し出された地金がフォワード売りを生み、ますます金価格の低迷を招く
結果になっています。近年、欧州の中央銀行が相次いで保有金の売却をしているのは、
通貨的側面というプレミアムが消滅した金を大量保有する意味が薄れているからです。

株に例えて言いますと、万年無配のくせに毎年定期的に公募増資をする会社の
ようなものです。大株主たちは、株を貸し出して貸株料を受け取っていますが、
需給悪に加え、その貸し株がまた慢性的な売り圧力となる悪循環で、株価は
いっこうに上がりません。
それでもおおかたの大株主たちは、昔からのしがらみもあるので、なかなか持ち株を
売りに出すまでには至っていません。しかし、それも限界に近づき、思い切りの良い
一部の大株主は、少しずつ持ち合い解消売りを出し始めています・・・
と、こんなイメージでしょうか。
この会社の株、みなさまなら買う気になりますか?

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

at 02:09



マネックスショック

マネックスショックというんだそうである。今回の暴落はマネックス証券がライブドア株の担保評価をザラ場中にゼロにしたことが、投資家のパニックを引き起こし、その結果、株価が暴落したのだということらしい。「マネックス証券が暴落の主犯だ!」なんて説までネットでは飛び交っているけど、ほんとにそうなんだろうか。

確かに、もし僕がマネックス証券のユーザーで、ライブドアの株を担保に信用取引しているとして、ザラ場中に株の担保価値を突然ゼロにされてしまったら、当然ぶち切れるだろうし、許せんという気分になるだろう。

また、ザラ場中に株券の担保価値をゼロにするなんてのも、とんでもない話である。そんなことをしたら何が起こるのか全く想像もできないようなとんでもない馬鹿をマネックス証券は飼ってるんだね。自分の決断によって何が起きるのかを全く考えていないあまりにも官僚的な対応である。まあ、大阪市役所とか朝日新聞とか、そういう腐った職場では官僚的な馬鹿でもつとまるかもしれないが、リアルマネーがガチンコでぶつかり合ってるホットな世界である証券界にいちゃいけない馬鹿野郎だとは思う。

さらに言うと、マネックス証券の松本某のあまりに投資家を小馬鹿にした発言には「こいつ死ね」とマジ思う。

しかしである。そうしたことは十分考慮した上で、そして、少数意見だということは百も承知であえて書くけど、ライブドア株担保価値ゼロという決定そのものはそれほど間違っているとは思わない。だって、実際、担保価値なんてない株でしょ。だいたい、ライブドアの株券担保に金を貸してもいいっていう人いますか。

株券の担保価値をどのように評価するかは証券会社に任されているはずである。たしか、上限でも株価の80%ということだったと思う。追い証発生後、投資家が損金を払えなかった場合、証券会社がやっかいな思いをすることになるわけだから、担保価値をどの程度に評価するのかは個々の証券会社に当然ゆだねられるべきで、ライブドア株を担保ゼロに評価する証券会社というのがあっても、別に不思議な話でも何でもない。

2000年のITバブル破裂の時、光通信は何日もストップ安売り気配だった。多くの証券会社では信用の担保価値は値が付いた日が基準となっていたため、ストップ安の期間も光通信の担保価値は下がることがなかった。そして、値が付いたその日に、突然、ホルダーの地獄が訪れたのである。

つまり、いずれにせよ、地獄は訪れるのであり、早いか遅いかの話でしかない。

そして、マネックス証券がライブドア株の担保価値をゼロにしたことにより、心理的なパニックが生じ、水曜日の暴落が起きたことは間違いないとしても、もし、マネックス証券の決定がなかったならば、株価が暴落しなかったかというとそんなことはないと思う。おそらく、セリングクライマックス的な下げではなく、もっと気持ちの悪いじりじりした下げになったとは思うが、どちらかというとそっちの方がたちが悪い下げではないだろうか。

思い出すのは1990年のバブルの破裂の時である。あのとき、株価暴落の犯人として外資系のヘッジファンドの存在が名指しされた。たしかにヘッジファンドが株価の暴落を巧みに利用して大きな利益を上げたことは事実だろうが、別に、ヘッジファンドの存在がなかったとしても、あのときは暴落したんだと思う。そして、金融当局が小手先の対応をもくろんだことが、結果として、株価の自律反発力を弱め、日本のマーケットを殺してしまったのだ。

だいたい、こういう大きな下落の時に、インチキだ、謀略だ、陰謀だ、談合だと騒ぎ立てる人って、トレーダーとしての姿勢が根本的に間違ってるんじゃないだろうかと僕は思う。

at 16:33

My Trading Life (第1部)

[かおるんの独り言]
ぽんぽこさんと言えばなんといっても「My Trading Life」ですね~。これまで何度読み返したことか。そして何度読み返しても、新しい発見があります。こんなに面白く相場について語ることができるって凄いです。





株式投資で必要なことは全てネットで学んだ。

株式投資で必要なことは全てネットで学んだ。俺はほんとにそう思ってるよ。

大阪ガスを1000株買ったのはバブルの頃。それが最初のトレードだった。当初は相場環境が良かったこともあり、はじめは面白いくらいに儲かったけどね。
でも、90年代の十年間は年間の収支がプラスになったことは一度もないと思う。
そもそも、損ばかりしていたから、きちんと収支を計算することさえ放棄していたな。

ようやく利益が生まれだしたのは2000年。ネットで株を売買することを覚え、株価を毎日ダウンロードしてチャートソフトでチャートを書き、掲示板で情報を入手したりしはじめてからだ。

とりわけ「お気楽株式投資掲示板:売り専科」という掲示板との出会いは決定的だった。その掲示板でアクティブに活動されていた「マーケットの奇術師」という方の書き込みは本当に衝撃的だった。
彼の書き込みを読んだ後は、彼の書き込みの言葉がずっと頭の中に残響する感じで、翌日も普通の生活をしながらも何度も彼の言葉を思い出したりしていた。

それでは、彼から何を学んだのかというと、実はうまく説明できない。
たぶん、言葉ではうまく伝達できないものなんだと思う。
ちょうど長嶋茂雄のバッティング理論みたいなもので、「ばっと来るボールに、がっと構えて、だっとバットを振る」みたいな、感覚的な表現でしか伝達できないものだと思う。
しかし、株式投資を行う上で、非常に決定的なこと、大事なことを彼から学んだ。あるいは、彼をはじめとする何人かのトレーダーから学んだ。

>>あなたがマーケットの奇術師さんから学んだものを
>>また気が向いたら、バラ園なりカブ畑に書いてみてください

なあんてことを、掲示板で俺の天敵みたいな奴から言われてしまったよ。

そうだな、ほんとに俺は何を学んだんだろう。もう一度、見つめ直してみる時かもしれないなとふと思った。

というわけで、明日から、ここまでのトレーディングの過程を書いてみたいと思う。結局、一番最初から語り出すしかないわけで、株好きの下手くそのアホだったときからのこと、ちょっとここで書いてみようかな。

ただし、あくまで、自分自身を確かめる意味でというスタンスでいくので、うまく書けないと分かったら、途中で打ち切るけどね。

2004年10月31日 23:27





My Trading Life (1)

最初に株式トレードをしたのは、まだ、大学院に在籍していた頃、87年か88年の春だった。そう、バブルのまっただ中、そしてバブルの崩壊の直前のことである。

その少し前に『オンリー・イエスタデイ』という1920年代の大恐慌直前のアメリカについて書いた名著を読んでいて、強い印象を受けていた。だから、株価や地価の狂乱の後で何が起きるのかは「知識」としては十分に持っていた。しっかし、「知っていること」と「行動すること」が、人間の場合必ずしも同じとは限らないのが不思議なところである。

そして、やってはいけないと分かっていながらやってしまうという人間の心理の不思議さと愚かさを、その後の十数年間の株式トレードの中で、僕はもう嫌というほど思い知らされることになる。

何故、株式トレードをする気になったのか、直接的なきっかけは思い出せない。ただ、その頃には、身近で、ワンルームマンション投資で一財産作ったり、株で大儲けたりした人の話などをけっこう見聞きするようになっていた。そして、僕自身も、アルバイトの塾や予備校の講師の収入で、ある程度の余裕が出来てきた頃だった。

そうそう、何かの雑誌で邱永漢が、神戸製鋼をはじめとする鉄鋼株の買いを強力に推奨しているのを読んだことを覚えている。そして、その数日後、電車の中で、酔ったサラリーマン数人が、神戸製鋼がいかに素晴らしい会社かということ、株価が倍になっても神戸製鋼の株を手放さないぞなどなどと、興奮した口調で大きな声で喋ってるのを聞いて、株って本当に一般的になっているんだなと驚いたことを覚えている。

あの時のおじさんたち、あの後、神戸製鋼の株をどうしたのだろうと、ふと思うことがある。

実際には、あのあと数倍になったのだから、じっとホールドしていれば、数千株であれ、ちょっとした余裕資金になったはずである。あるいは、途中で手放してしまい、悔しい思いをしたのかもしれない。どうなったのかは分からない。が、おそらく可能性として一番高そうなのは、神戸製鋼をどの水準で利食ったにせよ、その資金をさらに別の銘柄に注ぎ込み、次々と銘柄を回転させているうちに、やがてバブルの崩壊にぶちあたり、結局、資金のほとんどを溶かしてしまったというパターンだろう。

そう、多くの者たちが、そうやって、その後、株式資産をなくしていくことになる。
しかし、その時には、僕も、そして誰もが、そんな未来が来ることになるとは夢にも思ってもいなかった。

夜の会社員の帰宅時間の電車の中で、あたりを見渡すと、一台の車両で何人もの人が夕刊紙の株式のページを読んでいることにふと気がつき、びっくりしたことがある。

果実は腐る寸前が一番美味しいし、祭りは終焉の直前が一番盛り上がる。そうした最終段階に時代は入り始めていた。

それでも僕は慎重だったと思う。というか、慎重にやっているつもりだった。
まず、何冊も株式関係の本を買った。チャートブックを買ってきて、飽きることなく何度もページをめくった。チャートの動きには、明らかに何らかのリズムがあるようにも見えたし、また、全くランダムな模様のようにも見えた。
野村など4大証券では弱小個人投資家はまったく相手にされないらしいという話を小耳に挟んだので、小さめの地場証券に出向き、50万円入金して口座を開いた。

最初に買いオーダーを出したのは1518三井松島。
三井松島は株式雑誌の袋とじのページで推奨されていたのを、その雑誌の発売日の翌朝、電話で証券会社にオーダーを入れた。「指し値はいくらにしますか」と電話口の証券レディ(そうそう、証券レディーなんて言葉も死語になりましたね)に聞かれて、その時まで寄りつきで買うつもりだったのに、きっと緊張していたのだろう、なぜか指し値注文になってしまった。
当時はインターネットなど、もちろんあるはずもなく、確か、日経がやっていたテレフォン株価情報で、ほとんど10分おきくらいに株価をチェックしていたことを覚えている。
その日、三井松島はいきなり高値で寄りつき、いったん少し下げたものの、僕の注文の指し値の少し上から、急騰を始め、数日間で300円ほど駆け上がっていった。そして、指先から数十万円が逃げていった。

あのときの悔しさは忘れられない!

今なら、いきなり高値で寄りついた銘柄なら、少し下がったところで、すかさず成り行きで当初の予定購入株数にゼロをひとつ加えてオーダーするだろうね。
ただ、あのときは、仕手株や急騰株に飛び乗ることは危険なので絶対にやってはいけないという北浜流一郎先生や松本亨先生たちの教えに従って、じっと堪えていた。ただただ悔しかった。儲け損なった30万円を思うと、気が狂いそうだった。

その次にオーダーを入れたのは大阪ガスである。こちらはまだ動いていないので、買えなくて悔しい思いをすることはないだろうと思ったのである。

こちらはしっかり買うことが出来た。買うことは出来たがちっとも動かなかった。三井造船がストップ高を演じるような狂乱ディーリング相場のただ中である。他の銘柄は動くのに自分の買っている銘柄だけぴくりともしないのだ。

これも悔しかった!

株式投資を初めていきなり「買えなかった銘柄が急騰してしまう悔しさ」と「自分が買った銘柄だけが動かない悔しさ」を経験してしまった。

その頃になると、昼間、時間のあるときに、証券会社に行き、株式ボードやクイックで株価をチェックすることを覚えた。あの頃の証券会社の店頭の熱気は思い出すと懐かしい。

バブルのただ中である。東証のどの銘柄も上がっていくように見えた。
どの証券会社の店頭にも、まるで出勤するかのように前場の寄りつきにはやってきて、一日中張り付いている常連たちがいた。彼らは、一日中、株価ボードを見上げ、クイックを独占し、もうもうと漂うタバコの煙の中、仲間同士で喋っていた。

しかし、不思議なことに、こうした常連たちはちっとも儲かっているようには見えなかった。
相場は、鉄鋼、造船、海運などの大型低位株を中心とする機関投資家によるディーリング相場が続いていた。ところが、店頭の常連たちの多くは、その1年前、あるいは半年前に大相場を作った銘柄を、売り損ねてじっと持っていたり、下げの途中で値惚れでつかんだまま、ホールドしているらしかった。
彼らの多くは鉄鋼株や造船株が狂ったように急騰する中で、じっと悔しそうにボードを眺め、ため息をつき、自虐的に笑い、そして、またボードを見つめていた。

あの光景から、株式トレードをするにあたって最もしてはならない大切なことを学ぶことが出来たはずだった。

しかし、おそらく、何も学ばなかったのだろう。あのときの僕は。




それから10年ほど後になって、当時、時々顔を出していた証券会社に株価のチェックに入ったことがある。店内はきれいに改装され、あのもうもうとしたタバコの煙もなかった。十年一昔。何もかもが変わっていた。がらんと人気のないフロアーの株価ボードの横におかれたクイックにしがみついている老婦人が一人。その横顔には見覚えがあった。10年前、その店にいつもいた常連の一人だった。彼女は10年分確実に年老いていた。いや、10年以上の年をとっていたように見えた。まるで玉手箱を開けた後の浦島太郎である。髪の毛はぼさぼさで服装もちぐはぐな感じだった。身なりなど構わないのだろう。証券会社の店内には他に誰もいない。彼女には話し相手もいなかった。ぞっとするような光景だった。

たった一度だけの人生。それなのに、彼女は10年間、株価が点滅するのを見つめながら、神経をすり減らし、資産をすり減らしていったのだろう。彼女はそれを自ら選んだのだ。株価を見るのを止めて、他の楽しみを求めることも出来たはずだ。友との語らい、ゴルフ、カラオケ、ゲートボール。株価ボードに背を向け、自動ドアの外に出て、街へ、青空の下へ、彼女は出て行くことが出来たはずなのに。しかし、彼女は自らの意志で、株価を見つめ続ける人生を選んだ。

考えられる限り、これほど痛ましい人生ってないと思う。


(おいおい、2,3回でまとめるつもりだったのに、とんでも長くなってしまったじゃないか~。どうしよう。)


2004年11月01日 20:35





My Trading Life (2)

最初のトレードは大失敗だったが、相場環境が良かったためだろう、それからは連勝続きだった。銘柄は、株式関係の雑誌や新聞を見て、多くの評論家の先生が推奨している銘柄から選んでいた。日経新聞や雑誌の記事の切り抜きスクラップもやってた。

北浜先生や松本先生、木村佳子先生などの本を繰り返し読み、印象に残った言葉には横線を引いたりしていた。そんな自分を思い出すだけでも恥ずかしい。もう、とことん馬鹿である。救いがたい馬鹿である。

北浜流一郎の本を、横線引きながら、なるほどなあと感心しながら読んでいたのである。それが僕の青春の一ページなのだ。出来れば記憶から消してしまいたい、しかし決して消すことの出来ない悲しくて、とほほのエピソードである。
でも、それが株の「研究」であり、「勉強」だと思っていた。当時は。

評論家の先生方の推奨銘柄を買っていくと、たいていの場合、目先のてっぺんで買ってしまうことになる。
その時は後悔して、そうしたトレードは止めようと思う。自分の頭で判断しなければいけないのだと思う。
しかし、株価はその後しばらく調整した後、また急騰するので、効率は悪いものの結果的には利食いが出来た。
そして、また、雑誌を読み、評論家が推奨している銘柄がやはり良さそうに見えてきて、また飛びついてしまうのだった。
だいたい、こうした評論家の先生に頼る以外、誰に投資法を聞けばよいのだ。株式投資などとは全く無縁な世界に生きていたので、相談する株仲間もいなかったし、自分で考えようにも何を基準にどう考えればいいのか全く見当がつかなかった。

株をはじめて思わぬ効果もあった。それまでアカデミズムの世界にどっぷり浸っていたので、僕は日本の経済とか個々の会社の業績とかにはあまり関心がなかったのだが、身の回りの商品を作っている会社名とかが気になりはじめた。

これまで大きな灰色のビルの連なりでしかなかった街並みが、ふいに、突然、ビルに書かれた一つ一つの会社名が見え始めた時の衝撃は忘れられない。

街がまったく違った風に見え始めた。これには本当に驚いたなあ!

