2017-05

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My Trading Life (第1部)

[かおるんの独り言]
ぽんぽこさんと言えばなんといっても「My Trading Life」ですね~。これまで何度読み返したことか。そして何度読み返しても、新しい発見があります。こんなに面白く相場について語ることができるって凄いです。





株式投資で必要なことは全てネットで学んだ。

株式投資で必要なことは全てネットで学んだ。俺はほんとにそう思ってるよ。

大阪ガスを1000株買ったのはバブルの頃。それが最初のトレードだった。当初は相場環境が良かったこともあり、はじめは面白いくらいに儲かったけどね。
でも、90年代の十年間は年間の収支がプラスになったことは一度もないと思う。
そもそも、損ばかりしていたから、きちんと収支を計算することさえ放棄していたな。

ようやく利益が生まれだしたのは2000年。ネットで株を売買することを覚え、株価を毎日ダウンロードしてチャートソフトでチャートを書き、掲示板で情報を入手したりしはじめてからだ。

とりわけ「お気楽株式投資掲示板:売り専科」という掲示板との出会いは決定的だった。その掲示板でアクティブに活動されていた「マーケットの奇術師」という方の書き込みは本当に衝撃的だった。
彼の書き込みを読んだ後は、彼の書き込みの言葉がずっと頭の中に残響する感じで、翌日も普通の生活をしながらも何度も彼の言葉を思い出したりしていた。

それでは、彼から何を学んだのかというと、実はうまく説明できない。
たぶん、言葉ではうまく伝達できないものなんだと思う。
ちょうど長嶋茂雄のバッティング理論みたいなもので、「ばっと来るボールに、がっと構えて、だっとバットを振る」みたいな、感覚的な表現でしか伝達できないものだと思う。
しかし、株式投資を行う上で、非常に決定的なこと、大事なことを彼から学んだ。あるいは、彼をはじめとする何人かのトレーダーから学んだ。

>>あなたがマーケットの奇術師さんから学んだものを
>>また気が向いたら、バラ園なりカブ畑に書いてみてください

なあんてことを、掲示板で俺の天敵みたいな奴から言われてしまったよ。

そうだな、ほんとに俺は何を学んだんだろう。もう一度、見つめ直してみる時かもしれないなとふと思った。

というわけで、明日から、ここまでのトレーディングの過程を書いてみたいと思う。結局、一番最初から語り出すしかないわけで、株好きの下手くそのアホだったときからのこと、ちょっとここで書いてみようかな。

ただし、あくまで、自分自身を確かめる意味でというスタンスでいくので、うまく書けないと分かったら、途中で打ち切るけどね。

2004年10月31日 23:27





My Trading Life (1)

最初に株式トレードをしたのは、まだ、大学院に在籍していた頃、87年か88年の春だった。そう、バブルのまっただ中、そしてバブルの崩壊の直前のことである。

その少し前に『オンリー・イエスタデイ』という1920年代の大恐慌直前のアメリカについて書いた名著を読んでいて、強い印象を受けていた。だから、株価や地価の狂乱の後で何が起きるのかは「知識」としては十分に持っていた。しっかし、「知っていること」と「行動すること」が、人間の場合必ずしも同じとは限らないのが不思議なところである。

そして、やってはいけないと分かっていながらやってしまうという人間の心理の不思議さと愚かさを、その後の十数年間の株式トレードの中で、僕はもう嫌というほど思い知らされることになる。

何故、株式トレードをする気になったのか、直接的なきっかけは思い出せない。ただ、その頃には、身近で、ワンルームマンション投資で一財産作ったり、株で大儲けたりした人の話などをけっこう見聞きするようになっていた。そして、僕自身も、アルバイトの塾や予備校の講師の収入で、ある程度の余裕が出来てきた頃だった。

そうそう、何かの雑誌で邱永漢が、神戸製鋼をはじめとする鉄鋼株の買いを強力に推奨しているのを読んだことを覚えている。そして、その数日後、電車の中で、酔ったサラリーマン数人が、神戸製鋼がいかに素晴らしい会社かということ、株価が倍になっても神戸製鋼の株を手放さないぞなどなどと、興奮した口調で大きな声で喋ってるのを聞いて、株って本当に一般的になっているんだなと驚いたことを覚えている。

あの時のおじさんたち、あの後、神戸製鋼の株をどうしたのだろうと、ふと思うことがある。

実際には、あのあと数倍になったのだから、じっとホールドしていれば、数千株であれ、ちょっとした余裕資金になったはずである。あるいは、途中で手放してしまい、悔しい思いをしたのかもしれない。どうなったのかは分からない。が、おそらく可能性として一番高そうなのは、神戸製鋼をどの水準で利食ったにせよ、その資金をさらに別の銘柄に注ぎ込み、次々と銘柄を回転させているうちに、やがてバブルの崩壊にぶちあたり、結局、資金のほとんどを溶かしてしまったというパターンだろう。

そう、多くの者たちが、そうやって、その後、株式資産をなくしていくことになる。
しかし、その時には、僕も、そして誰もが、そんな未来が来ることになるとは夢にも思ってもいなかった。

夜の会社員の帰宅時間の電車の中で、あたりを見渡すと、一台の車両で何人もの人が夕刊紙の株式のページを読んでいることにふと気がつき、びっくりしたことがある。

果実は腐る寸前が一番美味しいし、祭りは終焉の直前が一番盛り上がる。そうした最終段階に時代は入り始めていた。

それでも僕は慎重だったと思う。というか、慎重にやっているつもりだった。
まず、何冊も株式関係の本を買った。チャートブックを買ってきて、飽きることなく何度もページをめくった。チャートの動きには、明らかに何らかのリズムがあるようにも見えたし、また、全くランダムな模様のようにも見えた。
野村など4大証券では弱小個人投資家はまったく相手にされないらしいという話を小耳に挟んだので、小さめの地場証券に出向き、50万円入金して口座を開いた。

最初に買いオーダーを出したのは1518三井松島。
三井松島は株式雑誌の袋とじのページで推奨されていたのを、その雑誌の発売日の翌朝、電話で証券会社にオーダーを入れた。「指し値はいくらにしますか」と電話口の証券レディ(そうそう、証券レディーなんて言葉も死語になりましたね)に聞かれて、その時まで寄りつきで買うつもりだったのに、きっと緊張していたのだろう、なぜか指し値注文になってしまった。
当時はインターネットなど、もちろんあるはずもなく、確か、日経がやっていたテレフォン株価情報で、ほとんど10分おきくらいに株価をチェックしていたことを覚えている。
その日、三井松島はいきなり高値で寄りつき、いったん少し下げたものの、僕の注文の指し値の少し上から、急騰を始め、数日間で300円ほど駆け上がっていった。そして、指先から数十万円が逃げていった。

あのときの悔しさは忘れられない!