同じ現実を見ていても、人によって全く違った見え方をするのだろう。株式投資をするかしないかで、世界が全く別に見えてしまうように。このことは認識についての僕の考え方を一変させた。

ある時、5401新日鐵にうまいタイミングで乗ることが出来た。連日、上場以来の高値を続ける。鉄鋼株は皆信じられないような大相場を演じていた。とりわけ川崎製鉄は千葉の土地の含み益を材料に狂乱的な高騰を続けていた。

連日、含み資産が少しずつ増えていく。とはいっても、まだまだ数千株単位のトレーダーなのだが、それでもバイトで一日頑張って稼ぐ金額の数倍の金額を株が連日膨らませてくれる。楽しい毎日である。
しばらくして、ちょっと株価が重たくなってきた。大丈夫かなと心配になっていた頃、日経の株式欄に「鉄鋼株に危険な匂い」という鉄鋼株の過熱しすぎを警告する記事が出た。案の定、その日、相場は下げて始まる。
これはもうやばいなと判断して、成り行きで逃げる。このまま暴落するのではないかという恐怖の中、うまく約定できているのを知ったときはほっとした。

そして、引け後、いつものようにテレフォンサービスで株価をチェックして仰天することになる。新日鐵はとんでもない高値で引けていた。

悔しかった!

悔しかったり、驚いたり、株式投資はそんなことの繰り返しだった。

しかし、自分の売値より高くなってしまった新日鐵に再度挑むのはプライドが許さない。絶対にそれは出来ない。翌日、新日鐵よりもずっと安くて、まだまだ上がりそうに見えた日立造船を買った。もっとも新日鐵より安いといっても、年初の安値と比べれば、日立造船株はすでに、異常なくらいの高い水準に達していたのだが。

そして、その日から、大型株は調整に入り、日立造船は僕の買値から100円以上も下がってしまうことになる。

しかし、そんな愚かなトレードをしていても、数ヶ月後には、日立造船は僕の買値を上回った水準まで上がり、余裕で利食いをすることが出来た。

株は永遠に上がり続けるかのようだった。

その年だったか、翌年だったか、年末にJラインでうまく儲けたのは、会心のトレードだった。
僕はその頃から、いくつかの銘柄には方眼紙に手書きで日足のチャートを書き始めていた。チャートを睨みながら売買のタイミングを計り、Jラインの押し目をつかみ、ほとんど最高値で売り逃げることが出来た。
Jラインと山下新汽船の減資合併による暴落のほんの数日前のことである。

こうして今、あのころのことを思い出しながらこの記録を書いているのだが、一つ一つの銘柄の、買ったときのだいたいの値段、売ったときのだいたいの値段、手がけた時期、その時の株価の動き方など、意外に鮮明に覚えていることに、結構驚いている。
今では、一週間前に買った株でさえ、買い単価や売り単価など、全く覚えていないのに!
きっと一つ一つの銘柄に対する愛着が今よりもずっと深かったんだろうな。
株を買った会社について、日経新聞などで良いことが書いてあったりすると、自分のことを褒められたようで、嬉しかったりしたものである。

なにはともあれ、トレードをはじめて半年後には、チャートを見ることの重要性、利食いのタイミングなど、株式トレードで大切なことが分かりはじめたような気がした。
含み損になっても決して投げてはいけない、株価はやがて戻るのだから。我慢我慢。焦ってはいけない。来年はもっとうまくやろう。そしてうまくやれるだろう。そう思った。



しかし、本当は何も分かってはいなかった。


2004年11月03日 00:05





My Trading Life (3)

翌年の春だったと思う。チャートを眺めていて8014蝶理という商社が数ヶ月を単位とするきれいなうねりを作りながら次第次第に上昇していくこと、そして、今がいいタイミングで波の底の部分であることに気がついた。

さっそく、この会社について調べてみることにした。
調べてみるといっても、株式関係の雑誌を探ったり、証券会社の店頭で株式新聞を読んだりして、評論家の先生方がこの銘柄を推奨している記事があるかどうかを探しただけの話なのだが。(^_^;)

ほんとに、とことん馬鹿である。(-_-)

蝶理を推奨する評論家は誰もいなかった。どうやら忘れられた銘柄らしい。評論家の先生方が誰も勧めないこんな銘柄を買っていいんだろうか。
しかし、チャートは上に行きそうな気配を漂わせているし、四季報を読む限りは業績も好調のようだった。

悩みに悩んだ末、買ってみることにした。誰も推奨していない銘柄を買ったのはそれが初めてだったと思う。
証券会社に電話すると、証券レディーから「えっ、チョウリ?」と聞き返される。「そう、チョウリ、ハチ、マル、イチ、ヨン」と説明するのも恥ずかしい。緊張する。

訳の分からない銘柄を買おうとしている馬鹿で弱小の投資家だと思われてるんだろうな。鼻で笑われてるんだろうな。。。

とっても惨めで、ひとりぼっちになったような気分がした。

証券会社に電話して、証券レディーに売買の注文を出すときのあの妙な緊張感って、ネットトレードしか知らない人には想像できないでしょうね!
あの時代、個人投資家と言っても、数千万円、数億円の資金を動かしている者がザラにいたのである。少なくともザラにいると言われていた。
たった1000株の注文をわざわざ指し値で入れてくるような弱小トレーダーが、証券レディーたちからどのように見られているかは想像がついた。僕自身と同世代である彼女たちから、自分がどのように見られているかを勝手に想像して、僕は恥じた。カネが全て、そんなバブルの時代のど真ん中の話である。

こちらの名前を言い、買いたい銘柄を言い、株数と、成り行きか指し値かを言う。(まあ、株数は毎回1000株だったんだけどね。)
それだけのことなのに、何故か、電話をし終えると、いつも、電話を持つ手が汗ばんでいることに気がつく。
どうして、いつもいつもあんなに緊張したのか、今となっては全く理解できないのだが。

(所詮、株屋のねーちゃんじゃないの、あっちはさ。どう思われようが、関係ね~よ。そう、今は思うけどね。)

さて、1000円前後で買ったその株は、小さなうねりを繰り返しながら、1100円、1200円と、徐々に上がりはじめた。このまま順調にいくのかなあと喜んでいると、いきなり、1日に100円近く下がったりすることもある。また、不安な気分にさせられる。
いつもならば、不安な気分になったときは、スクラップしてある評論家の先生方の推奨記事を読んだりすれば、自分のポジションは間違っていないのだと安心することが出来るのだが、この銘柄の場合は誰の推奨もない。不安を癒してくれるものはなかった。

いったん1300円台に上がって、それから1200円台に大きく下がったときに、もう堪えきれなくなって、ある日、昼過ぎに、成り行きで売った。何日も何日も売った方がいいのかどうしようかと煩悶していたので、電話で成り行き売りの注文を出したときには、ほっとしたものである。

株価はその日の大引け近くに、大きな買いが突然入り200円近く上昇した。その後も大きく乱高下しながら、上昇を続けた。
北浜流一郎や松本亨が蝶理の推奨をはじめたのは、1600円を越えほぼ最高値に達してからだったと記憶している。

株って簡単に売ってはいけないんだ。どんな株も、じっとホールドしていれば、もっともっと上がるものなんだ。何度も悔しい経験をする中で、そうした教訓を学んだ。

株式投資の恐いところは「経験」を積むことが必ずしも良い「結果」に繋がるわけではないことだろう。相場は、トレーダーに間違った教訓を教え、間違った決心をするように促す。
特に、失敗体験は、というか、もっと正確に言うと、トレーダーが失敗だと思いこんでいるトレードの体験は、トレーダーに対して間違った教訓を与えることになることが多い。

相場環境にもよるだろうが、株式トレードをはじめて半年ほどは、教科書通りに運用していれば、たいていの場合、ある程度の利益は上がるのではないか。少なくとも、確定益だけに関して言えば、たいていの人が、はじめはプラスになると思う。
問題はその後である。おそらく、ほとんどの株式ビギナーのトレード開始から半年後のポートフォリオは、「確定益はややプラス、含みは大幅な損失」といったものになっていると思う。つまり、利食いは素早くできるが、損切りは出来ないため、含み損がどんどん大きくなっていくのである。
こうなってから、うまく対処するのは実に難しい。経験を積んだ投資家でも、大きな含み損銘柄ばかりのポートフォリオを、プラスに転換させるのは至難の業だろう。まして、経験のないビギナーではほとんど不可能なのではないか。
だいたいの投資家が、このあたりで潰れていくと思う。

89年の暮れには、ビギナーの誰もが突きあたるであろうそうした壁に、僕もぶち当たりつつあった。その年も200万円くらい利食ったと記憶しているが、持ち株はどれも含み損状態で、どうにも動かすことが出来なくなっていた。

じっと待っていればどの銘柄も買値を越えていくだろう。これまでもそうだったし、これからもずっとそうだろう。僕はそう信じて、含み損の状態で耐えた。

指数は4万円を手前にして、やや足踏みになりつつあった。

(日経平均が4万円の目前まで行ったのである。本当に今となっては信じられない話だが。)

マスコミは、翌年の1990年の日本の株式市場の不安材料は、ソ連のゴルバチョフ書記長の失脚の可能性「だけ」だと告げていた。国内経済は不安材料はない。仮にゴルバチョフが失脚したとしても、絶好調の日本経済に死角はない。

株価も地価も永遠に上がり続けるように見えた。


2004年11月03日 19:17





My Trading Life (4) ちょっとブレイク

ここで、ちょっと、休憩です。

この回想って、そもそもは僕が掲示板で、「マーケットの奇術師」というハンドルで書き込みをされていた方から、一体、何を学んだのかということを確認するために書き始めたのでした。

はじめの予定では、バブル期について1回、氷河の90年代について1回、売り専掲示板時代について1回、その後について1回の計4回くらいでまとめようと思っていたんですけど、バブルがなかなか終わらない。(^_^;)

っていうか、こんなに書くことがあったっけというくらい、あれこれいろんなことを思い出してしまって困る。

多くの方からコメントをもらって、それも好意的なコメントばかりで、本当にありがたい話です。
でも、こんな個人的な回想との自分の心理分析みたいなものって、他の人が読んで面白いのかなというのが、正直なところ、半信半疑です。
あらかじめ申し上げておきますけど、僕はずっとロンリートレーダーだったので、他のトレーダーとの交流とかは、ネット以外ではほとんどありません。ですから、この先、読んで頂いても、投資家人生で出会った面白い人、変な人、アッと驚く抱腹絶倒のエピソードのたぐいはいっさいありません。
それから今回はtrading lifeに限定しますので、仕事の話、家族関係や友人関係や愛人関係の話も書きません。
株で儲けたお金を抱えたでっかいちんちんが出向いた先の冒険譚とかも(まあ、今回は)書く気はありません。

まあ、でも、トレーディングにおける心理的変化や動揺を、自己分析していく回想録なんて、僕は読んだことないし、たぶん誰も書いてないよね。
そういう意味では、確かに変わっているし、面白いのかもしれない。


2004年11月03日 23:23





My Trading Life (5)

やあやあ、みんな元気かい。

俺様絶好調だぜ。

ところでさ、俺様、今、9127玉井商船って銘柄いじってるわけ。
で、みんなにお願いがあるんだけどさ。この株、みんなも買ってくれないかな。大証2部の品薄株だぜ、みんなが買えば、すぐに上がって、俺様、大儲けさ。
なっ、俺様は賢いけど、お前らみんな俺様よりお馬鹿さんだろ。知ってるぜ。隠したって分かるぜ。お前らみんな馬鹿だろ?
えっ、玉井商船買ったとして、それからお前らはどうすればいいかって?
そんなの決まってるだろ。自分よりさらに馬鹿な奴を見つけるんだよ。うまいこと騙してそいつに株を買わせる訳よ。玉井商船は今に日本郵船より大きな会社になるらしいとかさ。口からでまかせ言えばいいんだよ。大丈夫、捕まったりしないから。いろいろ材料をねつ造したっていいんだよ。そして、うまく売り抜けるわけ。
騙されて買った奴はさ、また今度は自分より馬鹿を見つければいいわけ。そうやって、みんながみんな、自分より馬鹿な奴を見つけられればさ。株は永遠に上がり続けるって訳よ。最高だろ。このシナリオ!




とシナリオ通りにはうまくいかないことを、1990年の相場は教えてくれた。うまい話は長続きはしないもの。「自分より馬鹿」が簡単に見つかるとは限らない。時に、自分が「一番の馬鹿」かもしれないのである。

1990年の正月を迎えたとき、僕は投資歴が2年弱ほどだったと思う。ちょっと小金が貯まると株式に投入する資金を少しずつ増やしていたので、そして、投入した金額の方が、引き出した金額よりも大分多かったので、おそらく合計300万くらいの金額を株式市場に投入していたと思う。
そして、90年の正月の時点で、持ち株の購入総額は600万ほど、どの銘柄も少しずつ含み損になっていて、含み損の合計は100万に近い金額だった。つまり、一応利益は出していたが、持ち株は含み損ばかりで、相場のことを考えると、かなり鬱な気分になりだしていた。

90年の1月、不安な材料は何もないはずの日本の株式市場は、何故か軟調な滑り出しだった。

今思えば、この時の下げは、その当初から、それまでの、相場のうねりの中での下げとは全く違っていた。高値圏での神経質に乱高下する動きとも、下げが続く中で、恐怖にとらわれた買い方の投げから生じる下げとも違っていた。
そうした不安や恐怖が生む下げではなかった。不安や恐怖が生む下げならば、果敢に押し目買いで挑んで、吹いたところで利食えばいいのだ。

そうした下げではなかった。何というか、確信を持って売ってきているとしか思えないような、売り方の自信が感じられる下げ方だった。

株式トレードを続けていると、株価の上下の中に、売り方と買い方の間に交わされる駆け引き、対話、悲鳴、歓喜。。。そういったものが聞こえてくるような気がすることがある。90年の年初の下げは、売り方の自信に満ちた「意志」が最初から感じられた。

リズムが違うのである。

相場と対話をしながら、売り買いのポジションを動かしていくというのではなく、大資本が目標値を決めて、そこまではためらいなくがんがん売り込んでいくというような、そうした一方向の動きだった。
巨大なタンカーがゆっくり進路を変えていくときのような、風の方向の変化を、あの時、相場に参加していた者は、誰もが感じていたと思う。

おそらく誰もが経験したことのない新しい現実だったはずである。
しかし、覚えておくといい。人間は新しい現実をそうやすやすとは受け入れることが出来なくて、古い言葉で新しい現実について語ろうとする生物なのだ。

株式新聞や雑誌では、底値の見通しについて、チャーティストたちが記事を書いていた。彼らは決まって今の値段より少し下に、底値の目処を置いていて、そこで相場は反騰するはずだと予想していた。彼らの予想は、その数日後に、はずれることになるのだが、そこまで下がると、また新たな判断の根拠が持ち出され、底値が計算されなおす。その値段も、たちまちのうちに、下に突き破られていくことになった。