今なら、いきなり高値で寄りついた銘柄なら、少し下がったところで、すかさず成り行きで当初の予定購入株数にゼロをひとつ加えてオーダーするだろうね。
ただ、あのときは、仕手株や急騰株に飛び乗ることは危険なので絶対にやってはいけないという北浜流一郎先生や松本亨先生たちの教えに従って、じっと堪えていた。ただただ悔しかった。儲け損なった30万円を思うと、気が狂いそうだった。

その次にオーダーを入れたのは大阪ガスである。こちらはまだ動いていないので、買えなくて悔しい思いをすることはないだろうと思ったのである。

こちらはしっかり買うことが出来た。買うことは出来たがちっとも動かなかった。三井造船がストップ高を演じるような狂乱ディーリング相場のただ中である。他の銘柄は動くのに自分の買っている銘柄だけぴくりともしないのだ。

これも悔しかった!

株式投資を初めていきなり「買えなかった銘柄が急騰してしまう悔しさ」と「自分が買った銘柄だけが動かない悔しさ」を経験してしまった。

その頃になると、昼間、時間のあるときに、証券会社に行き、株式ボードやクイックで株価をチェックすることを覚えた。あの頃の証券会社の店頭の熱気は思い出すと懐かしい。

バブルのただ中である。東証のどの銘柄も上がっていくように見えた。
どの証券会社の店頭にも、まるで出勤するかのように前場の寄りつきにはやってきて、一日中張り付いている常連たちがいた。彼らは、一日中、株価ボードを見上げ、クイックを独占し、もうもうと漂うタバコの煙の中、仲間同士で喋っていた。

しかし、不思議なことに、こうした常連たちはちっとも儲かっているようには見えなかった。
相場は、鉄鋼、造船、海運などの大型低位株を中心とする機関投資家によるディーリング相場が続いていた。ところが、店頭の常連たちの多くは、その1年前、あるいは半年前に大相場を作った銘柄を、売り損ねてじっと持っていたり、下げの途中で値惚れでつかんだまま、ホールドしているらしかった。
彼らの多くは鉄鋼株や造船株が狂ったように急騰する中で、じっと悔しそうにボードを眺め、ため息をつき、自虐的に笑い、そして、またボードを見つめていた。

あの光景から、株式トレードをするにあたって最もしてはならない大切なことを学ぶことが出来たはずだった。

しかし、おそらく、何も学ばなかったのだろう。あのときの僕は。




それから10年ほど後になって、当時、時々顔を出していた証券会社に株価のチェックに入ったことがある。店内はきれいに改装され、あのもうもうとしたタバコの煙もなかった。十年一昔。何もかもが変わっていた。がらんと人気のないフロアーの株価ボードの横におかれたクイックにしがみついている老婦人が一人。その横顔には見覚えがあった。10年前、その店にいつもいた常連の一人だった。彼女は10年分確実に年老いていた。いや、10年以上の年をとっていたように見えた。まるで玉手箱を開けた後の浦島太郎である。髪の毛はぼさぼさで服装もちぐはぐな感じだった。身なりなど構わないのだろう。証券会社の店内には他に誰もいない。彼女には話し相手もいなかった。ぞっとするような光景だった。

たった一度だけの人生。それなのに、彼女は10年間、株価が点滅するのを見つめながら、神経をすり減らし、資産をすり減らしていったのだろう。彼女はそれを自ら選んだのだ。株価を見るのを止めて、他の楽しみを求めることも出来たはずだ。友との語らい、ゴルフ、カラオケ、ゲートボール。株価ボードに背を向け、自動ドアの外に出て、街へ、青空の下へ、彼女は出て行くことが出来たはずなのに。しかし、彼女は自らの意志で、株価を見つめ続ける人生を選んだ。

考えられる限り、これほど痛ましい人生ってないと思う。


(おいおい、2,3回でまとめるつもりだったのに、とんでも長くなってしまったじゃないか~。どうしよう。)


2004年11月01日 20:35





My Trading Life (2)

最初のトレードは大失敗だったが、相場環境が良かったためだろう、それからは連勝続きだった。銘柄は、株式関係の雑誌や新聞を見て、多くの評論家の先生が推奨している銘柄から選んでいた。日経新聞や雑誌の記事の切り抜きスクラップもやってた。

北浜先生や松本先生、木村佳子先生などの本を繰り返し読み、印象に残った言葉には横線を引いたりしていた。そんな自分を思い出すだけでも恥ずかしい。もう、とことん馬鹿である。救いがたい馬鹿である。

北浜流一郎の本を、横線引きながら、なるほどなあと感心しながら読んでいたのである。それが僕の青春の一ページなのだ。出来れば記憶から消してしまいたい、しかし決して消すことの出来ない悲しくて、とほほのエピソードである。
でも、それが株の「研究」であり、「勉強」だと思っていた。当時は。

評論家の先生方の推奨銘柄を買っていくと、たいていの場合、目先のてっぺんで買ってしまうことになる。
その時は後悔して、そうしたトレードは止めようと思う。自分の頭で判断しなければいけないのだと思う。
しかし、株価はその後しばらく調整した後、また急騰するので、効率は悪いものの結果的には利食いが出来た。
そして、また、雑誌を読み、評論家が推奨している銘柄がやはり良さそうに見えてきて、また飛びついてしまうのだった。
だいたい、こうした評論家の先生に頼る以外、誰に投資法を聞けばよいのだ。株式投資などとは全く無縁な世界に生きていたので、相談する株仲間もいなかったし、自分で考えようにも何を基準にどう考えればいいのか全く見当がつかなかった。

株をはじめて思わぬ効果もあった。それまでアカデミズムの世界にどっぷり浸っていたので、僕は日本の経済とか個々の会社の業績とかにはあまり関心がなかったのだが、身の回りの商品を作っている会社名とかが気になりはじめた。

これまで大きな灰色のビルの連なりでしかなかった街並みが、ふいに、突然、ビルに書かれた一つ一つの会社名が見え始めた時の衝撃は忘れられない。

街がまったく違った風に見え始めた。これには本当に驚いたなあ!

同じ現実を見ていても、人によって全く違った見え方をするのだろう。株式投資をするかしないかで、世界が全く別に見えてしまうように。このことは認識についての僕の考え方を一変させた。

ある時、5401新日鐵にうまいタイミングで乗ることが出来た。連日、上場以来の高値を続ける。鉄鋼株は皆信じられないような大相場を演じていた。とりわけ川崎製鉄は千葉の土地の含み益を材料に狂乱的な高騰を続けていた。

連日、含み資産が少しずつ増えていく。とはいっても、まだまだ数千株単位のトレーダーなのだが、それでもバイトで一日頑張って稼ぐ金額の数倍の金額を株が連日膨らませてくれる。楽しい毎日である。
しばらくして、ちょっと株価が重たくなってきた。大丈夫かなと心配になっていた頃、日経の株式欄に「鉄鋼株に危険な匂い」という鉄鋼株の過熱しすぎを警告する記事が出た。案の定、その日、相場は下げて始まる。
これはもうやばいなと判断して、成り行きで逃げる。このまま暴落するのではないかという恐怖の中、うまく約定できているのを知ったときはほっとした。

そして、引け後、いつものようにテレフォンサービスで株価をチェックして仰天することになる。新日鐵はとんでもない高値で引けていた。

悔しかった!