経済評論家や経済学者は、日本の経済には不安はないのであり、過熱感からの調整はしばらく続くものの、やがて株価は戻るだろうと予言していた。

やがて、株価を下げている犯人捜しが始まり、アメリカの「ヘッジファンド」の売りが原因だということになった。しかし、この説は、まともな経済学者からは一笑に付され、ヘッジファンドは売りも買いもするのだから、株価の上昇要因にも下降要因にもならないと宣告された。株価は自然の摂理により、上昇し下降するというのである。

要するに、誰もが、「新しい現実」に対して語る言葉を持っていなかったのだ。



そして、僕のポートフォリオの中の含み損も、毎日、信じがたいほどの速度で膨らみ続けていた。

一つの銘柄の含み損が5万10万の段階は悔しいばかりである。
この5万円を稼ぐのに、何日間バイトをしなければならないのかとか、5万あれば、何が買えただろう、どんな楽しいことが出来ただろうと、証券会社に電話一本しただけで失ってしまったささやかな幸せを空想し、悔やむばかりである。

20万30万となってくると、悔しさを通り越して恐怖の感情に襲われる。一本の電話が引き起こした損失としては信じられない額に思えて、具体的なイメージが持ちにくくなる。どうしてたった1本の電話のせいで、一月の生活費が吹っ飛んでしまうというのだ。

そして、50万100万となってくると、恐怖ですらなくなる。ある種の無感覚状態になってしまう。現実のものとは認識できなくなる。

「悔しさ」から「恐怖」へ、さらには「無感覚」へ。損失は、そんなふうに人の心の中で形を変えていく。いつもそうだ。常にそうなのだ。損失に対して無感覚になってしまったとき、人はまるで相場に対して謝罪するかのように全てを投げ出してしまいたいという欲望に襲われ、大きな損切りをするのだろう。

ポートフォリオの中は、そんな含み損銘柄だらけになった。





PS.
それはそうと、9127玉井商船。買えよ、お前ら。


2004年11月06日 09:57





My Trading Life (6)

株式投資の初心者に、ビギナーが株を売買をする上で心にとどめておくべき大切なことは、と問われたら、そうだな、僕は次のように答えるだろう。

大切なこと、それはふたつある。

まず一番大事なのは、生き残ること。

この株式市場では、愚か者はたちまちに退場に迫られる。どうやったら金が儲けられるかなんて虫のいいことを、最初は考えてはいけないよ。

まずは、最初は損をすると思わなければいけない。
運良く、最初にビギナーズラックに恵まれたとしても、その後で、その反動の大敗北がやってくることは必至。まずは「生き残る」ことを目標にしないといけない。
様々な経験を積みながら、様々なことを学びながら、まず1年、大損をすることなく乗り切ることが出来たならば、さあ、それからだ。金儲けのことを考えるのは。

そして、次に大切なこと。それは自分を知ることだ。

あなたはあなた自身が思っているほど優秀ではないし、善人でもない。
愚か者である自分を直視しなさい。
あなたは小心者で感情的な人間だ。
株価が上がると自分がどれほど舞い上がるかを観察しなさい。そして、暴落すると突然に鬱状態になり、恐怖のあまりどん底で手放す姿を直視しなさい。
冷静さを欠いた感情的なトレードを繰り返し、何度失敗してもその失敗を教訓として学ぶことが出来ない。無能な自分、愚かな自分を、まずは認めたなさい。

株で損する10万円、20万円は、働いて手にする10万円、20万円とは全然価値が違う。あぶく銭だから軽いものだと思ってはいけない。株で損をするお金は自尊心を傷つける。精神的ダメージを与える。あぶく銭だから恐いんだよ。あぶく銭だから苦しいんだよ。

トレーディングの持つそうした魔術的な力に翻弄されて、破滅的なトレードを繰り返すことになるであろう愚かな自分を冷静に観察できるようになってから、そう、まずはそれからだ。それから金儲けへの修行の道が始まる。



1990年の年初、1月2月と株価は下がり続けた。
それでも時に思わせぶりな上昇をすることもあって、もしかしたらと、淡い期待を抱かせることもあった。
でも、本当は、誰もが分かっていたんだと思う。これまでとは全く違う「下げ」が始まったのだということを。

そして3月。すべてが終わったことが明らかになりつつあった。
人は手遅れになってから、ようやく仕方なく現実を受け入れはじめる。
株価は、弾力のなくなったゴムのように、どんどんと下降を続け、そして、ついに、ぷつんと切れた。

3月の終わりから4月の初めの株価の下げはすさまじかった。

前年の年末はバラ色の日本経済を語っていたメディアは掌を返したように、暗い予想を語りはじめた。

株価の下落は底なしのように思えた。そんな状態になっても、株式評論家の松本亨や北浜流一郎は、株価は今が底で、やがて反騰するはずだと個人投資家を励まし続けてくれた。彼らの「言葉」には励まされた。
その頃の僕は、毎日、日刊ゲンダイを買い、松本亨の記事を熟読し、短波の北浜流一郎の放送は欠かさず聴くようにしていた。

今でも、時々ネットの掲示板で、初心者の人が自分のホールド銘柄について、上級者から好ましいことを書かれると、「●●さんから、そういって頂けると安心です」みたいな書き込みをしているのをよく見かけるが、あの気持ちはとてもよく分かる。

あの気持ちはとてもよく分かるが、でも、あれじゃあダメなんだよと、今になって僕は思うけどね。

全面的な下げの中でも、北浜流一郎はちゃんと有望株を見つけ、推奨してくれていた。最もその銘柄の株価が上がることはなかったが。

ある日の日経新聞の夕刊の前場の引け値で、ほとんどの銘柄が売り気配で値が付いていなかったことがある。もう、毎日の相場がこれまで経験したこともないような驚きの日々だった。

それまでの2年ほどの投資で儲けた額は、あの2ヶ月で完全に吐き出し、すでにマイナスになっていた。
何度売ってしまおう、全部投げ出してしまおうと思ったか分からない。
今のようにネットで株の売買が出来たならば、きっとすべてを投げていたことだろう。
投げることができなかったのは、妙なプライドがあったからだ。
証券会社に電話して、持ち株を大損状態で売り注文を出すというのが、たまらなく恥ずかしかったのである。
誰に対して?
直接的には、電話の向こうの証券レディーに対してである。
でも、ほんとは何が恥ずかしかったんだろうか。
カネに翻弄されている小心な自分の姿が恥ずかしかったのだ、と今になって思う。

いよいよカタストロフが近づきつつあったある日のことである。
その日、短波で昼の北浜流一郎の放送がいつもと調子がちょっと違っていた。
地獄のような下げ相場の中でも、強気の予想で個人投資家を励まし続けてくれたあの男が、その日は何故か、陰鬱な口調で、「こんな相場ですから、推奨できる銘柄は東証1部にはありませんね。」などと言い始めた。
驚きである。どんな最悪の相場でも、推奨銘柄を次々と発表してくれていた北浜流一郎が、推奨できる銘柄はないというのだ。
彼は、推奨銘柄として、当時、東証外国部に上場していたドイツ銀行を上げた。

個人投資家の味方、北浜流一郎さえ、日本の株式市場を見捨ててしまったのだ。もう、これは本当にだめだと思った。本当に日本の株式市場は終わってしまったのだろう。こうなったらどこまで下がるか分からない。株式市場に預けているお金がゼロになったら、どうしたらいいだろう。

電話を取った。今度こそ本気ですべてを投げてしまおうと決心した。

電話に出たのはいつもの証券レディーではなく何故か男性の証券マンだった。

息をのんで、口を開いた次の瞬間、僕は全く予期していなかった言葉を口走っていた。

「3408酒伊繊維4000株、成り行きで買い」

電話の向こうは一瞬沈黙した。

「買いですね」
「買いです」
「買い?」
「買い!」

という後で思い出すと笑いが止まらなくなる不思議な会話があり、そして短い電話を切った。

電話を切った瞬間、自分がとんでもないことをやってしまったことに気がついた。
手持ちの全財産をはたいても、酒伊繊維を4千株も買うお金などもう残っていないのである。
定期を解約し、その頃はじめていた田中貴金属での金の定期購入をすべて解約しても、まだ数十万足りないのだ。

これはサラ金に行くしかないな。

サラ金に行ったのはこの時が最初で最後である。惨めな気分だった。何を考えているんだろう。

駅前のプロミスへと行く途中、ふと思い立って、公衆電話から、日経のテレフォン株価情報に電話を入れた。

そして、その日の2時過ぎから突然大きな買いが入り、株価がものすごい勢いで戻りはじめていることを知った。





酒伊繊維はそれから4日間ストップ高を続け、ストップ高の止まった日に、僕はきれいに全株売り抜けた。


2004年11月17日 00:13





My Trading Life (7)

90年4月からの反騰は短期で終わった。
夏にイラクのクウェート侵攻があり、それをきっかけに、しばらく戻りかけていた相場は、また再度下へと向かいはじめた。
含み損の銘柄は、半分ほどは、その短い戻りの間になんとか損切りできた。
が、残りは結局切ることができずに、ずるずると、それから10年間、2000年の2月までホールドし続けることになる。

90年代の10年間については、実は、あまり語ることはない。

まったく株式投資を止めてしまったわけではない。時々思い出したように、株式の新聞や雑誌を買って、良さそうな銘柄を探して、買ったりもしたが、だいたいが高値づかみで、そのまま塩漬けにしたり、時々衝動的に投げたりしていた。

トータルでは1千万以上は確実に損をしたのではないかと思う。
ともあれ、記録をつけることさえ止めていたので、どれだけ損をしたのかさえ分からない。
いずれにせよ、90年代の10年間に、一度も利益を上げた年はなかった。
ちょっと余裕資金があると、株でも買うかと買ってみるが、たちまちのうちに資金は氷のように溶けて小さくなっていった。

90年の4月に大儲けした3408酒伊繊維は、その後サカイオーベックスと名前を変える。この株はその後も何度か手がけることになった。
この銘柄と5814同和鉱業、4022ラサ工は、自己流でうねり取りの真似事みたいなことを続けていた。90年代の10年間で儲かったのはこの3銘柄だけだろう。

場が開いているときに、証券会社の前を通りかかったりすると、店内に入り、クイックを叩いて、株価をチェックしたりはしていた。
コード番号を覚えている銘柄の数はどんどん少なくなっていった。
クイックの前に立っても、キーボードを叩いてみたい4ケタの数字がひとつも思い出せなくて、そのまま店を出てきたこともあった。

91年、92年、93年と、年号を並べていっても、その年の相場がどんなだったかなど、全く思い出せない。

忘れられない思い出は、97年11月。
山一証券廃業の前の最終営業日のことである。
その日はたまたま京都にいた。山一証券の経営が危ないというニュースは聞いていた。四条烏丸の山一証券の前を通りかかったとき、ちょっと店内をのぞいてみた。

狭い店内はものすごい人の数だった。バブルの頃の、あの活気に満ちた人混みではない。もっと殺気だった血の匂いのしそうな人の群れだった。
映画や本で見たあの大恐慌の光景の中にいるような既視感に襲われた。

カウンターに座っているのは、たいていは若い証券レディー達である。
しかし、その日は、カウンターには中年の支店長クラスの男達が座って、客との対応をしていた。
証券レディー達は、全員がその後ろに一列に並んで立っていた。
そして、客や冷やかしの通りすがりが店に入ってくるたびに、声をそろえて、涙をぼろぼろこぼしながら、「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」を繰り返し、頭を下げる。
自動ドアは数秒ごとに開いて、そのたびに、彼女たちは「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」を繰り返す。その声は残響のように頭にこびりつく。悪夢のようだと思った。

店を出るといつもの街の風景である。バブルの頃のあの街の風景とそれほど変わったというわけではない。どこにでもある都市の普通の風景と、今見た悪夢のような光景との、余りに大きな落差に信じられない思いだった。





もう一度、トレードを再開してみようとふと思ったのは、2000年の1月。
ヤフー株ははじめて株価1億円を突破したというニュースをテレビで見たときである。
しばらくチャートも見ていなかった。が、株価1億円を突破する銘柄がでるということは、そろそろ相場環境が変わってきたということだろうなと感じた。

今度は、もう少しきちんと勉強してみよう。そして駄目ならば、もう株式トレードを止めてしまおうと心に決めた。
常識的なやりかたでは駄目なのは分かっていた。株式評論家や日経新聞を頼りにしていては儲からないのも身にしみて分かっていた。

さてそれではどうしたらいいのだろう。

前途茫洋。手がかりは何もなかった。


2004年11月17日 21:03





My Trading Life (8)

ネットで株の売買をやってみようかと最初に思い立ったのは、実は結構早くて、96年か97年だったと思う。
今村証券が、ネットでの株式売買を実験的にはじめたというニュースを新聞で読んで、試しに申込書を取り寄せてみたのだ。
数日たって、今村証券から、申込書が郵送されてきたが、印刷の不鮮明な書類がバラコピーで数枚。中には、コピーが斜めになっていて、一部読めなくなっているものまであった。
これはちょっとひどいわ、使えないなと感じた。だいたい株式投資に対する熱意を完全になくしていた時期だったので、申し込む決断がつかないまま、いつのまにかそのことは忘れてしまっていた。

もう一度、株式の勉強をやり直してみようと思い立ったのは2000年の1月。ヤフー株の1億円突破のニュースを聞いた時である。

これまでのやりかたでは駄目なことはよく分かっていた。
まず、アマゾン・ドット・コムで株式関係の書籍を検索して評判の良い本をどんどん買ってみた。日本の株式評論家は頼りにならないので、ここはアメリカの評論家やトレーダー達の本を読んでみようと思ったのである。結局10冊くらい買ったと思う。特に強く印象に残ったのは以下の4冊である。

Alexander Elder; Trading for a Living
Edwin Lefevre; Reminiscences of a Stock Operator
Jack D. Schwager; The Market Wizards
Jack D. Schwager; The New Market Wizards

特に、エルダーの「トレーディング・フォー・ア・リビング」の冒頭の一節は強烈だった。

You can be free. You can live and work anywhere in the world. You can be independent from routine and not answer to anybody.
This is the life of a successful trader.
Many aspire to this but few succeed.

成功したトレーダーが得ることができるもの、それは自由だ。
誰にも従うことなく、誰の命令も受けず、自分の住みたい場所に住み、自分の望むままの人生を送ることができる。かっこいいね。それが成功したトレーダーの人生だってさ。
多くの人がそれを志す。だけど成功できる人は少ししかいない。そうか、やってやるぜ!