悔しかったり、驚いたり、株式投資はそんなことの繰り返しだった。

しかし、自分の売値より高くなってしまった新日鐵に再度挑むのはプライドが許さない。絶対にそれは出来ない。翌日、新日鐵よりもずっと安くて、まだまだ上がりそうに見えた日立造船を買った。もっとも新日鐵より安いといっても、年初の安値と比べれば、日立造船株はすでに、異常なくらいの高い水準に達していたのだが。

そして、その日から、大型株は調整に入り、日立造船は僕の買値から100円以上も下がってしまうことになる。

しかし、そんな愚かなトレードをしていても、数ヶ月後には、日立造船は僕の買値を上回った水準まで上がり、余裕で利食いをすることが出来た。

株は永遠に上がり続けるかのようだった。

その年だったか、翌年だったか、年末にJラインでうまく儲けたのは、会心のトレードだった。
僕はその頃から、いくつかの銘柄には方眼紙に手書きで日足のチャートを書き始めていた。チャートを睨みながら売買のタイミングを計り、Jラインの押し目をつかみ、ほとんど最高値で売り逃げることが出来た。
Jラインと山下新汽船の減資合併による暴落のほんの数日前のことである。

こうして今、あのころのことを思い出しながらこの記録を書いているのだが、一つ一つの銘柄の、買ったときのだいたいの値段、売ったときのだいたいの値段、手がけた時期、その時の株価の動き方など、意外に鮮明に覚えていることに、結構驚いている。
今では、一週間前に買った株でさえ、買い単価や売り単価など、全く覚えていないのに!
きっと一つ一つの銘柄に対する愛着が今よりもずっと深かったんだろうな。
株を買った会社について、日経新聞などで良いことが書いてあったりすると、自分のことを褒められたようで、嬉しかったりしたものである。

なにはともあれ、トレードをはじめて半年後には、チャートを見ることの重要性、利食いのタイミングなど、株式トレードで大切なことが分かりはじめたような気がした。
含み損になっても決して投げてはいけない、株価はやがて戻るのだから。我慢我慢。焦ってはいけない。来年はもっとうまくやろう。そしてうまくやれるだろう。そう思った。



しかし、本当は何も分かってはいなかった。


2004年11月03日 00:05





My Trading Life (3)

翌年の春だったと思う。チャートを眺めていて8014蝶理という商社が数ヶ月を単位とするきれいなうねりを作りながら次第次第に上昇していくこと、そして、今がいいタイミングで波の底の部分であることに気がついた。

さっそく、この会社について調べてみることにした。
調べてみるといっても、株式関係の雑誌を探ったり、証券会社の店頭で株式新聞を読んだりして、評論家の先生方がこの銘柄を推奨している記事があるかどうかを探しただけの話なのだが。(^_^;)

ほんとに、とことん馬鹿である。(-_-)

蝶理を推奨する評論家は誰もいなかった。どうやら忘れられた銘柄らしい。評論家の先生方が誰も勧めないこんな銘柄を買っていいんだろうか。
しかし、チャートは上に行きそうな気配を漂わせているし、四季報を読む限りは業績も好調のようだった。

悩みに悩んだ末、買ってみることにした。誰も推奨していない銘柄を買ったのはそれが初めてだったと思う。
証券会社に電話すると、証券レディーから「えっ、チョウリ?」と聞き返される。「そう、チョウリ、ハチ、マル、イチ、ヨン」と説明するのも恥ずかしい。緊張する。

訳の分からない銘柄を買おうとしている馬鹿で弱小の投資家だと思われてるんだろうな。鼻で笑われてるんだろうな。。。

とっても惨めで、ひとりぼっちになったような気分がした。

証券会社に電話して、証券レディーに売買の注文を出すときのあの妙な緊張感って、ネットトレードしか知らない人には想像できないでしょうね!
あの時代、個人投資家と言っても、数千万円、数億円の資金を動かしている者がザラにいたのである。少なくともザラにいると言われていた。
たった1000株の注文をわざわざ指し値で入れてくるような弱小トレーダーが、証券レディーたちからどのように見られているかは想像がついた。僕自身と同世代である彼女たちから、自分がどのように見られているかを勝手に想像して、僕は恥じた。カネが全て、そんなバブルの時代のど真ん中の話である。

こちらの名前を言い、買いたい銘柄を言い、株数と、成り行きか指し値かを言う。(まあ、株数は毎回1000株だったんだけどね。)
それだけのことなのに、何故か、電話をし終えると、いつも、電話を持つ手が汗ばんでいることに気がつく。
どうして、いつもいつもあんなに緊張したのか、今となっては全く理解できないのだが。

(所詮、株屋のねーちゃんじゃないの、あっちはさ。どう思われようが、関係ね~よ。そう、今は思うけどね。)

さて、1000円前後で買ったその株は、小さなうねりを繰り返しながら、1100円、1200円と、徐々に上がりはじめた。このまま順調にいくのかなあと喜んでいると、いきなり、1日に100円近く下がったりすることもある。また、不安な気分にさせられる。
いつもならば、不安な気分になったときは、スクラップしてある評論家の先生方の推奨記事を読んだりすれば、自分のポジションは間違っていないのだと安心することが出来るのだが、この銘柄の場合は誰の推奨もない。不安を癒してくれるものはなかった。

いったん1300円台に上がって、それから1200円台に大きく下がったときに、もう堪えきれなくなって、ある日、昼過ぎに、成り行きで売った。何日も何日も売った方がいいのかどうしようかと煩悶していたので、電話で成り行き売りの注文を出したときには、ほっとしたものである。

株価はその日の大引け近くに、大きな買いが突然入り200円近く上昇した。その後も大きく乱高下しながら、上昇を続けた。
北浜流一郎や松本亨が蝶理の推奨をはじめたのは、1600円を越えほぼ最高値に達してからだったと記憶している。

株って簡単に売ってはいけないんだ。どんな株も、じっとホールドしていれば、もっともっと上がるものなんだ。何度も悔しい経験をする中で、そうした教訓を学んだ。

株式投資の恐いところは「経験」を積むことが必ずしも良い「結果」に繋がるわけではないことだろう。相場は、トレーダーに間違った教訓を教え、間違った決心をするように促す。
特に、失敗体験は、というか、もっと正確に言うと、トレーダーが失敗だと思いこんでいるトレードの体験は、トレーダーに対して間違った教訓を与えることになることが多い。

相場環境にもよるだろうが、株式トレードをはじめて半年ほどは、教科書通りに運用していれば、たいていの場合、ある程度の利益は上がるのではないか。少なくとも、確定益だけに関して言えば、たいていの人が、はじめはプラスになると思う。
問題はその後である。おそらく、ほとんどの株式ビギナーのトレード開始から半年後のポートフォリオは、「確定益はややプラス、含みは大幅な損失」といったものになっていると思う。つまり、利食いは素早くできるが、損切りは出来ないため、含み損がどんどん大きくなっていくのである。
こうなってから、うまく対処するのは実に難しい。経験を積んだ投資家でも、大きな含み損銘柄ばかりのポートフォリオを、プラスに転換させるのは至難の業だろう。まして、経験のないビギナーではほとんど不可能なのではないか。
だいたいの投資家が、このあたりで潰れていくと思う。

89年の暮れには、ビギナーの誰もが突きあたるであろうそうした壁に、僕もぶち当たりつつあった。その年も200万円くらい利食ったと記憶しているが、持ち株はどれも含み損状態で、どうにも動かすことが出来なくなっていた。