どこかの南の島のリゾート地で、ノートパソコンを開いて、ネットで銘柄の売買をしながら、優雅に余生を送っている自分の姿が頭に浮かんできた。ノートパソコン一台抱えて、世界中を旅しながら、トレードを続けることだってできるわけだ。いろいろ夢が膨らんできた。(^_^;)

エルダーのこの本は、後に「投資苑」という最低のオヤジギャグみたいなタイトルで翻訳される。本屋で見つけて、冒頭の一節を読んでみたが、あまりに味気ない訳で、はじめてそのパッセージを読んだときのあの衝撃とはほど遠いものだったが。

日本の評論家のものでは林輝太郎の著作が面白いと思った。
90年代の10年間に、3408サカイオーベックスなどで、細々と時々思い出したように行っていた相場のうねりに合わせて売買するやり方が「うねり取り」というトレード法なのだと初めて知った。

そして「空売り」が重要なものであるらしいということも知った。それまで、信用取引は危険で絶対にやってはならないものだと思いこんでいたので、これも新鮮な驚きを覚えた。

ただ、林輝太郎の著作は何冊も読んだが、数多く読むにつれて、徐々に胡散臭いものを感じていったけどね。まあ、繰り返しが多いし、愚かな投資家に対する説教みたいな話ばかりでしょ。
株式のトレードによってではなく、投資相談のようなことをやって利益を得ている人なんだろうなという印象を持ちました。まあ、本当はどんな人なのかは全く存じ上げませんが。
そうそう、輝太郎のコドモがやってるFAI投資法とかいうのになると、胡散臭さ倍増、馬鹿さも倍増だね~。

相場の魔術師たちは皆申し合わせたように損切りの重要性を説いていた。損切りすることによって新たに新鮮な気持ちで再出発することができると。

そうか、損切りするしかないのか。

第一中央汽船、東海カーボン、アシックス。。。
バブルの頃に買ったきり、損切りできないでいた銘柄はどれも10分の1ほどに下がっていた。
再出発のためには、損切りするしかないんだろうな。
僕は、全部切った。手にした資金は200万ほどしかなかった。
これを元手に再度真剣にトレードに挑んでみよう。この資金がゼロになったら、撤退しようと心に誓った。



結局、89年の一番高いところで買った銘柄を、2000年の一番安いところで売ってしまったわけである。

今だったら、あのタイミングで切ろうとは思わないけどね。
「損切り」と「投げ」は、やはり別のものだと考えないといけないと思う。
損切りは早ければ早いほどいい。しかし、塩漬け状態の銘柄を衝動的にまとめて投げるのは馬鹿げている。
株式投資において、塩漬け株はあってはならないものだけれど、しかしこれは必要悪みたいな側面もあり、なかなか一掃はできないものでもある。
また、一掃しなければいけないという心理的なストレスが、その後の判断を狂わすこともあるし、リスクを取ることを躊躇わせることもある。

今年の5月の急落場面。僕は、まあ、最もうまく乗り切ったトレーダーの一人だったと思う。(この時期のトレードは、某掲示板でリアルタイムで玉のさばきをある程度は書いてきたけどね。)
4月に利食いをほとんどすませ、空売りのポジションを増やし、ゴールデンウイーク後の急落の場面で、残った買い玉はどんどん損切りしていき、ほぼ底で、買い直し、小さくリバウンドを取って利食うという狙いのトレードがほぼ思い通りにできた。

それでも、損切りできないで残ってしまった銘柄は出た。
8815東急不動産などは、結構、大きな玉が残ってしまった。
ただ、これは少しは残しておいた方がいいのかなという判断もあった。
ほとんどのトレーダーはあの急落に対応できてはいない。ということは、仮に東急不動産が戻ってきた水準が、他のトレーダー達の含み損が消え始める瞬間だと判断してもいいだろう。他のトレーダー達のリズムを知るためにも、ある程度は残しておいた方が、面白いのではないか。

いや、これほどきちんと考えていたわけではない。
今から切っても手遅れだな、それならば、この含み損の銘柄を利用できる方法はないか、いや、そういう考え方って負け惜しみじゃないかなどなど、いろいろな考えが頭の中で交錯したわけである。
トレードは「買い」と「売り」の2つしかないわけだが、それだけの判断をするために、実はいろんな思惑と判断と、そして判断ミスが頭の中を行き来する。

この時の判断が正しかったのかどうかは、確信は持てないのだが、ただ、いろいろなリズムの銘柄がポートフォリオの中にあるのは良いことなんじゃあないかとは思ってる。

東急不動産の370円台の玉は、ポジションは縮小したが、未だに持っている。その後、この銘柄では、大きく下がったところを買い、370円に近づくところでどてんの空売りを繰り返している。今のところ十分に元は取っていると思う。塩漬けの370円は十分に役に立っていると思う。
(今週の木曜日の長い上ヒゲのところで、空売りかけてみたんだけどね。さあ、どうなりますか。)




話を戻そう。
2000年の2月、最初に挑んだ銘柄は6925ウシオ電機。
しかし単位株が1000株で2000円がらみの銘柄を買うだけの資金的余裕がなかった。やむを得ず、ミニ株で挑むことにした。
まあ、1枚だけ買おうと思えばできたわけですけどね、それよりミニ株で数枚を動かした方が面白いかなと思ったわけです。
そして、吹いたところで一部利食い、下がったところで買い増しを繰り返した。

結果的にこれはとても良かったと思う。
ミニ株でのトレードは、ざら場で動かすことができない。引け後のチャートを見ながら時間的余裕を持って対応することができたため、感情的で衝動的なトレードをしなくてすんだのである。
結局500円幅を、うまく回転させ、数十万の利益を上げることができた。
1ヶ月も1銘柄を追いかけ続けると、その銘柄のリズムというか、呼吸のようなものが感じられてくる。
2600円を越えたところでは、これは空売りのタイミングなんだろうなと確信できた。
予想通り、そこから株価は下がりはじめた。

その時点では、まだ、信用の口座は開いていなかった。


2004年11月19日 11:22





My Trading Life (9)

実は僕はネットワーカーとしてのキャリアは結構長い。

アスキーネットの連日連夜の火を噴くような激しい論争も経験しているし、ニフティーサーブの、今となっては懐かしくもある、あの慇懃無礼な気持ち悪いお友達ごっこの世界も知ってる。
初めて会った人なのに何故か懐かしいというオフの感動も何度も味わったことがあるし、ネットでの消耗戦のようなバトルも経験済みだ。

インターネットの初期の頃は、皆が本名でメーリングリストしてたんだよ、fjだと、ちょっとおちゃらけ書くだけで怒られたんだよ、なあんて言っても、もう誰も信じてくれないだろうな。
Windows95登場以前の、インターネットがユニックスとマックユーザーの独壇場だった頃は、今とは全く違った世界がネットでは繰り広げられていたのだ。
モザイクの登場でウェブへのアクセスが画期的に簡単になった時の感動や、スタンフォード大学のサーバーで2人の学生が作ったyahooの使い勝手の良さに目を開くような驚きを覚えたことなど、もう遠い遠い昔々のお話だね。
それから、まだ10年もたっていないのに、インターネットの世界は激変したね。

2000年の初春、その頃には僕はネットへの関心はほとんどなくしていた。仕事関係でメールやファイルのやりとりをする以外、ネットにアクセスすることはほとんどなくなっていた。

しかし、新たに株式トレードの勉強をし直す上で、ネットというこの新しい情報ツールを使わない手はなかった。

まず、yahooのファイナンスのページから入る。株価の検索やチャートの表示も出来る上、銘柄登録なども出来て便利なものだと思った。感心感心。手書きでチャートを書いていた日々が嘘のようだ。
株価もほぼリアルタイムでチェックできる。素人とプロとの間の情報の差は、ほとんどなくなりつつあるなと強く感じた。

そしてやがて当然のように掲示板の世界にたどり着く。
ところが、これがもう、何が書いてるのか、まったくわけが分からない世界なんですね~。

新日鐵だの日立造船といったお馴染みの漢字名の銘柄は全く出てこない。聞いたことのないカタカナ銘柄ばかりで、それも暗号のようなもので書かれているので、いったい何という銘柄が話題になっているのかさえ見当もつかない。

SBと書かれていても、なんのことなのか分からない。まさかこれじゃないだろうなとは思いつつも、四季報でヱスビー食品を調べたりしたこともあったな。ピカチューが任天堂ではなく光通信だと分かった時は、いろいろ謎が一気に氷解して、嬉しかったものである。

それでも、暗闇に目がだんだん馴染んでいくように、掲示板に書かれている内容も徐々に分かってくる。言葉の表面的な意味だけではない。その背後にある買い煽りや売り煽りの意図、嫉妬や憎悪といった感情など、そうしたものを読み解いていくリテラシーが、数週間もネットにアクセスを続けるうちに、徐々に身についていった。

結局、情報としては、ほとんど参考にならないなと分かった。
ITバブルの最終段階の頃だ。ソフトバンクが大きく上がった日には、ホールダー達の恍惚状態の書き込みと、ノンホルダー達のやっかみに満ちた書き込みとが、埋め尽くされる。リーマン証券がソフトバンクの目標値を40万円と発表した日などは、ソフトバンクが40万円になったら自分の資産はいくらになるという、呆れるほど無邪気な皮算用を、ホルダー達は大真面目に語り合っていた。

岡目八目。そして、この熱狂と狂気の世界は僕には覚えがあった。そう、バブルの時とまったく同じなのだ。

とはいうものの、掲示板は、情報源としてはまったく頼りにはならないが、株価が人間の心理の集積だということを如実に示してくれていた。急騰した日の大引け後の掲示板全体が浮き足立つような高揚感、急落時の鬱々とした殺伐感。マーケットの株価の上下が人間の心理を動かし、そしてそれがさらに株価を動かしていく。
もちろんそうしたことは理屈の上では十分に理解していたつもりだった。しかし、ネットの掲示板の書き込みはそのことをはっきりと強く認識させてくれた。



3月の始め、ネット証券で信用の口座は簡単に解説ができた。電話で簡単な面接があっただけである。

さあ、まず何に手をつけよう。
ITバブルは弾けつつあり、ソフトバンクは20万円を手前にした水準から、一気に急降下していた。それにIT銘柄は、どれも単価が高すぎてまだまだ手が出なかった。
まずは手頃な低位株とハイテク株から一つずつ選んでみよう、それぞれなじみのある銘柄に手がけてみようと思った。
二つの銘柄が浮かんできた。90年代の10年間、自己流のうねり取りでなんとか利益を上げていた5714同和鉱業と、株式投資復活後、いきなり利益を上げることが出来た6925ウシオ電機である。
どちらの銘柄も、きれいなわかりやすい上昇トレンドを作りつつあった。

上昇しつつある平均線を睨みながら、平均線を大きく下がった時に買い、上に大きく乖離した時に利食うという作業を繰り返しながら、じりじり上値を追いつづけた。

いや、そんなに格好良くはなかったな。少し下がると、利益を吹き飛ばしてしまう恐怖で、まずは少しでも利食っておこうと慌てて利食い、上がり始めると今度は自分が取り残されるという恐怖から、押し目を待つこともせずに高値に飛びついてしまう。そうした冷静さを欠いたトレードをしていたので、なかなかうまくはいかなかった。

ばたばたと動かすよりも、じっとホールドしていた方がはるかに利益が大きかったのだと結局は知らされることになるのだが、それでも、3月の1ヶ月ほどで、資産は倍近くに増えた。
信用のテコの威力には驚かされた。
もっとも、この時点では、それが逆に動いた時の恐ろしさなど考えてもいなかったのだが。
そして、正しい方法で相場に取り組みつつあるという、これまでには感じたことのない手応えのようなものを感じつつあった。
4月のはじめ、資産は500万円に近づきつつあった。

しかし、こんなものはビギナーズラックのようなものだとは分かっていた。このまま浮かれていては、また、バブルの時と同じ失敗をしてしまうだろう。
空売りを交えないといけない。空売りの方法を学ばないといけないなと思った。
空売りに関する本は、いくつか読んでみたが、さらなる情報となると、やはりネットから集めるしかないだろう。
リンクを辿り、googleで検索をし、様々なサイトを調べていった。



そして、僕は「お気楽株式投資掲示板:売り専科」という掲示板に巡りあった。


2004年12月03日 22:31

2005年読書ノート

[かおるんの独り言]
書評も面白かったですね。ぽんぽこさんが紹介されている本はほとんど読んだかも。『茨の城』、ぽんぽこさんは徹夜で一気に読んだそうですが、私は一月近くかかりました。読後感は完全にぽんぽこさんと一緒でした。♪




『荊の城』(サラ・ウォーターズ)

元旦の夜に、ほぼ徹夜で一気に上下巻を読破してしまったぞ。
面白かったよ。面白くって、エロくって、なおかつ、あちこちに知的仕掛けが掛けられていて、読み進めるうちに爆竹みたいに仕掛けが炸裂しまくる。最高だったよ。知的でクールでエロくって、もう、俺様好みの世界だよ。

書き出しの「あの頃、あたしの名はスーザン・トリンダーだった。」「たぶん、孤児だ。」といううっかり読み過ごしてしまいそうな一節からして、すでにさりげなく伏線張りまくりだし、劇場での『オリバー・トゥイスト』上演の日のエピソードから始まるのも、ディケンズへのオマージュとしてカッコいいよ。

そう、貧民窟で育つ主人公の成長期として、女性版の『オリバー・トゥイスト』を予感させながら、物語は始まる。ただ、ディケンズのような性善説ではなく、また、社会正義を唱えているわけでもない。ディケンズとは、同じ風景を描きながら、まるでポジとネガのように違っている。

前半の安っぽいゴチック小説風の、もったいぶったゆったりした書き出しが、徐々にスピードアップしていき、あれよあれよという間の、大どんでん返しの連続の果てに、物語は思わぬところにランディングするのだが、陰鬱な古いお城から、貧民窟の雑踏まで、つまり、小さな小川でしかないテムズ川の源流から、木片、布の端切れ、コルクなどさまざまなゴミの破片でおおわれている河口のロンドンまで、物語は、二人の主人公の視点を通して、19世紀ビクトリア朝のイギリスの路地と雑踏、そして田舎道を駆け抜けていく。

まあ、最初のどんでん返しは、途中で展開が読めてしまったけれども、それでも、第一部が終わったところで、誰もがため息をついてしまうだろう。予想がついたはずの展開を、しっかり描きこみ、読者に衝撃として伝える作者の筆力は確かだ。

主人公たちの心の動きもいいね。
愛することと憎むこととは、相手に対して強い執着を抱くという意味では、意外に近しい感情だろうし、自由を望む気持ちと、束縛へと惹かれていく感情というのもそれほど相対する感情でもないだろう。
そして、愛情と憎悪、自由と束縛の絡み合いこそ、エロティシズムに他ならない。いいね。思いっきりエロくって。

思いっきりエロくって、加速度的に物語の展開が早くなり、最後に妙な感触のハッピーエンド(?)で終わるところなんか、アルモドバルの傑作映画『アタメ』を思いだしてしまった。別にストーリーが似ているというわけではないけれどね。エンディングの後の心に残る感触が似てます。

最後のエンディングはいいね。
ネットの読書評をいくつか読んだんだけど、エンディングに難を唱える意見が結構、多いね。そうかなぁ。
作者は自分の快楽原則に非常に忠実だと思うよ。作者のウォーターズって、まず間違いなくレズビアンの人だと思うけど、二人の主人公が、過酷な運命に翻弄されながらも、何故か肉体的にはどうやら純潔が保たれているらしい、あるいは、作者自身はそのことについて書くことを拒んでいるという、ちょっと違和感を感じつつ読んできた設定が、エンディングに来てすっかり納得できた。要するに、この百合百合のエンディングが書きたかったんでしょ。
スケベじじいの伯父の蔵書同様、この作品そのものが、実は作者の妄想の産物なのだよということが暗示されていて、とてもよいエンディングだと思った。だって、所詮、小説じゃないの。

と、まあ、若干ネタばらし的なことを書いてしまって、ちょっと申し訳ないとも思うけど、面白いです。お勧めです。
みんなも株とかネットばっかりやってないでさ。本を読んだり、映画を見たり、恋愛したり、旅行したり、いろいろなことをした方がいいよ。人生は一度っきり。クールでエロい人生が一番!

2005年01月03日15:16





徒然なるままに。。。

みくろさんへ

レスポンスありがとうございます。

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以前の日記で、「なにごとも余所ながらに見る」の件は、なるほどーと思いつつ座右の銘としていいなぁと思ってネットで探しましたが詳細わからず、代わりに「双六の上手」なんかが出てきました(無知なんですわw)。これもまさに株にうってつけな話だなぁなんて思いました。
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うろ覚えで、いい加減に引用してますからね~。すみません。(^_^;)
徒然草のどの段にあったのかなと自分でも気になったので、ちょっと調べてみました。今は、ネットで簡単に検索できるのでほんとに楽ですね。以下のサイトで調べてみました。

http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~eguchi/pdd/turedure.html

確か田舎ものを小馬鹿にした段で出てきたんだよなと思いつつ、「田舎」をキーワードにして、検索をしてみたところ出てきました。第百三十七段ですね。「花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは。」で始まる有名な段です。

問題の個所を引用してみます。

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すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ネヤ)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好(ス)けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(ナホザリ)なり。片田舎(カタヰナカ)の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本(モト)には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌(レンガ)して、果(ハテ)は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉(イヅミ)には手足さし浸 (ヒタ)して、雪には下(オ)り立ちて跡(アト)つけなど、万の物、よそながら見ることなし。(第百三十七段)
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というわけで、兼好の言葉は、正確には、「なにごとも余所ながらに見る」と教訓を肯定文で語っているのではなくて、田舎の人は「万の物、よそながらに見ること」はしないという冷ややかな皮肉の言葉として出てきてます。

高校生の時、この段は、日本的な「わび・さび」の美学みたいな説明を教師がしていたような記憶があるのですが、今読み返してみるとまったく違う印象を受けました。
もっと毒気に満ちてるね。吉田兼好って、全然枯れてないな~。
仏教的無常観とか、なんのこっちゃという感じだな~。
だいたい、この段、「都の人」と「片田舎の人」とを、感性という視点から悪意に満ちた差異化・差別化しようという試みでしょ。みやこびと兼好の面目躍如ですね。
ツービート時代のビートたけしの田舎者いじめ漫才って感じかな、これ。
まあ、あえて言えば「元祖クール」って感じでカッコイイです。

人生はクールに楽しめってことでしょ。
花見で群がって酒を飲んで大騒ぎをしたり、自分たちの持ち株が上がると躁状態となって熱狂したりするのではなくてさ。

「双六の上手」の段、これも検索して見つけ出しました。
株式投資にも繋がる話で、大きく頷いてしまいました。

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双六(スゴロク)の上手(ジヤウズ)といひし人に、その手立(テダテ)を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾 (ト)く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目(ヒトメ)なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。 (第百十段)
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「一目なりとも遅く負くべき手にうつべし」って、まったくその通りだと思います。
相場格言のたぐいって、なに言ってるんだかわけがわかんないのが多くって、あんまり好きじゃないんだけど、これはリスクヘッジの教えとして、凄く実践的だと思います。よく考えて、咀嚼してみたい。

2005年01月04日14:59





『徒然草』(吉田兼好)

さっき書いた記事で紹介させていただいた「徒然草」を全文掲載しているHPで「徒然草」全段を一気に読みました。全段読んだのは初めてです。

http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~eguchi/pdd/turedure.html

いや、面白い。徒然草ってこんなに面白い本だは思ってもいませんでした。
仏教的無常観とか、全然違うじゃん。兼好って、クールで知的で女好きで、これからは俺のココロの師と呼びたい。(*^_^*)

「つれづれなるまゝに、日くらし」で始まる有名な序段のすぐ後、第三段でいきなり「色を好まない男なんて、だ~めだめ」な~んて話が出てくる。こんなの学校で教わらなかったぞ。全文引用してみよう。

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万(ヨロヅ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵( サカヅキ)の当(ソコ)なき心地ぞすべき。
露霜(ツユシモ)にしほたれて、所定めずまどひ歩(アリ)き、親の諫(イサ)め、世の謗(ソシ)りをつゝむに心の暇(イトマ)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
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次に俺様訳だ。

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いくら仕事をちゃんとこなす奴でもさ、女好きじゃない男なんて、穴の空いたグラスみたいなもんだよ。もう全然つまんないぜ。
朝露浴びてさ、腰ふらふらの朝帰りで、親から小言言われるわ、近所の奴らからは陰口言われてさ、そんでも全然気になんなくってさ、ちんちんがでかくなってムラムラ寝付けない夜なんてのもさ、なんにもない人生よか、よっぽどいいぜ。
でも、あんまりのぼせ上がって、女の子から「ばっかみたい」とか言われないようにするのも大事だけどな。ステイ・クールだぜ。
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突っこみどころ満載。考え込まされたり、笑わさせられたり。第百十七段を引用してみます。

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友とするに悪(ワロ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇(イサ)める兵(ツハモノ)。六つには、虚言(ソラゴト)する人。七つには、欲深き人。
よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(クスシ)。三つには、智恵ある友。
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いいねえ。「友情とは何か」なんていう理念やきれい事には何の関心もないわけね。よい友達って「ものをくれる人」なんだって。もう最高だよ。徹底的な功利主義だ。
友とするのに悪き人で、「虚言癖のある人」というのは容易に理解できるけど、「病なく身強き人」も良くないなんてのは、いろいろ考え込まされた後で、「ああ、なるほどな」と納得できたりする。
ポップでクールで、その上、深い。人生の達人って感じだね。

最後の二百四十三段。俺様訳で紹介してみます。ちょっといい話です。

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8才の時、オヤジに聞いたんだよ。「お父ちゃん、仏さまってどんなものなの」そしたらオヤジが「そうだな、仏さまってのは、人間がなるものなんだよ」って。「それじゃあ、人間はどうやったら仏さまになれるの」って聞いたら、また、親父が言うわけ。「仏さまの教えを学んだら、仏さまになれるんだよ」って。だから、また聞いたんだ。「じゃあ、教えてくれる仏さまはどうやって仏さまになったの」そしたら、オヤジがまた答えるんだよ。「その人もまた、それより前の仏さまから教えを受けたんだよ」それでまた聞いたんだよ。「じゃあ、一番最初の仏さまは、どうやって仏さまになったの」そしたら、オヤジ、「う~ん。空から降りてきたか、土から湧きでるかしたんじゃないか」って言って大笑いさ。「せがれに聞かれて答えられなかったよ」ってみんなに話して面白がってたぜ。
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2005年01月04日20:49   





『一葉語録』(樋口一葉)

株のブログなんだか、何のブログなんだか、訳が分かんなくなりつつある今日この頃の俺様のこのブログなのだが、訳わかんなくなりついでに、また株とは無関係の事を書きたい。

今、樋口一葉の『一葉語録』という本を読んでます。これが本当に素晴らしいです。『一葉語録』と言っても、別に一葉の名言や発話が書かれた本というわけではなくて、一葉の日記や手紙をテーマ別に編集したアンソロジーです。樋口一葉というと「たけくらべ」しか読んだことがなかったんだけど、ああした密度の高い作品を生む背後にある一葉の「深さ」を知ることができて感動しました。

明治のいわゆる擬古文は、読みにくくって、結構辛いのだが、内容を過不足なく捕らえた全訳と解説が付いているので、読みにくいテキストは、どんどん現代語訳を見てしまえばいいんで、それほど苦痛に満ちた読書にはならないと思う。もっとも一葉の原文の方がはるかに深く、そして感動的だけれどね。

日本語って本当に美しい言語だよ。

一葉の必死さと気高さが感じられて思わず泣きそうになった一編の冒頭のあまりに美しすぎる一節を引用しておこう。

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道徳すたれて人情かみの如くうすく、朝野の人士私利をこれ事として、国是の道を講ずるものなく、世はいかさまにならんとすらん。かひなき女子の何事を思い立ちたりとも及ぶまじきをしれど、われは一日の安きをむさぼりて百世の憂いをせらずものならず。かすか成といへども人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生いとはず天地の法にしたがひて働かんとする時、大丈夫も愚人も男も女も何のけぢめか有るべき。
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この時、一葉22歳。東京の吉原の近くに開いた駄菓子屋の経営がうまくいかなくなり廃業を決意し始めた頃。時代は日清戦争開戦前夜。いよいよ日本が怪しい時代に突入していく直前の時期である。
この後、国家に対する憂いの念の表明が続くのだが、その中の「わがこころざしは国家の大本にあり。わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のえじきに成らんと期す」という大げさだが真摯な一文が胸を打つ。

2005年01月19日00:56





『情報鎖国・日本』(高山正之)

ふ~ん、というのが一読後の感想。

これが「真実の書」なのか、それとも、一種の「トンデモ本」なのかは、もう少しじっくり検証してみないと何とも言えない。でも、とても面白かったよ。

「2:いつまでも何度でも戦後賠償」「3:日本語教育・創氏改名は恨まれることか」あたりは、章タイトルを見ただけでだいたいどういう内容なのかは分かるし、まあ、ネットのあちこちで、毎日のようにどこかの誰かが書いてる話なので、今更という感じで読み飛ばしていった。(^_^;)

「目から鱗」だったのは、東ティモール独立問題について書かれている「5:仕組まれたインドネシア悪玉説--東ティモール問題」という章である。
シャナナ・グスマンというポルトガル語の名前を持つポルトガル人との混血であるらしい風貌の独立派のリーダーを、朝日新聞だけが「グスマオ」と表記することには気がついていた。しかし、これはまた例によってあの新聞の馬鹿馬鹿しい「現地での発音主義」なんじゃないかと思って特に気にもかけなかったのだけれどね。そうか、こんな意図があったのか。驚いたよ。(詳しくはみんな自分で読んでね。)
インドネシアが、いわば国際的な罠に掛けられた東ティモール独立までのいきさつは、おそらくここで書かれているとおりだろう。あまりにつじつまが合いすぎるので、逆に嘘くさく思えるほどだが、しかし、高山氏が書いている説明は、整合性があり、非常に説得力と思う。

ヨーロッパ人がカリブ海の島々で、数百万、数千万単位のインディオの大虐殺を行ったこと、オーストラリアで白人が20世紀の初頭まで、まるでキツネやウサギを撃つように、アボリジニーを撃ち殺して楽しんでいたことなどの指摘も、まあ、僕はラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』など、いろいろ読んで「知って」いたけれど、もし知らない人が読んだら衝撃を受けるのではないでしょうか。「えっ、ほんとなの」なんて言ってる平和ぼけ日教組教育ぼけの人は、是非、この本を読んで欲しい。

マハティールの「日本なかりせば」という世界歴史フォーラムでの講演は、名前を聞くばかりで、どんな内容なのかは知らなかったのだけれど、今回、初めて読ませてもらった。

なるほど、こんな内容の講演を日本のメディアはいっさい報道しなかったわけか。そりゃ、世界中から馬鹿にされるわ。(-_-)

「基本的には納得。一部、眉唾ながらも納得」というのが、この本を読んだ僕の全体的な感想なんだけど、ひとつだけ、これは高山さん違うと思うよ思ったのは、ビルマのネ・ウィン政権に対する過大評価。アウンサン・スーチーが本当にビルマの希望の星なのかはともかく、ネ・ウィンって、ビルマの人からほんとに嫌われてますよ。僕はかの地に何度か行ったことがあるので、そのことは実感しています。
彼の鎖国政策を「山岳民族との戦いを続け」「中国支援の共産ゲリラとも戦い」「やっとビルマ人の国を取り返した」と正当化するなら、北朝鮮の金日成・金正日政権だって正当化しなきゃいけなくなると思うよ。ネ・ウィンは自分の政権を維持したかっただけでしょ。

ただ、アメリカを中心とする西側諸国による、ビルマへの徹底的な孤立化政策が、独裁政権に圧力をかけるための人道的な理由などではないという点は同感である。
実際、ビルマよりも、サウジアラビアの方が非民主国家だし、イスラエルの方が非人道的な民族差別国家なのだから。
ビルマが、その2カ国ほどの恩恵をアメリカ合衆国から受けることが出来ないのは、石油も取れないしユダヤ人国家でもないためだろう。


さて、この本が、中国批判や朝日新聞批判の他の「トンデモ本」と一線を引いているのは、「反日」の背後にいるアメリカ合衆国の存在をきちんと指摘できていることでしょう。

日本の反日メディア・反日教育組織と中国・韓国・北朝鮮によって形成された極東の「反日ネットワーク」の影のプロデューサーは、実はアメリカ合衆国だ。
東アジアが一体化するのではなく、お互いが排外主義でいがみ合ってくれた方が、アメリカ合衆国にとっては都合がいいわけだからね。
朝日新聞は、言ってみれば踊らされているだけ。「反米・媚中」の本田勝一や筑紫哲也にしたところで、実はアメリカ合衆国の強大な掌の上で、踊っているだけなんだろうな。

世界は限りなく悪意に満ちているね。

2005年03月03日00:29  





『福沢諭吉の真実』(平山洋)

福沢諭吉の『福翁自伝』は僕の最も好きな本のひとつだ。神も仏もクソ食らえ、門閥制度は親の敵と嘯くゆきっつぁんは、もう圧倒的にかっこいいね。コドモの歴史の教科書だと、江戸時代は暗黒の時代ということになっているけど、こんなにも好奇心旺盛で、こんなにも知的な柔軟さを持つ、こういう人物を育んできた江戸時代って、精神面ではとても豊かな時代だったのだと思うよ。

中津奥平藩での幼少時代、長崎遊学、大阪の適塾での死にものぐるいのオランダ語修行。一つ一つのエピソードが、何度読んでも面白くて、そして、読むことによって大きなエネルギーを貰える。ところが、後半になって、福沢諭吉が「偉い人」になっていくにつれて、だんだん面白くなくなっていくんだよな~。羽が生えているみたいに自由に軽々と宙を飛んでいた精神が、時代の重力に引っぱられて、地べたに引きずり下ろされて行く過程のようで、じつは、いつも途中で読むのを止めてしまう。江戸時代は自由だけど、明治は重たいのだ。勝海舟の自伝『永川清話』を読んでも同じことを感じてしまうね。明治は重たく、そして不吉だ。

『福翁自伝』同様、福沢諭吉の業績も、後半になると非常に怪しいものになっていく。日本のアジアへの植民地支配を煽ったとされる「脱亜論」は悪名高いが、自由な精神の持ち主であった福沢が、何故、晩年には、あんなにも単純な天皇主義者になってしまうのか、非常に不思議に思っていた。平山氏も引用しているが、日清戦争での勝利を「豚狩り」に喩えているとんでもないパッセージがあるね。

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支那兵の如き(中略)日本人の心に於いては本来対等の敵と認めず、実は豚狩のつもりにて之を遇したるほどの次第なれば、外国の評判に対しても密に汗顔の至りに堪へず。
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さて、今回、平山洋氏の『福沢諭吉の真実』というこの本を読んで、長年不思議に思っていたことが、ようやく氷解したね。なあんだ、そういうことだったのか。

結論を書けば、晩年の福沢の筆とされる「時事新報」での社説のほとんどは、福沢自身の筆ではない。
「福沢諭吉伝」の作者であり、初期の福沢諭吉全集の編者である石川幹明の筆である。
このあたりの事情を突き止めていく過程は、推理小説のようで、めちゃくちゃ面白い。
ただ、平山さんの文章、ちょっと読みにくいな~。真面目な人で、すごく誠実に仕事をしているなということはとてもよく分かるんだけどね。煩雑なテクストクリティークの作業を、面白い魅力的な文章で書けというのは難しいのかもしれません。また、所々で引用されている福沢諭吉の自由闊達な名文が、あまりにも素晴らしいので、それに挟まれてしまうと、平山氏の文章がどうしても負けてしまうというのは仕方ないのかもしれない。まあ、福沢には勝てませんって。

さて、とはいうものの、植民地主義者福沢諭吉の名前を決定づけた「脱亜論」は福沢自身の筆である。ここでの福沢は、明らかに支那や朝鮮に対する嫌悪感を示しているように思えるが、これはどういうことなのだろう。

平山氏は、まずこの記事が発表された1885年3月16日という日付において、この記事がどのような意味を持っていたか、そして、当時の読者にはこの記事がどのように受け取られたかを考えてみなければいけないという。

1984年の末、朝鮮では、日本の明治維新に倣って、朝鮮独立党が開化政府を樹立し、清国との従属関係の廃止、人民の平等権を確立した。しかし、この独立党の政権は清国軍の介入によって、数日で瓦解してしまう。独立党への清国軍の弾圧は過酷であった。政変の首謀者だけではなく、父母妻子までも、無惨にも処刑した。

朝鮮から慶應義塾への留学生を受け入れ、朝鮮独立党への支援活動を行っていた福沢の「心身柔弱なる婦人女子と白髪半死の老翁老婆を刑場に引出し、東西の分ちもなき小児の首に縄を掛けて之を絞め殺すとは、果たしていかなる心ぞや」という怒りの言葉は、容易に共感できるものだ。

そうした流れの中での「脱亜論」であり、支那朝鮮を「悪友」と呼び、悪友とは「謝絶」するべきだと主張する福沢が、支那朝鮮への植民地支配を煽っているとは、どういう読み方をしても読めない。彼は支那朝鮮に対する嫌悪感と絶望を表明しているのであり、植民地支配どころか、あんな国々に進出しちゃいけませんと警告しているように読める。
そして、福沢が1884年に示した支那朝鮮に対する嫌悪感は、じつは2005年の日本人も容易に共感できる性質のものだろうな。

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左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。
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ある思想家の著作を研究するにあたって、まず、きちんとしたテクストクリティークを行うのは当たり前のことだと思うのだが、福沢諭吉研究においては、そうした基本的なことすら、どうやらこれまでまともに行われてきていないらしい。驚きである。そして、作品が書かれた時代のコンテクストの中で、福沢の主張を理解しようする努力を、まったくはらうことなく書かれてきた、あの膨大な福沢諭吉に関する著作群は、いったい何のためにあるのだろう。

福沢諭吉に対して、こんなにも歪んだ肖像を作ってしまった背景にあるのは、もちろん、日本の歴史学の歪みだろうね。

2005年05月29日14:06





『失踪日記』(吾妻ひでお)

面白い!