じっと待っていればどの銘柄も買値を越えていくだろう。これまでもそうだったし、これからもずっとそうだろう。僕はそう信じて、含み損の状態で耐えた。

指数は4万円を手前にして、やや足踏みになりつつあった。

(日経平均が4万円の目前まで行ったのである。本当に今となっては信じられない話だが。)

マスコミは、翌年の1990年の日本の株式市場の不安材料は、ソ連のゴルバチョフ書記長の失脚の可能性「だけ」だと告げていた。国内経済は不安材料はない。仮にゴルバチョフが失脚したとしても、絶好調の日本経済に死角はない。

株価も地価も永遠に上がり続けるように見えた。


2004年11月03日 19:17





My Trading Life (4) ちょっとブレイク

ここで、ちょっと、休憩です。

この回想って、そもそもは僕が掲示板で、「マーケットの奇術師」というハンドルで書き込みをされていた方から、一体、何を学んだのかということを確認するために書き始めたのでした。

はじめの予定では、バブル期について1回、氷河の90年代について1回、売り専掲示板時代について1回、その後について1回の計4回くらいでまとめようと思っていたんですけど、バブルがなかなか終わらない。(^_^;)

っていうか、こんなに書くことがあったっけというくらい、あれこれいろんなことを思い出してしまって困る。

多くの方からコメントをもらって、それも好意的なコメントばかりで、本当にありがたい話です。
でも、こんな個人的な回想との自分の心理分析みたいなものって、他の人が読んで面白いのかなというのが、正直なところ、半信半疑です。
あらかじめ申し上げておきますけど、僕はずっとロンリートレーダーだったので、他のトレーダーとの交流とかは、ネット以外ではほとんどありません。ですから、この先、読んで頂いても、投資家人生で出会った面白い人、変な人、アッと驚く抱腹絶倒のエピソードのたぐいはいっさいありません。
それから今回はtrading lifeに限定しますので、仕事の話、家族関係や友人関係や愛人関係の話も書きません。
株で儲けたお金を抱えたでっかいちんちんが出向いた先の冒険譚とかも(まあ、今回は)書く気はありません。

まあ、でも、トレーディングにおける心理的変化や動揺を、自己分析していく回想録なんて、僕は読んだことないし、たぶん誰も書いてないよね。
そういう意味では、確かに変わっているし、面白いのかもしれない。


2004年11月03日 23:23





My Trading Life (5)

やあやあ、みんな元気かい。

俺様絶好調だぜ。

ところでさ、俺様、今、9127玉井商船って銘柄いじってるわけ。
で、みんなにお願いがあるんだけどさ。この株、みんなも買ってくれないかな。大証2部の品薄株だぜ、みんなが買えば、すぐに上がって、俺様、大儲けさ。
なっ、俺様は賢いけど、お前らみんな俺様よりお馬鹿さんだろ。知ってるぜ。隠したって分かるぜ。お前らみんな馬鹿だろ?
えっ、玉井商船買ったとして、それからお前らはどうすればいいかって?
そんなの決まってるだろ。自分よりさらに馬鹿な奴を見つけるんだよ。うまいこと騙してそいつに株を買わせる訳よ。玉井商船は今に日本郵船より大きな会社になるらしいとかさ。口からでまかせ言えばいいんだよ。大丈夫、捕まったりしないから。いろいろ材料をねつ造したっていいんだよ。そして、うまく売り抜けるわけ。
騙されて買った奴はさ、また今度は自分より馬鹿を見つければいいわけ。そうやって、みんながみんな、自分より馬鹿な奴を見つけられればさ。株は永遠に上がり続けるって訳よ。最高だろ。このシナリオ!




とシナリオ通りにはうまくいかないことを、1990年の相場は教えてくれた。うまい話は長続きはしないもの。「自分より馬鹿」が簡単に見つかるとは限らない。時に、自分が「一番の馬鹿」かもしれないのである。

1990年の正月を迎えたとき、僕は投資歴が2年弱ほどだったと思う。ちょっと小金が貯まると株式に投入する資金を少しずつ増やしていたので、そして、投入した金額の方が、引き出した金額よりも大分多かったので、おそらく合計300万くらいの金額を株式市場に投入していたと思う。
そして、90年の正月の時点で、持ち株の購入総額は600万ほど、どの銘柄も少しずつ含み損になっていて、含み損の合計は100万に近い金額だった。つまり、一応利益は出していたが、持ち株は含み損ばかりで、相場のことを考えると、かなり鬱な気分になりだしていた。

90年の1月、不安な材料は何もないはずの日本の株式市場は、何故か軟調な滑り出しだった。

今思えば、この時の下げは、その当初から、それまでの、相場のうねりの中での下げとは全く違っていた。高値圏での神経質に乱高下する動きとも、下げが続く中で、恐怖にとらわれた買い方の投げから生じる下げとも違っていた。
そうした不安や恐怖が生む下げではなかった。不安や恐怖が生む下げならば、果敢に押し目買いで挑んで、吹いたところで利食えばいいのだ。

そうした下げではなかった。何というか、確信を持って売ってきているとしか思えないような、売り方の自信が感じられる下げ方だった。

株式トレードを続けていると、株価の上下の中に、売り方と買い方の間に交わされる駆け引き、対話、悲鳴、歓喜。。。そういったものが聞こえてくるような気がすることがある。90年の年初の下げは、売り方の自信に満ちた「意志」が最初から感じられた。

リズムが違うのである。

相場と対話をしながら、売り買いのポジションを動かしていくというのではなく、大資本が目標値を決めて、そこまではためらいなくがんがん売り込んでいくというような、そうした一方向の動きだった。
巨大なタンカーがゆっくり進路を変えていくときのような、風の方向の変化を、あの時、相場に参加していた者は、誰もが感じていたと思う。

おそらく誰もが経験したことのない新しい現実だったはずである。
しかし、覚えておくといい。人間は新しい現実をそうやすやすとは受け入れることが出来なくて、古い言葉で新しい現実について語ろうとする生物なのだ。

株式新聞や雑誌では、底値の見通しについて、チャーティストたちが記事を書いていた。彼らは決まって今の値段より少し下に、底値の目処を置いていて、そこで相場は反騰するはずだと予想していた。彼らの予想は、その数日後に、はずれることになるのだが、そこまで下がると、また新たな判断の根拠が持ち出され、底値が計算されなおす。その値段も、たちまちのうちに、下に突き破られていくことになった。

経済評論家や経済学者は、日本の経済には不安はないのであり、過熱感からの調整はしばらく続くものの、やがて株価は戻るだろうと予言していた。

やがて、株価を下げている犯人捜しが始まり、アメリカの「ヘッジファンド」の売りが原因だということになった。しかし、この説は、まともな経済学者からは一笑に付され、ヘッジファンドは売りも買いもするのだから、株価の上昇要因にも下降要因にもならないと宣告された。株価は自然の摂理により、上昇し下降するというのである。