吾妻ひでおってわりと有名な漫画家だよな~、失踪してホームレスみたいなことしてたんだ~という驚きと、新幹線の中で読むのに、漫画って頭使わなくていいよなと思って、駅構内の書店で買ったんだけどね。こんなに面白くって、そのうえ、ずしんと読み応えのある本だとは予想もしていませんでした。

すらすらっとかる~く一読してしまえるんだけど、読後感は、妙に重たい。いや、重たいという表現は適切ではないな。重たいけれどポップというか、軽いけれど深刻というか、そう、妙にリアルなんですね。

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この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いていきます リアルだと描くの辛いし暗くなるからね
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と最初に書かれているが、でも、十分にリアルだと思う。リアルな現実が、吾妻氏のまるっこいタッチの可愛らしい人物像で描かれていて、深刻だけど、妙にポップであり、そして明るいのだ。自殺未遂の話までもが、飲みかけのコーヒーを吹き出してしまいそうになるほど、笑える。

自殺するつもりで山に向かったのが、食べ物を探し、暖を求めて腐った毛布を拾い、寝場所を確保しと、徐々に「生活」が出来上がっていく過程が、すんばらしく面白い。

畑で野生のダイコン(?)を拾ったりするんだけど、一方で、人様のものを盗んではいけないという倫理観は持ち合わせていたりするのが、凄くリアルな感覚だと思う。妙に、感覚が「日常」的なのである。

要するに、この漫画は「ある日常」の記録なんですね。漫画家としての生活と、ホームレスとしての生活との間に、決定的な断絶があるわけではない。その閾はいつのまにか越えてしまうことができるような軽~いものなんだな。
もちろん、漫画家だけの話ではない。明日の朝、いつも乗っている上りの電車ではなく、ふと下りの電車に乗ってみただけで、もしかしたら、全然別の「日常」に遭遇するのかもしれない。それは転落でも、人生の失敗でもなく、ちょっとした横滑りなんだろうな。

2005年05月29日14:09   





『ひめゆり忠臣蔵』(吉田司)

ひめゆりの語り部たちについては、吉田司が1993年の『ひめゆり忠臣蔵』の中で、こんなふうに書いている。

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そう、私たちがいま見聞するひめゆりの物語とは、冷徹な歴史の証言というよりは、生き残った者たちが余りにテープレコーダーみたいに語り過ぎて話が様式化し、いささかお芝居じみてきた「定番悲劇」といってよかろう。学徒隊の乙女たちが砲火の中に次々と倒れていく段になると、「いよっ、大統領!!」とか「待ってましたッ!」などと声をかけてやらないと可哀想な国民的「反戦」教訓劇、つまりは戦後民主主義の十八番のストーリー、「ひめゆり忠臣蔵」とでも呼ぶべきものになってしまった。
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でね、錆びついた戦争遺品の前でこーした語り部オバさんの活弁を聞き、<悲惨な戦争体験を継承した>というお墨付きをもらなわいと、ナンダカ人生を真面目に考えていないような、安心してあのエメラルド・グリーンの海辺で遊んじゃいけないような、妙~な倫理的態度が日本人の身についてしまった。「日光を見ずに結構というな」の類で、「ひめゆりを見ずにスキューバ・ダイビングするな」と怒られそうだから、結構若い男女の観光客も訪れて、ひめゆりってのは沖縄観光の厄払いみたいな役割をはたしているのだ。
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僕の手元にあるのは、この本の初版。このあと、この本は、沖縄関係者からの抗議を受け、書き直しを迫られているはずので、現在出版されている『増補新版:ひめゆり忠臣蔵』にも、この一節が残されているかどうかは知らない。
しかし10年以上前の吉田司の指摘は今も有効だと思う。

事実、沖縄戦の歴史、そして、戦後「ひめゆり」が聖化されていく過程を丹念に辿っていけば、『「汚れなきひめゆり少女」は壮大なフィクションだった!』というこの本の帯の言葉が、何の誇張でもないことが分かる。1953年に今井正監督による映画『ひめゆりの塔』が封切りになるまで、本土はもちろん、ほとんどの沖縄の人たちも「ひめゆり部隊」なんて言葉は知らなかったという。

女子学徒隊は別に一高女の「ひめゆり」だけではない。二高女の白梅隊、首里高女の瑞泉隊もいる。沖縄戦では、女子学徒隊が重症患者に対してモルヒネ注射を打たされたり、沖縄人女性の日本軍人からのレイプ、あるいは慰安婦化などの証言も残っている。その一方で、沖縄女性のエリート中のエリートである一高女の「ひめゆり」だけは、先生と生徒の美しい師弟愛の中、平和を願って、汚れを知らないまま死んでいったという。本当だろうか。
戦争には、生き残った者たちにとって、語ることの出来ない暗部があるはずだ。そもそも戦争体験とは語り継ぐことが出来るものなのか。そして「汚れを知らない乙女」として神話化された体験を語り継ぐことで、果たして本当に反戦のメッセージが伝わるのだろうか。だいたい、彼女たちは本当に無垢なる被害者なのか。

大宅壮一は「沖縄の靖国神社ともいうべき『ひめゆりの塔』」と書いているけれど、戦争での死者たちを無垢なる存在として神聖化していくことにより、生き残った者たちを浄化していく聖地であるという点で、「靖国」と「ひめゆり」は同じ機能を果たしていると言えるかもしれない。
もっとも、こんなことを書くと、「右」からも「左」からも非難を受けそうだけどね。
でも、「靖国=ひめゆり」って、案外、ヤヌスの両面のような存在なのかもしれないぜ。

吉田司のこの本の中で、午前二時の那覇の飲み街で、泡盛に酔った男が笑いながら語る印象的な一節がある。

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「そんなもんさ、語り部の話なんて。偉大なるマンネリ女優(笑)。だって彼女らはさ資料館に来る大勢の観光客の前で連日"真実の証言者"という役を演じている老女優なんだから。名女優だよ(笑)。そうでなきゃ、ドーシテ何百回も同じ話繰り返してその度に涙流せるわけ?人間いくらなんでもそう毎回毎回泣けるわけないじゃないの、演技でなければ」
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こういう話は、昼の光の下で、あるいは、テレビや新聞などのマスメディアの場で語られることはない。闇の中、声を潜めて、シニカルな笑いと共に、こっそりと語られ続けているだろう、今も。

僕自身、ずっと以前に、ひめゆりの語り部たちの話を聞いたことがある。語り部の女性の、鬼気迫るほどのエモーショナルな語りに涙ぐんでいる人たちもいるにはいたが、一方で白けた様子の人たちもいた。僕はなんだか空々しいものを感じて、その場にいることが辛くて席を外した。boringだったよ。もちろん、だからといって、(青山学院の入試の英文の一節を借りるが)「彼女の言っていることが無意味だったというべきではない。」が。

2005年06月17日23:37





『哲学講義』(ポール・フルキエ)

游さんへ

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Pフルキエ著「哲学講義」(フランスリセの哲学教科書)を翻訳したものが全4巻で筑摩からでてたのを若い頃読んで非常に感銘を受けた記憶があります。
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ああ、筑摩らしい格調高い白い表紙の4巻本だったあの本ですね。最近文庫になってるのを見かけました。懐かしかったな。

僕も高校2年生の時に読んでました。フランスの高校生には負けられね~よなとか思いつつ、つまんない授業の時に、下線を引っぱりながら、最前列の席で読んでたな~。

まあ、高校の授業はほとんど全部つまんなかったので、ほぼ全ての時間を読書にあててましたね。
もの凄いスピードで本を読んでたな。当時の読書ノートみたいなものが出てきたので、先日眺めていたら、月曜日にリルケの『マルテの手記』を読破して、火曜にラディケの『肉体の悪魔』、水曜はソルジェーニーツィンの『収容所群島1』、次の日はフランスの詩人アポリネールの官能小説『一万一千本の鞭』。。。といったペースで雑多な本をがんがん読んでるんで驚いてしまった。あの勢いはいったいなんだったんだ!

放課後は映画館に入り浸りだったし、女の子とデートもしてたな~。ジャズ喫茶でタバコ吹かしてた記憶もあるし、水泳部の練習も結構熱心に参加していたはずだし、勉強も一応それなりに。。。
どう考えても、あの頃は一日が40時間くらいあったとしか思えないのですね。

そんなふうに、いろんなことをもの凄い速度で雑多に吸収していた時期に、一行一行丁寧に読み、立ち止まり、考え、また次の行へと読み進むという、もの凄く密度の濃い読書体験をさせてくれたのが、フルキエが書いたフランスリセの教科書『哲学講義』です。
フランスでは、文系の高校生の最終学年はたしか「哲学学年」と呼ばれているはずで、週6時間だか8時間だか、ともかく大変な時間が哲学に当てられるという。
そうした密度の濃い思考訓練の場のための教科書は、日本の教科書のどの科目のものともまったく違っていた。
「感覚」「認識」「理性」。。。そうしたそれまであまり深く考えないで使っていた言葉について、一つ一つ明確な定義が施されていくプロセスは、それまでまったく経験したことのない新しい世界で、ワクワクする思いで読んだ。
ひとつひとつの言葉の意味が、より鮮やかに感じ取れるようになるにつれて、世界そのものが、よりリアルで明晰なものに、その姿を変えていくかのように感じられたね。


ここまで書いたところで、もしかしたら書庫にあの本が残っているかもしれないなあと思って、今探してきたのですが、ありました!

いや、懐かしいわ。

今、「認識1」を開いていますが、全てのページにサイドラインが引いてあり、欄外に細かい字でいろいろ書き込みがしてある。何を言いたいのか意味不明な書き込みも多いのだが、この本のどこに反応してサイドラインを引いているのか、どんな言葉を使って自分の考えをまとめようとしているのかを探っていくと、この少年がその当時何を思っていたのかは、何となく分かる気はする。だって、こいつ俺だもん。

「注意を向けたいと思う方向になかなか集中できない→無意識の欲望」

なんて書き込みはほほえましいね。「無意識」という概念を知り始めたばかりなんだろうな、このクソ生意気な16歳のガキは。
「無意識の欲望」だってさ。具体的にはどんなことを念頭に置いて書いた言葉なんだろう。
16歳のガキにとって、「欲望」の99%は性欲だったはずで、それを知識欲に転化していく方法を、もしかしたら必死で模索していたのかもしれない。
こいつ、なかなかいい奴じゃん。

「言葉により、言葉の意味を知ることの限界。限界を越える方法」

うん、この書き込みは、ちょっとどきりとするね。なんか凄いことを考えてるじゃないか。

人間と動物とをきっちりと峻別した上で、動物は「経験的認識」だけを持ち、人間は「経験的認識」と「理性的認識」と考える西欧における伝統的な世界観の説明の部分には、かんなり不満があるみたいで、クエスチョンマークがいっぱいあちこちにつけられた上、

「この説明では、サルもトカゲも同程度の認識能力を持つことになる」

なんて、欄外に書き込まれているので、笑ってしまった。
わはははははははっ。まだまだ青いわ。
西洋思想史とかをきちんと学んで、西洋形而上学の暴力的な合理主義を、もっとしっかり理解した方がいいぜ。
まあ、実際、そうした勉強をする機会は、この少年にまもなく訪れるのだが。


大学に入ってから、フルキエの教科書はフランス語で読んだ。
そして、「感覚」とか「認識」といった言葉が、フランス語では決して哲学用語なのではなく、日常的な語であり、つまり彼らは極めて日常的な言葉で、哲学的思索を行っているのだと知った時には驚愕したね。

2005年07月27日02:19





<反>哲学教科書:君はどこまでサルか?(ミシェル・オンフレ)

ポール・フルキエによるフランスのリセで使われている哲学教科書について以前書いたことがある。認識、理性、感性...そうした言葉の定義を一つ一つ進めていきながら、思索を進めていくフルキエの教科書を、高校生の頃、一文一文舐めるように考えながら読み進めていったのは、懐かしい思い出である。翻訳が今ひとつなのがちょっと辛かったんだけどね。(^_^;)

フルキエの教科書の翻訳が出てから四半世紀だが、現在のリセの教科書の一冊であるミシェル・オンフレの『反哲学教科書:君はどこまでサルか?』を、この夏、沖縄本島で、雨の日の午後に、一気に読んだ。面白かった。出来れば高校生の時に読みたかったなあと思ったよ。こういう哲学書がフランスではベストセラーになってしまうというのはやはりちょっと凄いと思う。

各章のタイトルをずらっと並べてみるだけで、フルキエの教科書との切り口の違いは一目瞭然である。ちょっといくつか拾い上げて並べてみよう。

「君たちはなぜ、校庭でオナニーをしないのだろう?」
「君たちにはサルな部分が多く残っている?」
「100歳近いナチスの残党を裁くのは有益だろうか?」
「最低給与生活者は現代の奴隷だろうか?」
「大統領になるには、どうしても嘘つきでなければならないだろうか?」
「なぜ君たちの学校は刑務所みたいに作られているのだろう?」
「君たちは6,7歳のころ、両親のベッドで何をしようとしていたのだろう?」

タイトルは一見すると奇をてらったもののように見えるかもしれないが、内容は極めてオーソドックスだ。哲学における主要テーマを、高校生の興味を引くと思われる視点からシャープに語り、高校生が自らの力でものを考えることが出来るように配慮されている。

どの章もそれぞれ感心したが、特に、マルセル・デュシャンについて論じられている「いつの時点から小便器は芸術作品になる?」という章は、現代芸術についてのとても明晰かつコンパクト、そしてクールな紹介となっていることに感嘆した。

マルセル・デュシャンって名前は知らない人でも、展覧会に、衛生器具メーカーが大量生産している男性用小便器に「泉」というタイトルで署名をつけて出品しようとしたり、モナリザの複製画に鉛筆でヒゲを書き加えて、自分の作品として出品したりした人っていうと、まあ、皆さん、ああ、あの人かと分かると思う。それではデュシャンのパフォーマンスは現代芸術に何をもたらしたのだろう。

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他の人々が神という観念に死をもたらしたように、デュシャンは「美」に死をもたらしたのだ。この芸術家以後、もはや芸術に接する時に美の観念を念頭に置くことはなくなった。念頭に置かれるのはむしろ意味、意味作用だ。芸術作品はもはや美である必要はなくなり、むしろそこに意味が求められるようになっている。
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というオンフレの指摘は、「ああそうか、なるほど」という感じで、目からウロコである。簡潔な説明だけどしっかりポイントを突いていると思ったよ。難しいことを分かりやすく説明するためには知性が必要である。
そう、デュシャン以降、芸術は単に鑑賞するものではなく、知性で考えるものになったのだ。高校生に現代芸術について説明する上で、これ以上に明晰なまとめ方ってちょっと考えられない。難解で意味不明の日本人の学者が書いた現代芸術論などとはまったく知性の水準、教養の深さが違うと思うよ。