要するに、誰もが、「新しい現実」に対して語る言葉を持っていなかったのだ。



そして、僕のポートフォリオの中の含み損も、毎日、信じがたいほどの速度で膨らみ続けていた。

一つの銘柄の含み損が5万10万の段階は悔しいばかりである。
この5万円を稼ぐのに、何日間バイトをしなければならないのかとか、5万あれば、何が買えただろう、どんな楽しいことが出来ただろうと、証券会社に電話一本しただけで失ってしまったささやかな幸せを空想し、悔やむばかりである。

20万30万となってくると、悔しさを通り越して恐怖の感情に襲われる。一本の電話が引き起こした損失としては信じられない額に思えて、具体的なイメージが持ちにくくなる。どうしてたった1本の電話のせいで、一月の生活費が吹っ飛んでしまうというのだ。

そして、50万100万となってくると、恐怖ですらなくなる。ある種の無感覚状態になってしまう。現実のものとは認識できなくなる。

「悔しさ」から「恐怖」へ、さらには「無感覚」へ。損失は、そんなふうに人の心の中で形を変えていく。いつもそうだ。常にそうなのだ。損失に対して無感覚になってしまったとき、人はまるで相場に対して謝罪するかのように全てを投げ出してしまいたいという欲望に襲われ、大きな損切りをするのだろう。

ポートフォリオの中は、そんな含み損銘柄だらけになった。





PS.
それはそうと、9127玉井商船。買えよ、お前ら。


2004年11月06日 09:57





My Trading Life (6)

株式投資の初心者に、ビギナーが株を売買をする上で心にとどめておくべき大切なことは、と問われたら、そうだな、僕は次のように答えるだろう。

大切なこと、それはふたつある。

まず一番大事なのは、生き残ること。

この株式市場では、愚か者はたちまちに退場に迫られる。どうやったら金が儲けられるかなんて虫のいいことを、最初は考えてはいけないよ。

まずは、最初は損をすると思わなければいけない。
運良く、最初にビギナーズラックに恵まれたとしても、その後で、その反動の大敗北がやってくることは必至。まずは「生き残る」ことを目標にしないといけない。
様々な経験を積みながら、様々なことを学びながら、まず1年、大損をすることなく乗り切ることが出来たならば、さあ、それからだ。金儲けのことを考えるのは。

そして、次に大切なこと。それは自分を知ることだ。

あなたはあなた自身が思っているほど優秀ではないし、善人でもない。
愚か者である自分を直視しなさい。
あなたは小心者で感情的な人間だ。
株価が上がると自分がどれほど舞い上がるかを観察しなさい。そして、暴落すると突然に鬱状態になり、恐怖のあまりどん底で手放す姿を直視しなさい。
冷静さを欠いた感情的なトレードを繰り返し、何度失敗してもその失敗を教訓として学ぶことが出来ない。無能な自分、愚かな自分を、まずは認めたなさい。

株で損する10万円、20万円は、働いて手にする10万円、20万円とは全然価値が違う。あぶく銭だから軽いものだと思ってはいけない。株で損をするお金は自尊心を傷つける。精神的ダメージを与える。あぶく銭だから恐いんだよ。あぶく銭だから苦しいんだよ。

トレーディングの持つそうした魔術的な力に翻弄されて、破滅的なトレードを繰り返すことになるであろう愚かな自分を冷静に観察できるようになってから、そう、まずはそれからだ。それから金儲けへの修行の道が始まる。



1990年の年初、1月2月と株価は下がり続けた。
それでも時に思わせぶりな上昇をすることもあって、もしかしたらと、淡い期待を抱かせることもあった。
でも、本当は、誰もが分かっていたんだと思う。これまでとは全く違う「下げ」が始まったのだということを。

そして3月。すべてが終わったことが明らかになりつつあった。
人は手遅れになってから、ようやく仕方なく現実を受け入れはじめる。
株価は、弾力のなくなったゴムのように、どんどんと下降を続け、そして、ついに、ぷつんと切れた。

3月の終わりから4月の初めの株価の下げはすさまじかった。

前年の年末はバラ色の日本経済を語っていたメディアは掌を返したように、暗い予想を語りはじめた。

株価の下落は底なしのように思えた。そんな状態になっても、株式評論家の松本亨や北浜流一郎は、株価は今が底で、やがて反騰するはずだと個人投資家を励まし続けてくれた。彼らの「言葉」には励まされた。
その頃の僕は、毎日、日刊ゲンダイを買い、松本亨の記事を熟読し、短波の北浜流一郎の放送は欠かさず聴くようにしていた。

今でも、時々ネットの掲示板で、初心者の人が自分のホールド銘柄について、上級者から好ましいことを書かれると、「●●さんから、そういって頂けると安心です」みたいな書き込みをしているのをよく見かけるが、あの気持ちはとてもよく分かる。

あの気持ちはとてもよく分かるが、でも、あれじゃあダメなんだよと、今になって僕は思うけどね。

全面的な下げの中でも、北浜流一郎はちゃんと有望株を見つけ、推奨してくれていた。最もその銘柄の株価が上がることはなかったが。

ある日の日経新聞の夕刊の前場の引け値で、ほとんどの銘柄が売り気配で値が付いていなかったことがある。もう、毎日の相場がこれまで経験したこともないような驚きの日々だった。

それまでの2年ほどの投資で儲けた額は、あの2ヶ月で完全に吐き出し、すでにマイナスになっていた。
何度売ってしまおう、全部投げ出してしまおうと思ったか分からない。
今のようにネットで株の売買が出来たならば、きっとすべてを投げていたことだろう。
投げることができなかったのは、妙なプライドがあったからだ。
証券会社に電話して、持ち株を大損状態で売り注文を出すというのが、たまらなく恥ずかしかったのである。
誰に対して?
直接的には、電話の向こうの証券レディーに対してである。
でも、ほんとは何が恥ずかしかったんだろうか。
カネに翻弄されている小心な自分の姿が恥ずかしかったのだ、と今になって思う。

いよいよカタストロフが近づきつつあったある日のことである。
その日、短波で昼の北浜流一郎の放送がいつもと調子がちょっと違っていた。
地獄のような下げ相場の中でも、強気の予想で個人投資家を励まし続けてくれたあの男が、その日は何故か、陰鬱な口調で、「こんな相場ですから、推奨できる銘柄は東証1部にはありませんね。」などと言い始めた。
驚きである。どんな最悪の相場でも、推奨銘柄を次々と発表してくれていた北浜流一郎が、推奨できる銘柄はないというのだ。
彼は、推奨銘柄として、当時、東証外国部に上場していたドイツ銀行を上げた。

個人投資家の味方、北浜流一郎さえ、日本の株式市場を見捨ててしまったのだ。もう、これは本当にだめだと思った。本当に日本の株式市場は終わってしまったのだろう。こうなったらどこまで下がるか分からない。株式市場に預けているお金がゼロになったら、どうしたらいいだろう。

電話を取った。今度こそ本気ですべてを投げてしまおうと決心した。

電話に出たのはいつもの証券レディーではなく何故か男性の証券マンだった。

息をのんで、口を開いた次の瞬間、僕は全く予期していなかった言葉を口走っていた。

「3408酒伊繊維4000株、成り行きで買い」

電話の向こうは一瞬沈黙した。

「買いですね」
「買いです」
「買い?」
「買い!」

という後で思い出すと笑いが止まらなくなる不思議な会話があり、そして短い電話を切った。

電話を切った瞬間、自分がとんでもないことをやってしまったことに気がついた。
手持ちの全財産をはたいても、酒伊繊維を4千株も買うお金などもう残っていないのである。
定期を解約し、その頃はじめていた田中貴金属での金の定期購入をすべて解約しても、まだ数十万足りないのだ。

これはサラ金に行くしかないな。

サラ金に行ったのはこの時が最初で最後である。惨めな気分だった。何を考えているんだろう。

駅前のプロミスへと行く途中、ふと思い立って、公衆電話から、日経のテレフォン株価情報に電話を入れた。

そして、その日の2時過ぎから突然大きな買いが入り、株価がものすごい勢いで戻りはじめていることを知った。





酒伊繊維はそれから4日間ストップ高を続け、ストップ高の止まった日に、僕はきれいに全株売り抜けた。


2004年11月17日 00:13





My Trading Life (7)

90年4月からの反騰は短期で終わった。
夏にイラクのクウェート侵攻があり、それをきっかけに、しばらく戻りかけていた相場は、また再度下へと向かいはじめた。
含み損の銘柄は、半分ほどは、その短い戻りの間になんとか損切りできた。
が、残りは結局切ることができずに、ずるずると、それから10年間、2000年の2月までホールドし続けることになる。

90年代の10年間については、実は、あまり語ることはない。

まったく株式投資を止めてしまったわけではない。時々思い出したように、株式の新聞や雑誌を買って、良さそうな銘柄を探して、買ったりもしたが、だいたいが高値づかみで、そのまま塩漬けにしたり、時々衝動的に投げたりしていた。

トータルでは1千万以上は確実に損をしたのではないかと思う。
ともあれ、記録をつけることさえ止めていたので、どれだけ損をしたのかさえ分からない。
いずれにせよ、90年代の10年間に、一度も利益を上げた年はなかった。
ちょっと余裕資金があると、株でも買うかと買ってみるが、たちまちのうちに資金は氷のように溶けて小さくなっていった。

90年の4月に大儲けした3408酒伊繊維は、その後サカイオーベックスと名前を変える。この株はその後も何度か手がけることになった。
この銘柄と5814同和鉱業、4022ラサ工は、自己流でうねり取りの真似事みたいなことを続けていた。90年代の10年間で儲かったのはこの3銘柄だけだろう。

場が開いているときに、証券会社の前を通りかかったりすると、店内に入り、クイックを叩いて、株価をチェックしたりはしていた。
コード番号を覚えている銘柄の数はどんどん少なくなっていった。
クイックの前に立っても、キーボードを叩いてみたい4ケタの数字がひとつも思い出せなくて、そのまま店を出てきたこともあった。

91年、92年、93年と、年号を並べていっても、その年の相場がどんなだったかなど、全く思い出せない。

忘れられない思い出は、97年11月。
山一証券廃業の前の最終営業日のことである。
その日はたまたま京都にいた。山一証券の経営が危ないというニュースは聞いていた。四条烏丸の山一証券の前を通りかかったとき、ちょっと店内をのぞいてみた。

狭い店内はものすごい人の数だった。バブルの頃の、あの活気に満ちた人混みではない。もっと殺気だった血の匂いのしそうな人の群れだった。
映画や本で見たあの大恐慌の光景の中にいるような既視感に襲われた。

カウンターに座っているのは、たいていは若い証券レディー達である。
しかし、その日は、カウンターには中年の支店長クラスの男達が座って、客との対応をしていた。
証券レディー達は、全員がその後ろに一列に並んで立っていた。
そして、客や冷やかしの通りすがりが店に入ってくるたびに、声をそろえて、涙をぼろぼろこぼしながら、「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」を繰り返し、頭を下げる。
自動ドアは数秒ごとに開いて、そのたびに、彼女たちは「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」を繰り返す。その声は残響のように頭にこびりつく。悪夢のようだと思った。

店を出るといつもの街の風景である。バブルの頃のあの街の風景とそれほど変わったというわけではない。どこにでもある都市の普通の風景と、今見た悪夢のような光景との、余りに大きな落差に信じられない思いだった。





もう一度、トレードを再開してみようとふと思ったのは、2000年の1月。
ヤフー株ははじめて株価1億円を突破したというニュースをテレビで見たときである。
しばらくチャートも見ていなかった。が、株価1億円を突破する銘柄がでるということは、そろそろ相場環境が変わってきたということだろうなと感じた。

今度は、もう少しきちんと勉強してみよう。そして駄目ならば、もう株式トレードを止めてしまおうと心に決めた。
常識的なやりかたでは駄目なのは分かっていた。株式評論家や日経新聞を頼りにしていては儲からないのも身にしみて分かっていた。

さてそれではどうしたらいいのだろう。

前途茫洋。手がかりは何もなかった。


2004年11月17日 21:03





My Trading Life (8)

ネットで株の売買をやってみようかと最初に思い立ったのは、実は結構早くて、96年か97年だったと思う。
今村証券が、ネットでの株式売買を実験的にはじめたというニュースを新聞で読んで、試しに申込書を取り寄せてみたのだ。
数日たって、今村証券から、申込書が郵送されてきたが、印刷の不鮮明な書類がバラコピーで数枚。中には、コピーが斜めになっていて、一部読めなくなっているものまであった。
これはちょっとひどいわ、使えないなと感じた。だいたい株式投資に対する熱意を完全になくしていた時期だったので、申し込む決断がつかないまま、いつのまにかそのことは忘れてしまっていた。

もう一度、株式の勉強をやり直してみようと思い立ったのは2000年の1月。ヤフー株の1億円突破のニュースを聞いた時である。

これまでのやりかたでは駄目なことはよく分かっていた。
まず、アマゾン・ドット・コムで株式関係の書籍を検索して評判の良い本をどんどん買ってみた。日本の株式評論家は頼りにならないので、ここはアメリカの評論家やトレーダー達の本を読んでみようと思ったのである。結局10冊くらい買ったと思う。特に強く印象に残ったのは以下の4冊である。

Alexander Elder; Trading for a Living
Edwin Lefevre; Reminiscences of a Stock Operator
Jack D. Schwager; The Market Wizards
Jack D. Schwager; The New Market Wizards

特に、エルダーの「トレーディング・フォー・ア・リビング」の冒頭の一節は強烈だった。

You can be free. You can live and work anywhere in the world. You can be independent from routine and not answer to anybody.
This is the life of a successful trader.
Many aspire to this but few succeed.

成功したトレーダーが得ることができるもの、それは自由だ。
誰にも従うことなく、誰の命令も受けず、自分の住みたい場所に住み、自分の望むままの人生を送ることができる。かっこいいね。それが成功したトレーダーの人生だってさ。
多くの人がそれを志す。だけど成功できる人は少ししかいない。そうか、やってやるぜ!