さて、特に興味深く読んだのが「暴力に訴えてもよいのだろうか?」というタイトルの一章である。
暴力を肯定することが出来るかという問いに対して、オンフレはまず冒頭の一行で「そう、時にはそういうこともある」と暴力の意義を肯定する。ここで言う暴力とは、個人と個人の関係、あるいは国と国の関係において、必然的に生じうる緊張に対しての一つの解決策である力の行使のことであり、個人間の喧嘩から国家と国家の戦争までのあらゆる力の行使を含んでいる。

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非暴力を絶対的な原理とすることは、相手側があらゆる手段を講じることをアプリオリに認めてしまうということだ。世界が理想的であったなら、暴力という極端な行為に走る必要もなかったはずだ。けれども世界はそうなっていない。
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と、まず非暴力を絶対原理とするような理想論を、非現実的な机上の空論として退ける。しかし、だからといって、暴力が解決策になるとは即断していない。

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ところが残念なことに、この暴力という手段に訴えてしまえば、敵対するどちらかが壊滅するまで止まることのない、ある動きが生じてしまう。
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暴力が、暴力の連鎖を生む恐れがあることを指摘した上で、

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つまり、暴力は問題を解決するかに見えて、実際には問題を別の場所に移し替えたり、問題を増やしたりする。誰も、何も、歴史を生み出す暴力からは逃れられない。
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と結論づける。つまり、暴力は不可避であるが、暴力は解決策にはならないというのだ。非常にパラドクサルな、そして、徹底的にリアリスティックな認識だと思う。非暴力を絶対的な原理とする理想主義は退けながらも、暴力が矛盾の解決を生まないことを冷静に述べている。そして、同時に歴史を形成する力が、そうした暴力であること、そこから人間が逃れられないという指摘もクールだ。
ここまで読んできて、「高校生にこんなことを考えさせるのか、すげえや」と感心してしまうのだが、オンフレの真骨頂はここからである。オンフレは暴力の回避への「強力な推進力」として「外交」に積極的な評価を与える。それでは外交と何か。誰が外交を行うのか。オンフレは書く。

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(外交の担い手となるのは)情報局やシークレットエージェント、スパイ、警察の各種専門捜査班、大使、領事、そのほか高級官僚だ。それらはたえず世界中を飛び回り、合意された説得手段の行使という範囲内で、暴力を封じ込め、その表面化を防いでいる。
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日本語の「外交」とはだいぶニュアンスが違うね。外交とは必ずしも「友好関係」への努力だけを指すのではない。外交とは言葉だ。外交とは、時に和解の言葉であり、時にののしりや威嚇の言葉でもある。

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丁寧で、礼節を重んじつつも、しっかりとしていて、明瞭で、さらには激しさをも秘めた、重みのある言葉、説明から始まって、断固たる主張、そしてののしりにいたるまで、手を出すことを避けながら問題を解決しようという善意には、実に多くの可能性が開かれている。言葉を制御できない人々、上手くしゃべれない人々、説明をつけられない人々は、暴力の餌食になることを運命づけられてしまう。
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20世紀の2つの世界大戦で、戦いには負けながらも、終戦の時には何故か戦勝国のテーブルに着くことが出来たフランスという国のしたたかさを、こんなところからも伺うことができる気がするね。高校生がこういう本を読んで勉強しているわけですよ。やっぱりすげえやと思うね。

暴力を防ぐもの、それは何よりも言葉だというのだ。「言葉を制御できない人々は、暴力の餌食になることが運命づけられている」というシビアな宣告は、オンフレ一個人の言葉というよりも、フランスという国家の歴史が語らせた言葉だと思う。

そして、今の日本の外交に関する議論の中で欠落しているのはここでオンフレが述べているような視点だろう。

憲法九条を守ることが、そのまま暴力に対する抑止力になるとは必ずしも限らないし、だからといって憲法九条を改正することが単純に日本の国防上のプラスになるわけでもない。

「謝罪とおわび」ではなく「拒絶」でもなく、だからといって、国連に過剰な期待を寄せるのでもなく、地政学的現実を冷静に直視した上で、丁寧で礼節を重んじつつも、断固と自らの立場を主張すること。結局、外交ってそういうことでしょ。
実際、日本と中国、日本と朝鮮半島において、「外交=友好関係」は地政学的に考えてもしばらくはあり得ないと思う。可能なのは、「外交=冷戦下での協力関係」であることをシビアに認識した上で、妥協と主張との接点を探ることだと思う。
ODAだの謝罪だのおわびだの、そんなものは暴力への抑止力としてはまったく機能していないのは自明だし、歴史認識や靖国問題が、外交上の凶器であることも冷静に認識しておく必要がある。

本当に東アジアの平和を願うのならば、中国や韓国に対してどのようなスパイ工作、そして宣伝活動を行うべきかとか、「情報局やシークレットエージェント、スパイ、警察の各種専門捜査班」をどのように育成していくかといった議論すらするべきだと思うけどね。
さらには、対中国要人用のコールガールを用意して、中国の政治家に接近させ、中国版河野洋平や中国版橋本龍太郎のような売国政治家を養成することだって考えた方がいいと思う。いや、マジな話だよ。
事実、戦後の一時期まで、日本って、それに近い「外交」をやっていたんじゃないの。東南アジアの某国の大統領のホテルの部屋に、銀座の某ホステスを送り込んだ話は有名だよな。

哲学的に考えるというのはどういうことなのか。高橋哲哉センセあたりも、こういう本を読んで、もう一度勉強し直した方がいいと思うね。完全に逝っちゃってるトンデモ本を書いている暇があるんだったらさ。

2005年09月03日21:35





「反日」解剖 歪んだ中国の「愛国」(水谷尚子)

久しぶりに中国関係の良い本を読みました。水谷尚子『「反日」解剖 歪んだ中国の「愛国」』である。タイトルだけを見ると書店にずらりと並ぶ、嫌韓国・嫌中国の書籍と同類だと思われそうですが、いやいや、似て非なるもの、まったく違う。そうした本とは完全に一線を画してます。

評判になってる『嫌韓流』は読みましたが、実は、僕はああいうのは好きじゃない。徹底的な反日教育を受けた世代が、ああした本をいわば「解毒剤」として浴びるのは必ずしも悪いことではないとは思うが、そこで留まっていてはいけませんぜ。「反日」から「嫌韓」に変わっただけでは、実はなにも変わってはいない。学ばなければいけないのは、現実をリアルに知ること、そして、その厳しい現実と冷静に対処していく「強い意志」と「言語能力」を身につけることだろう。ミシェル・オンフレは、それを「外交」って呼んでるけどね。
『嫌韓流』を読んだ若者達が、それでは日本の立場を世界に発信するために英語を学ぼうと決心したり、あるいは韓国の人たちとの対話を求めて韓国語を学んだりし始めるのならば、それはそれ、とっても良いことだと思うんだけど、少年少女達にそうした大志を抱かせる本じゃないよね、あれ。結局、韓国嫌いで終わってしまうんじゃないの。自堕落な自己肯定ほど見苦しいものはないですぜ。自閉した日本のメディア空間・知的空間の中だけのブームだという意味で、ある意味、韓流も嫌韓流も同じことなんじゃないのって僕は思いますけどね。

いやいや、『嫌韓流』の話をしたかったのではない。閑話休題。話を戻して、『「反日」解剖 歪んだ中国の「愛国」』である。この本と、雲霞のごとく書店にあふれかえっている嫌韓国・嫌中国の書籍との違いは何か。一言で言えば、この本にははっきりと「対話」の姿勢があるということだ。東シナ海の向こう側にある反日国家を「おぞましいもの」として拒もうとするのではなく、海の向こうにある現実を直視した上で真正面から相対していこうとする強い意志がある。

水谷さんが、この本で書いていることは、結局、高橋哲哉ならば、「亡霊のように甦る戦争の記憶」と1行で語ってしまう現実が、どのように形成されていったのかのプロセスについての多面的かつ詳細な分析である。
言うまでもないことだが、戦争の記憶とは「亡霊のように」甦るものではない。それを甦らせようとする政治的意図と外交上の狙い、そして社会背景と教育制度の問題がある。そして、さらには、戦争の記憶に固執するしかないあの国の閉塞状態がある。
そうしたリアルな中国の現実を、傍観者として眺めるのではなく、あの国の中に入り、人々との対話の中で把握していこうとする水谷さんの真摯な姿勢は本当に共感できる。

西安寸劇事件、サッカーアジア杯決勝戦反日暴動、上海日本人留学生殺人未遂事件など、すでにメディアでは語り尽くされ、消費されていった事件についての詳細な検証や、反日活動家達とのインタビュー、映画やゲームの中で記号化されていく日本人像など、さまざまな角度からの中国分析はとても興味深く、一気に読んでしまった。

確かに語られている内容は衝撃的であり、特に上海日本人留学生殺人未遂事件での、中国公安の態度、日本領事館の対応は、読んでいて怒りがこみ上げてくるくらい酷いものだとは思うが、少なくとも、この本を一読することで、中国に対する「無知から来る不安や恐怖」は一掃されるだろう。現実を直視するということはとても大切なことだと思う。中国は「恐ろしい国」だが「おぞましい国」ではない。「対話」の糸口はあるはずだ。繰り返すが「対話」とはオンフレの言う「外交」ということです。必ずしも「友好」であることを意味するわけではない。

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たとえば、日本の「左翼」友好学者と中国の御用学者が、予定調和的に戦争や日中関係に関する国際会議を開いても、両国関係の改善に対する効果は見込めないし、中国の潜在的反日意識に、正面切って向き合えもしない。中国の庶民とバトルを繰り返し、生の声を伝え合ってこそ、相互理解は生まれてくる。
それは確かに骨の折れる作業だ。だが、めげない・逃げない・諦めない。反日青年よ、かかってきなさい。私はまた、君たちに会いに行く!
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いやあ、格好いいわ~。表紙の帯にもある著者の写真は、往年のアイドル伊藤つかさのなれの果てみたいな顔をした三十代後半の婦女子なんだけど、いや、この人、顔に似合わず硬派です。

中国政府、そして、日本のマスコミ関係者や学者に対する物言いも、ずばっと真ん中に剛速球、ほんとに格好いいです。

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もし、中国政府は日本との関係を大切に思うなら、日本の実情を伝えようとしない無責任な新聞記者や学者の言を重用すべきではないし、聞きたいことだけを言う都合のよい人物とだけ「友好」を確認する外交スタイルは即時に止めるべきだろう。
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これは、中国政府への呼びかけとして書かれているが、実は日本側の「日本の実情を伝えようとしない新聞記者や学者」や「聞きたいことだけを言う都合のよい人物」に対する批判と読むべきだろうね。

「おわりに」の中の、次のような一節には、声を出して笑ってしまった。いや、何人かの知人の顔が思い浮かんでしまったんで。もっとも、この笑いを他の人も共有しうるものなのかは、ちょっと疑問ではあるが。

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中国の反日感情は、戦時における日本の加害事実のみが原因で捲き上がっているわけではないにも拘わらず、現状把握よりイデオロギーを優先する頭でっかちな人たちが、日本の中国研究の世界にはまだまだ多い。
限られた同じ縄張りの人たちとだけ「対話」をして悦に入っているのは、「左右の陣営」或いは「日中両国」、どちらにも見受けられる現象だ。青アザやたんこぶをつくって反日騒動の現場ルポを書いたり、反日青年に罵倒されながら話を聞いてきても、学術界では「馬鹿だよ、あいつ」と後ろ指を指されるのが関の山であるばかりか、『諸君!』に執筆しようものなら、「進歩的」思想を持つ昔の指導教官から破門宣告をされてしまう。
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学者の世界では、『諸君!』なんていかがわしい雑誌に原稿書いてると就職できないんだよ。信じられないでしょ。アカデミズムの世界では、実は「反日」はイデオロギーですらないのだ。ただの処世術である。
水谷さんのように、「中国の庶民とバトルを繰り返し、生の声を伝え合って」いこうとする人よりも、自分にとって都合の悪い側面はいっさい見ないことにして、妄想の平和論を唱え、岩波書店や筑摩書房、講談社から本を出版し、朝日新聞に原稿を書いている方が、アカデミックポストをつかむためには有効であることは、例えば、この本を書いている水谷さんが中央大学非常勤講師で、その馬鹿さ加減にジャック・デリダも呆れかえったという高橋哲哉が東京大学教授だったりするという事実が、あからさまに物語っていたりする。「反日」は大学教授の処世術です。ほんとだよ。


さて、それでは私たち日本人は、中国とどう接していけばいいのだろう。

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では私たち日本人は反日感情渦巻く中国に対して、どう接していけばいいのか。
「反日教育をやめろ」ではなく、より具体的な事象--「田中メモランダム」「疑わしき写真」「倭寇」・・・・・・について再考を促すなど、事実と実態をしっかり把握し、不条理な反日には一つ一つ反論していくべきであろう。自身のテリトリーの中で相手を糾弾するのは容易いが、相手のテリトリーに出て行って、こちらの主張を伝えるのは骨の折れる仕事ではあるが・・・・・・。
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しんどい話だな~。でも、それ以外に方法はないだろうな。水谷さんの意見に僕は完全に同意する。
そして、そのための前提として、まず、日本の子供たちに「田中メモランダム」とは何かを教えなければいけないし、それが何故偽書だと判断できるのかの根拠も教えなければいけない。さらには、その偽書が、中国の教科書では、歴史的事実として掲載されているという酷い現実も教えなければならない。
そして、何よりも、対話の技術を教えなければいけない。対話のためには、外国語の高い能力が必要だし、さらには、ディベートの技術、レトリックに富んだ表現力も必要だろう。

ところが、実際、そうした21世紀の世界で日本人として生きていくためには絶対に必要な「歴史的知識」や「言語的表現力」を、子供たちは、決して今の学校で学ぶことは出来ないし、テレビや新聞でも教えてもらえない。
しかし、国境を越え、ビジネスや政治、学問などの場で、中国人や韓国人と、丁々発止でやり合わなければならない場面に至った時、正しい「歴史的知識」がないということは致命的である。
今日も、歴史的無知ゆえに、日本人が世界のあちこちで「小さな敗戦」を迎えているんだろうな。
そして、そうした歴史的知識を日本人が知る場所が、2ちゃんねるしかなかったりするという現実は、本当に悲惨だと思う。「電車男」よりよっぽど興味深い「歴史男」の格闘ぶり(http://usam.blogtribe.org/entry-3ed13d8da53c34db25887aced6dcddcc.html)を、とくとご覧あれ。

2005年10月09日11:49





『大西洋の海草のように』(ファトゥ・ディオム)

久しぶりに読み応えのある小説に出会った。大洋を揺蕩う海草のような、ゆるやかにうねりそして踊る独特の文体で織り上げられていくテキストからは、書き言葉でありながら、読み進めていくうちに、確実に著者の生々しい息づかいを聞こえてくる。良い本を読んだ時に感じる作者の世界を全面的に受け入れ肯定したくなるあの幸福感の中で、僕はこの本の最終ページを読み終えた。

著者は1968年生まれの旧フランス領であるセネガル出身の黒人女性。主人公のサリは著者とほぼ等身大の存在だと思われるので、基本的には自伝だと考えて良いだろう。サリは、セネガル領の大西洋の小さな島で、非嫡出子として生まれる。因習的な村社会からは疎外され育つが、いくつかの幸運と才能に恵まれ、首都のダカールの大学に進学し、さらにはフランスのストラスブール大学で学ぶ機会を得る。

物語は、ストラスブールに住む主人公と、故郷であるセネガルの小さな村で暮らす弟とを二つの極として進んでいく。二人を繋ぐのは1本の電話線。そして話題はサッカー。物語はピッチの上を転がるサッカーボールのように、スピーディーに、そして、ファンタジックに展開し、そして、セネガルとストラスブールを繋ぐ電話線の回線のように、ノイズを交えながら一人称の肉声を伝えてくれる。