どこかの南の島のリゾート地で、ノートパソコンを開いて、ネットで銘柄の売買をしながら、優雅に余生を送っている自分の姿が頭に浮かんできた。ノートパソコン一台抱えて、世界中を旅しながら、トレードを続けることだってできるわけだ。いろいろ夢が膨らんできた。(^_^;)

エルダーのこの本は、後に「投資苑」という最低のオヤジギャグみたいなタイトルで翻訳される。本屋で見つけて、冒頭の一節を読んでみたが、あまりに味気ない訳で、はじめてそのパッセージを読んだときのあの衝撃とはほど遠いものだったが。

日本の評論家のものでは林輝太郎の著作が面白いと思った。
90年代の10年間に、3408サカイオーベックスなどで、細々と時々思い出したように行っていた相場のうねりに合わせて売買するやり方が「うねり取り」というトレード法なのだと初めて知った。

そして「空売り」が重要なものであるらしいということも知った。それまで、信用取引は危険で絶対にやってはならないものだと思いこんでいたので、これも新鮮な驚きを覚えた。

ただ、林輝太郎の著作は何冊も読んだが、数多く読むにつれて、徐々に胡散臭いものを感じていったけどね。まあ、繰り返しが多いし、愚かな投資家に対する説教みたいな話ばかりでしょ。
株式のトレードによってではなく、投資相談のようなことをやって利益を得ている人なんだろうなという印象を持ちました。まあ、本当はどんな人なのかは全く存じ上げませんが。
そうそう、輝太郎のコドモがやってるFAI投資法とかいうのになると、胡散臭さ倍増、馬鹿さも倍増だね~。

相場の魔術師たちは皆申し合わせたように損切りの重要性を説いていた。損切りすることによって新たに新鮮な気持ちで再出発することができると。

そうか、損切りするしかないのか。

第一中央汽船、東海カーボン、アシックス。。。
バブルの頃に買ったきり、損切りできないでいた銘柄はどれも10分の1ほどに下がっていた。
再出発のためには、損切りするしかないんだろうな。
僕は、全部切った。手にした資金は200万ほどしかなかった。
これを元手に再度真剣にトレードに挑んでみよう。この資金がゼロになったら、撤退しようと心に誓った。



結局、89年の一番高いところで買った銘柄を、2000年の一番安いところで売ってしまったわけである。

今だったら、あのタイミングで切ろうとは思わないけどね。
「損切り」と「投げ」は、やはり別のものだと考えないといけないと思う。
損切りは早ければ早いほどいい。しかし、塩漬け状態の銘柄を衝動的にまとめて投げるのは馬鹿げている。
株式投資において、塩漬け株はあってはならないものだけれど、しかしこれは必要悪みたいな側面もあり、なかなか一掃はできないものでもある。
また、一掃しなければいけないという心理的なストレスが、その後の判断を狂わすこともあるし、リスクを取ることを躊躇わせることもある。

今年の5月の急落場面。僕は、まあ、最もうまく乗り切ったトレーダーの一人だったと思う。(この時期のトレードは、某掲示板でリアルタイムで玉のさばきをある程度は書いてきたけどね。)
4月に利食いをほとんどすませ、空売りのポジションを増やし、ゴールデンウイーク後の急落の場面で、残った買い玉はどんどん損切りしていき、ほぼ底で、買い直し、小さくリバウンドを取って利食うという狙いのトレードがほぼ思い通りにできた。

それでも、損切りできないで残ってしまった銘柄は出た。
8815東急不動産などは、結構、大きな玉が残ってしまった。
ただ、これは少しは残しておいた方がいいのかなという判断もあった。
ほとんどのトレーダーはあの急落に対応できてはいない。ということは、仮に東急不動産が戻ってきた水準が、他のトレーダー達の含み損が消え始める瞬間だと判断してもいいだろう。他のトレーダー達のリズムを知るためにも、ある程度は残しておいた方が、面白いのではないか。

いや、これほどきちんと考えていたわけではない。
今から切っても手遅れだな、それならば、この含み損の銘柄を利用できる方法はないか、いや、そういう考え方って負け惜しみじゃないかなどなど、いろいろな考えが頭の中で交錯したわけである。
トレードは「買い」と「売り」の2つしかないわけだが、それだけの判断をするために、実はいろんな思惑と判断と、そして判断ミスが頭の中を行き来する。

この時の判断が正しかったのかどうかは、確信は持てないのだが、ただ、いろいろなリズムの銘柄がポートフォリオの中にあるのは良いことなんじゃあないかとは思ってる。

東急不動産の370円台の玉は、ポジションは縮小したが、未だに持っている。その後、この銘柄では、大きく下がったところを買い、370円に近づくところでどてんの空売りを繰り返している。今のところ十分に元は取っていると思う。塩漬けの370円は十分に役に立っていると思う。
(今週の木曜日の長い上ヒゲのところで、空売りかけてみたんだけどね。さあ、どうなりますか。)




話を戻そう。
2000年の2月、最初に挑んだ銘柄は6925ウシオ電機。
しかし単位株が1000株で2000円がらみの銘柄を買うだけの資金的余裕がなかった。やむを得ず、ミニ株で挑むことにした。
まあ、1枚だけ買おうと思えばできたわけですけどね、それよりミニ株で数枚を動かした方が面白いかなと思ったわけです。
そして、吹いたところで一部利食い、下がったところで買い増しを繰り返した。

結果的にこれはとても良かったと思う。
ミニ株でのトレードは、ざら場で動かすことができない。引け後のチャートを見ながら時間的余裕を持って対応することができたため、感情的で衝動的なトレードをしなくてすんだのである。
結局500円幅を、うまく回転させ、数十万の利益を上げることができた。
1ヶ月も1銘柄を追いかけ続けると、その銘柄のリズムというか、呼吸のようなものが感じられてくる。
2600円を越えたところでは、これは空売りのタイミングなんだろうなと確信できた。
予想通り、そこから株価は下がりはじめた。

その時点では、まだ、信用の口座は開いていなかった。


2004年11月19日 11:22





My Trading Life (9)

実は僕はネットワーカーとしてのキャリアは結構長い。

アスキーネットの連日連夜の火を噴くような激しい論争も経験しているし、ニフティーサーブの、今となっては懐かしくもある、あの慇懃無礼な気持ち悪いお友達ごっこの世界も知ってる。
初めて会った人なのに何故か懐かしいというオフの感動も何度も味わったことがあるし、ネットでの消耗戦のようなバトルも経験済みだ。

インターネットの初期の頃は、皆が本名でメーリングリストしてたんだよ、fjだと、ちょっとおちゃらけ書くだけで怒られたんだよ、なあんて言っても、もう誰も信じてくれないだろうな。
Windows95登場以前の、インターネットがユニックスとマックユーザーの独壇場だった頃は、今とは全く違った世界がネットでは繰り広げられていたのだ。
モザイクの登場でウェブへのアクセスが画期的に簡単になった時の感動や、スタンフォード大学のサーバーで2人の学生が作ったyahooの使い勝手の良さに目を開くような驚きを覚えたことなど、もう遠い遠い昔々のお話だね。
それから、まだ10年もたっていないのに、インターネットの世界は激変したね。

2000年の初春、その頃には僕はネットへの関心はほとんどなくしていた。仕事関係でメールやファイルのやりとりをする以外、ネットにアクセスすることはほとんどなくなっていた。

しかし、新たに株式トレードの勉強をし直す上で、ネットというこの新しい情報ツールを使わない手はなかった。

まず、yahooのファイナンスのページから入る。株価の検索やチャートの表示も出来る上、銘柄登録なども出来て便利なものだと思った。感心感心。手書きでチャートを書いていた日々が嘘のようだ。
株価もほぼリアルタイムでチェックできる。素人とプロとの間の情報の差は、ほとんどなくなりつつあるなと強く感じた。

そしてやがて当然のように掲示板の世界にたどり着く。
ところが、これがもう、何が書いてるのか、まったくわけが分からない世界なんですね~。

新日鐵だの日立造船といったお馴染みの漢字名の銘柄は全く出てこない。聞いたことのないカタカナ銘柄ばかりで、それも暗号のようなもので書かれているので、いったい何という銘柄が話題になっているのかさえ見当もつかない。

SBと書かれていても、なんのことなのか分からない。まさかこれじゃないだろうなとは思いつつも、四季報でヱスビー食品を調べたりしたこともあったな。ピカチューが任天堂ではなく光通信だと分かった時は、いろいろ謎が一気に氷解して、嬉しかったものである。

それでも、暗闇に目がだんだん馴染んでいくように、掲示板に書かれている内容も徐々に分かってくる。言葉の表面的な意味だけではない。その背後にある買い煽りや売り煽りの意図、嫉妬や憎悪といった感情など、そうしたものを読み解いていくリテラシーが、数週間もネットにアクセスを続けるうちに、徐々に身についていった。

結局、情報としては、ほとんど参考にならないなと分かった。
ITバブルの最終段階の頃だ。ソフトバンクが大きく上がった日には、ホールダー達の恍惚状態の書き込みと、ノンホルダー達のやっかみに満ちた書き込みとが、埋め尽くされる。リーマン証券がソフトバンクの目標値を40万円と発表した日などは、ソフトバンクが40万円になったら自分の資産はいくらになるという、呆れるほど無邪気な皮算用を、ホルダー達は大真面目に語り合っていた。

岡目八目。そして、この熱狂と狂気の世界は僕には覚えがあった。そう、バブルの時とまったく同じなのだ。

とはいうものの、掲示板は、情報源としてはまったく頼りにはならないが、株価が人間の心理の集積だということを如実に示してくれていた。急騰した日の大引け後の掲示板全体が浮き足立つような高揚感、急落時の鬱々とした殺伐感。マーケットの株価の上下が人間の心理を動かし、そしてそれがさらに株価を動かしていく。
もちろんそうしたことは理屈の上では十分に理解していたつもりだった。しかし、ネットの掲示板の書き込みはそのことをはっきりと強く認識させてくれた。



3月の始め、ネット証券で信用の口座は簡単に解説ができた。電話で簡単な面接があっただけである。

さあ、まず何に手をつけよう。
ITバブルは弾けつつあり、ソフトバンクは20万円を手前にした水準から、一気に急降下していた。それにIT銘柄は、どれも単価が高すぎてまだまだ手が出なかった。
まずは手頃な低位株とハイテク株から一つずつ選んでみよう、それぞれなじみのある銘柄に手がけてみようと思った。
二つの銘柄が浮かんできた。90年代の10年間、自己流のうねり取りでなんとか利益を上げていた5714同和鉱業と、株式投資復活後、いきなり利益を上げることが出来た6925ウシオ電機である。
どちらの銘柄も、きれいなわかりやすい上昇トレンドを作りつつあった。

上昇しつつある平均線を睨みながら、平均線を大きく下がった時に買い、上に大きく乖離した時に利食うという作業を繰り返しながら、じりじり上値を追いつづけた。

いや、そんなに格好良くはなかったな。少し下がると、利益を吹き飛ばしてしまう恐怖で、まずは少しでも利食っておこうと慌てて利食い、上がり始めると今度は自分が取り残されるという恐怖から、押し目を待つこともせずに高値に飛びついてしまう。そうした冷静さを欠いたトレードをしていたので、なかなかうまくはいかなかった。

ばたばたと動かすよりも、じっとホールドしていた方がはるかに利益が大きかったのだと結局は知らされることになるのだが、それでも、3月の1ヶ月ほどで、資産は倍近くに増えた。
信用のテコの威力には驚かされた。
もっとも、この時点では、それが逆に動いた時の恐ろしさなど考えてもいなかったのだが。
そして、正しい方法で相場に取り組みつつあるという、これまでには感じたことのない手応えのようなものを感じつつあった。
4月のはじめ、資産は500万円に近づきつつあった。

しかし、こんなものはビギナーズラックのようなものだとは分かっていた。このまま浮かれていては、また、バブルの時と同じ失敗をしてしまうだろう。
空売りを交えないといけない。空売りの方法を学ばないといけないなと思った。
空売りに関する本は、いくつか読んでみたが、さらなる情報となると、やはりネットから集めるしかないだろう。
リンクを辿り、googleで検索をし、様々なサイトを調べていった。



そして、僕は「お気楽株式投資掲示板:売り専科」という掲示板に巡りあった。


2004年12月03日 22:31
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かおるんさん、はじめまして。hiroです。
「ぽんぽこさんの記事」を、こんなに詳細にお持ちになっているとは、すばらしい!

「ぽんぽこさんの記事」は、永久保存版として、ずっと持っておきたいので、時期が来たらコピーしておこうと思っていた矢先に、ぽんぽこさんが、いなくなられて。。。

そこに、このかおるんさんの記事は、本当にありがたかったです。

忙しくないときでかまいませんので、引き続き、「ぽんぽこさんの記事」をアップ
していただけますと、非常に助かります。

きっと、「ぽんぽこさんファン」も、すごくよろこぶと思います。

よろしくお願いいたします。

素晴らしい!

はじめまして、夢見る中年トレーダーです。
以前ぽんぽこさんのブログを読んでいたのですが、私も保存しておらず今になって悔しい思いをしています。
是非追加のアップをお願いします。

「ぽんぽこのクールトレーディング」 懐かしいです。ほんとにいいブログでしたね。奇術師さんが消えた時のように、「これからは売りだよ」というメッセージなのかな?なんて思っていましたが、最近の状況をみるとほんとにそうだったように思えます。あの頃から「ウリポジ」だったら笑いが止まらないですね。そしてこのパニックの最中に、ぽんぽこさんはリスクを取って「買いポジ」にまわっているような気がしてなりません。「この暴落はチャンスだよ」って声が聞こえてくるようです。

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かおるんの自己紹介

29歳の専業主婦です。 趣味は旅行とグルメと株式トレード。 運用資金は50万円でスタートして2年。今は500万円ほどです。 伝説のトレーダーぽんぽこさんの熱烈なファンでした。一度だけブログのコメントにお返事がいただけたときは、嬉しくて...。 ネットの上でのお付き合いですが、私が人生でもっとも影響を受けた人の一人です。偽悪的で乱暴な口調の背後に、繊細で知的な人柄が隠れてましたね。かっこ良かったです。トレードについての知識だけではなくて、歴史とか政治についての考え方、読書や映画についてなど、いろいろ影響を受けました。 もう一度、あのぽんぽこ節をネットで読みたいです♪

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