弟にとってのヒーローはACミランのディフェンシブプレイヤーのマルディーニだ。サッカー選手になってヨーロッパで栄光の暮らしを送ることを夢見ている弟にとって、村にたった一台しかない古いテレビジョンでサッカーの試合を見ることが一番の至福の瞬間。ミランの試合結果が知りたくて、わざわざフランスにいる姉に電話をかけてくることも厭わない。

移民に冷たいフランスで困難な生活を続ける姉は、サッカー選手になりたい、ヨーロッパで成功したいという弟の夢に賛成できない。富めるヨーロッパとアフリカの貧しい漁村。目もくらむほどの落差のある二つの世界が、電話線で繋がる。

いや、二つの世界を繋ぐものは電話線だけではない。このまったく異なった二つの世界のどちらに対しても、テレビの電波は平等に襲ってくる。サッカーの試合のハーフタイムに、「消費せよ」と視聴者に呼びかける豊かなヨーロッパのCMは、貧しいアフリカの漁村にも平等に映し出される。

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お母さん、わたしはいま、あなたがようやく安らかに、
ムハンマドとシモーヌ・ド・ボーヴォワールといっしょに
お茶をしている姿を思い浮かべています。
私の自由があなたのものになるよう、この下界で私は言葉の束を供えます。
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巻頭におかれたこの言葉が、この小説の世界を鮮やかに示している。

「ムハンマド」の世界観が支配する因習的なアフリカの村世界と「シモーヌ・ド・ボーヴォワール」に象徴されるフェミニズムの知。そして、筆者の背後にいるのは、アフリカの女たちだ。

バオバブの大木の下で、何代も何代も、子供たちに村の昔話や噂話を話して聞かせてきたアフリカの女たち。「それからどうなったの」と目を輝かせて、話の続きを聞きたがる子供たちの前で、魅力的な語りを紡ぎ出していったそうしたアフリカの女たちのストーリーテリングの才能を、筆者は確実に受け継いでいる。

そうした物語を語ることの巧みさに加えて、フランスの大学で学んだフェミニズムの知と文体で、グローバル化と原理主義とで汚染された世界を鋭く分析し、切り裂いていく。
筆者のテキストを織り上げるのは、2種類のまったく異質の糸だ。アフリカの伝承的なストーリーテリングと、フェミニズムの知。2種類の異質の糸が複雑に織り込まれ、魅力的でそして不思議なテキストが紡ぎ出されていく。

ムハンマドとシモーヌ・ド・ボーヴォワールが、サリの母親と共に天国でお茶をしている光景。そうした奇跡的な至福の瞬間が、読後感として確実に伝わってくる。傑作だ。

2005年10月31日02:38





『火垂るの墓』(野坂昭如)

野坂昭如の『火垂るの墓』を読んだのは、高校2年生の時だった。野坂昭如の作品はそれ以前に『エロ事師たち』を読んでいたので、この人ってそっち系の作家で、この作品もそっち系の作品なんじゃないかと勝手に期待しつつ読み始めたら、期待していたものとはぜんぜん違って、おいおいなんだよ話が違うじゃないか、エロも裸も出てこないのか、これじゃあ全然ちんちんが気持ちよくならないじゃないかと、思いつつも読み進めるうちに、やがて物語の中に引きずり込まれ、衝撃と言っていいくらいの強い感動を覚えた。

雨降りの日の昼下がりの水泳部の部室だった。午後の授業はさぼって読書タイムにあてていたのだが、最後のページの最後の一行を読み終え、ふっとため息をついた後、それまで聞こえなかったざあざあ降りの雨の音までもが異様なくらい心にしみたことが、薄暗い部室の汗のこもった匂いとともに、今も生々しく甦ってくる。

この作品があまりにも悲しくそして美しいのは、戦争の悲惨さを扱った作品だからというだけではなく、大人たちの暴力の前での子供たちの無力さ無防備さといういつの時代にも変わることのない普遍的なテーマが扱われているからだと思う。そして、なによりもあの文体である。けっして関西弁として書かれているわけではないが、言葉のうねりの中に感じられる関西弁のリズムである。文章語としては標準語にその表現の場を奪われている関西弁のあのリズムが、二人の兄妹の息づかいを確実に読者に伝えてくれる。

小説だけではなく、スタジオジブリによるアニメもとても完成度の高いもので、だから、この作品がいまさらドラマ仕立てになったからといって、本当は見たくもなかったのだが、昨日の夜の日本テレビ系のドラマ『火垂るの墓』は後半の半分ほどを見てしまった。

節子とお兄さん役の二人の子役の演技が鬼気迫るほど凄くて、思わずチャンネルを変えられなくなってしまったのだったが、二人の子役の名演を台なしにしてしまったのは、いい加減な時代考証と出来の悪いシナリオである。だいたい松嶋菜々子って必要な役だったのかね。

玉音放送を聞いた直後に「無条件降伏やて」と吐き捨てるようにほざいたおじさんが出てきたが、はて、あの玉音放送を聞いて無条件降伏という言葉を思いつくわけないと思うけどね。日本が負けたと聞いて、何故か大はしゃぎしてしまう松嶋菜々子の子供たちも妙だと思う。

いや、そんな小さなことはドラマの演出上の脚色じゃないのと、気にならない人もいると思うけれど、でも、そんな脚色なしで、リアルに「あの時代」を細部に至るまで再現しようと努力してくれた方が、よっぽど衝撃的な作品になったと思うけどね。事実、二人の子役は本当に名演だったんだから。

すでに60年前の話である。戦争でもっとも酷い経験をした人たちは、決してあの時代を語ろうとはしないだろうし、あの時代について、饒舌に語りたがる人は、意識的かどうかはともあれ、そして、程度の差はあれ、嘘をついているのだ。そもそも戦争体験者はほとんどがすでにこの世の人ではない。そして、ドラマ演出上のちょっとした脚色で、結局「あの時代」に対する日本人の「記憶」も脚色されたものになってしまうことに対しては、やはり少しは敏感であるべきだと思う。

最後のタイトルバックで、おそらくパレスチナだと思われるのだが中近東の子供たちのスナップが映されていたが、あれはいったい何だったんだろう。「今も悲惨な戦争は世界からなくなってはいない」といったメッセージのつもりなのだろうか。むしろ、現在の平和なはずの日本での幼児虐待や育児放棄によって死んでいった子供たちのスナップを並べたほうが、よっぽど強いメッセージになったと思うんだけど。いつもは優しいお母さんだった松嶋菜々子演じる母親は、戦争のために人間が変わってしまったのではなくて、戦争ではなくても大人は子供を平気で見殺しにしてしまうのだ。諸悪の根源は「戦争」にあるのではなく「人間」の側にある。


[追記]

このブログの記事は、基本的には一気に書いてそのままアップしてしまう。推敲はほとんどしない。荒削りでも、その時その時の自分の気持ちをそのまま言語化しておくと、後で「日付の付いた自画像」として読むことが出来るからね。でも、時に後で読み返してみると、わかりにくい説明になっていることに気がつくことも多々ある。

この記事についても、少し補足しておくと、

>>松嶋菜々子演じる母親

松嶋菜々子が清太と節子の母親を演じたのではなくて、二人の兄妹を一時的に預かった親戚の叔母さんの役を松嶋菜々子が演じていたわけです。ドラマは、清太と節子を第三者的な視点で見つめる井上真央演じる松嶋菜々子の娘役による一人称のナレーションの形で構成されていた。

まあ、視聴率稼ぎの狙いで、松嶋菜々子と井上真央を使ったテレビ局側の事情はもちろんよく分かるんだけど、誰にも見守られることなく、二人きり孤独の中で死んでいった清太と節子の絶望的な孤絶感は、一人称のナレーションによって完全に弱められてしまっていた。

井上真央のナレーションは、いわば「戦後の視点」なのである。「戦争って悲惨だな。二度と戦争を起こしてはならないな」という凡庸な結論を導き出したいのならば、まあ、これもありかとは思うが、『火垂るの墓』の美しさは、反戦というテーマにあるのではないと僕は思う。実際、戦時下の庶民の生活の悲惨さを描いた小説などいくらでもあると思うが、これほど美しい小説は他にないのだから。

野坂昭如自身は、彼の作品の中でもっとも有名な作品になってしまった『火垂るの墓』について語ることは極端に少ないようだ。彼自身の戦争体験が、清太の中に投影されていることは間違いないが、この小説が彼のリアルの体験であるかのように読まれたり、反戦のための教材のように使われたりすることには、内心忸怩たる思いもあるのではないか。

彼が書きたかったのは「反戦」ではなく「人間の孤独」「人間の残酷さ」そして厳しい現実の中で翻弄されてしまう「子供の無力さ」だと思う。

2005年11月02日23:48





冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行

ジム・ロジャーズの『冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行』は『マーケットの魔術師』の正続編と株式編や、アレキサンダー・エルダーの『投資苑』などと並んで、投資を志す人の必読の本だと思う。そして、何よりも圧倒的に面白い。「この本を4回読んだ」と帯のコピーで村上龍が書いてるけど、確かに何度でも読みたくなる心躍る傑作である。

この本は、ジョージ・ソロスとクォンタム・ファンド立ち上げた伝説的な投資家であるジム・ロジャーズが、金髪の若い美人と共に、2台のバイクで、ユーラシア大陸を往復、アフリカを縦断、オーストラリア大陸横断、さらにはアメリカ大陸をアルゼンチンの南端のホーン岬からアラスカまで駆け抜けていく10万キロに渡る冒険の旅の記録である。
訪れる国々の経済状態をシビアな投資家の視線でリアルに見つめていき、投資にふさわしい国なのかどうかを判断していく。

もし、高校時代にこんな本を読んでいたら、間違いなく大学は経済学部を選び、卒業後は証券界に飛び込んだんじゃないかと思う。もっとも、バブルの狂乱の80年代と、停滞と閉塞の地獄の90年代を、日本の証券界で生きる人生が、果たして幸せなものだったのかどうかは何とも言えないが。

これまでも何度か拾い読みをしていたのだが、この週末、全体を一気に読んだ。通読するのは2度目である。

もっとも、5年前に始めて読んだときとは、驚くほど印象が異なった。

実は、5年前は、後半の3分の1ほどは、飽きてしまって、ざっととばして読んだのだが、今回は飽きることなく、最終ページまでたどり着くことが出来た。

前回、通読したときの一番の不満は、ジム・ロジャーズが、西洋「文明」という尺度で、世界のあらゆる国を判断して、「文化」的多様性にはいっさい目を向けようとしないことにあった。

アフリカ、アジア、南アメリカ、どこを旅しようと、どの国を訪問しようと、彼はその国を、経済活動の自由を保証する民主的な政治体制なのか、それとも需要と供給の関係を軸とする経済の原理に対して人為的な力で対抗しようとしている国家統制主義なのかという一点で全てを判断しようとする。

アフリカの熱帯のジャングルも、ロシアの大平原も、彼は語るべき言葉をほとんど持たない。これだけの大旅行をしながら、彼が見ようとしていないものはあまりに多い。彼が出会うのは、その国の経済や株式市場の関係者ばかりで、それ以外の人々、街で農村で暮らす人々は、バイクから眺めることが出来る遠景でしかない。

例えば、子供について、この本の中では全くと言っていいほど書かれていない。世界中どこでも子供はいる。子供たちがどんな表情をしているかでその国の将来を予測することも出来そうだが、彼はどうやらそういうことにはいっさい関心がないようだ。

そして、文化的多様性、世界の音楽、世界の料理、世界の風習など、文化人類学者ならば喜んで目をとめるであろう土地ごとのローカルな生活様式について、彼はまったく関心を示していない。

つまり、世界各地を旅行しながら、ジム・ロジャーズ自身の立ち位置は微動だにしない。

ジム・ロジャーズより数十年前に、南米を友人とバイクで旅したアルゼンチンの若者がいる。彼の名は、チェ・ゲバラ。彼のバイクでの南米旅行の日記である『モーターサイクル南米旅行日記』は、翻訳に問題ありだが、旅が自己形成の場であることを教えてくれるすばらしい記録だ。

一方、ジム・ロジャーズは旅の前と後とで何ひとつ変わってはいない。10万キロの旅は、彼に何の変化ももたらしてはいない。

ブエノスアイレスに住む裕福な家庭出身の医学生であったゲバラは、バイクでの旅の後で南アメリカの歴史と現実を視野におさめた革命家の卵になったのに対して、ジム・ロジャーズは、旅の前も旅の後も、自分たちの世界観こそが唯一正しいものであり、世界の他の国々はそれに従うべきであると信じて疑うことのない傲慢な「アメリカ人」のままである。

ジム・ロジャーズはこの旅の10年後に、今度は車で世界一周旅行を行っている。

この時も彼はやはり若く美しい金髪の女性を連れていくのだが、10年間、女性を年齢による老化から守ってくれる魔法のクスリはいまだ発明されていないので、つまり、彼は別の女性を連れていったわけである。

結局、彼が旅を共にしたのは、単なるパートナーとしての女性ではない。若く金髪の女性を「美」の基準とすることを決して疑おうとしない「文明」なのである。

女性は現地調達で、という発想は彼には全くないんだろうな。僕はそっちの方が楽しいと思うんだけど。

前回は、そうした「アメリカ人的傲慢さ」に強く違和感を感じてしまって、途中から読むのが嫌になってしまったのだが、今回は、最後までしっかり面白く読んだ。そして、ひとつの軸で世界をすっかり解析し尽くしてしまおうとする、ジム・ロジャーズの強い意志をむしろ肯定的に捕らえたい気分になった。

そして、何よりも、世界を見る目がリアルであることに改めて敬服した。

例えば、中国の天安門事件について、彼は「(学生たちは)経済の停滞と金融政策への不満の捌け口を民主主義に求めた。ほとんどの中国人は民主主義にはそれほど興味はなかった。彼らはただ金持ちになりたかっただけなのだ。」とばっさりと斬る。北京大学のエリート学生たちの「民主主義ごっこ」には思い切り冷淡だが、その後の中国の15年間の変化を見れば、「彼らはただ金持ちになりたかっただけなのだ」という断定は完全に的を射ていたものであることが分かる。

南アフリカの黒人政権についても、彼の視線はシビアだ。ネルソン・マンデーラの黒人政権が夢想する人種差別のない国家という理念を彼は一笑に付す。マンデーラ後の南アフリカ政府が、やがて経済の自由のない国家統制主義に陥り、理念としての民主主義など自壊していくであろうという彼の危惧は、おそらく的中するだろう。

世界の下部構造としての経済が全ての根本であり、理念が世界を動かすと考える思考を観念論として退けたのはカール・マルクスだが、そして、文化的多様性を「アジア的停滞」と切って捨てたのもマルクスだが、共和党の支持者であるジム・ロジャーズは、ある意味では、サヨクよりもよっぽどマルクスの世界観に近いのだ。皮肉な話である。

時が経つにつれて色あせていく書物もあるし、逆にどんどんと輝きを増していく本もある。今から10年以上前の本だが、世界は、ジム・ロジャーズの予言通りに進んでいるようだ。この本は、これからもますますその輝きを増していくことだろうね。

2005年12月14日20:15

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かおるんの自己紹介

29歳の専業主婦です。 趣味は旅行とグルメと株式トレード。 運用資金は50万円でスタートして2年。今は500万円ほどです。 伝説のトレーダーぽんぽこさんの熱烈なファンでした。一度だけブログのコメントにお返事がいただけたときは、嬉しくて...。 ネットの上でのお付き合いですが、私が人生でもっとも影響を受けた人の一人です。偽悪的で乱暴な口調の背後に、繊細で知的な人柄が隠れてましたね。かっこ良かったです。トレードについての知識だけではなくて、歴史とか政治についての考え方、読書や映画についてなど、いろいろ影響を受けました。 もう一度、あのぽんぽこ節をネットで読みたいです♪

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Author:stockwizard

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