2017-10

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2006年読書ノート

[かおるんの独り言]
2006年のぽんぽこさんの読書ノートです。ここで紹介されている本はほとんど読みましたね♪
一番面白かったのは、『金沢城のヒキガエル』です。全然私の関心外のセクションの本です。ぽんぽこさんが紹介されていなかったら、絶対に読まなかったでしょうね。




天晴れ!筑紫哲也NEWS23:中宮崇

わはははははははっ。一読、大笑いである。そのうちこんな本が出るだろうなとは思っていたが、ついに、という感じだね。

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完膚なまでに笑おう!
自称「日本で最も信頼のおける国際派ジャーナリスト」による
あっぱれな「反日」報道を
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という帯を見ただけで、どんな本かは想像がつくだろう。著者は自称「プロ2ちゃんねらー」。『天晴れ!筑紫哲也NEWS23』と題されたこの本は4年間にわたってNEWS23を詳細に分析し検証した記録である。

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前の夜に録画しておいたNEWS23を、ニュース項目などを中心に文字起こしし、重要な映像はキャプチャしてパソコンに保存した上、多極の同種のニュース番組と比較しながら検証する。これは私にとって至福のひとときでさえある。
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基本的に、俺は「変な人」って好きだし、とりわけ「無意味に思えることに偏執的に情熱を傾ける人」は大好きである。俺はNEWS23なんてくっされ番組は見ても不愉快になるだけなので、よっぽど見たいネタがない限りは見ないが、あのトンデモ番組をわざわざ録画して、2ちゃんねるで情報交換しながら、ひとつひとつツッコミを入れていく著者の情熱には、ただただ脱帽である。

つい最近までテレビの電波は、完全に垂れ流し、流しっぱなしだった。この報道はおかしいな、偏っているんじゃないかなと感じても、視聴者の側がそれを公に発表したり、お互いに検証しあったりすることは出来なかった。しかし、今ではネットでたちまち文字起こしされ、その偏向ぶりが何人もの力で多角的に検証されてしまう。これだけ視聴者のメディアリテラシーの能力が高まっているのに、メディアの側はとうの昔にネタばれしてしまっている手品を、飽きもせずに繰り返しているわけだ。馬鹿な奴らだね。

さて、NEWS23の中国や北朝鮮への異常なまでの肩入れぶりは、もうおなじみであり、この本の中で、今さらそうした事実を指摘されたからといって、「そんなこと知ってるよ」という話がほとんどで、それほどサプライズはないのだが、しかし、ここまで執拗に詳細に偏向ぶりが暴かれていくさまは、やはり圧倒される。

この本に書かれている事柄について、筑紫哲也やTBSはひとつとして否定も反論もできないだろうね。いや、反論はしないのだ。自分たちにとって都合の悪いニュースはスルーするのが彼らのやり口なのだから。

この本で、一番、感心したのは、ばりばりのプロ市民や活動家を、NEWS23が「普通の人」として紹介してしまうその手口を、鮮やかに暴いてみせたその見事な手さばきである。

去年の12月に、岩国基地の米軍空母艦載機訓練移転に反対する会を立ち上げた主婦河本かおるは、割烹着を着た姿でNEWS23に登場した。「主婦の河本かおるさん、これまで基地がそばにある生活に疑問を持ったことはありませんでした」とナレーションが添えられて。

しかし、いくらNEWS23が、割烹着着せて、普通の主婦のコスプレをやらせてみたところで、googleで「河本かおる」で検索を掛けてみれば、こやつが何者かは、たちどころに分かってしまう。ばりばりの活動家であり、いわゆるプロ市民である。突然、去年の12月に基地問題に目覚めたわけではない。

同じくプロ市民の伊藤美好を使った「普通の主婦」ごっこも大笑いである。イラク戦争を機に「はじめて」反戦運動に参加した若者達の特集で、伊藤美好は、「イラクへの武力攻撃に反対するため、初めて大使館へ行ってみたが、なかなか声は出せない」ウブなひとりの主婦として登場する。しかし、この人、実は何年も前から、活動家やってるプロ市民なんだね。このばりばりのプロ市民を「普通の主婦」に見せるための、「学芸会的演出」は、あまりにいじましくて思わず声を出して笑ってしまった。

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伊藤の自宅でのインタビューの最中には、お豆腐屋さんの売り声が聞こえてくる。そこにすかさず伊藤が「あ、お豆腐屋さんが来た。行ってもいいですか?」
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しかし、本当にこうやってシニカルに笑っているだけでいいのかね。

だいたい、こうした偏向番組が筑紫哲也の一存で成立するわけはない。TBSという会社の方針でしょ。放送局がひとつ、完全に中国や北朝鮮の宣伝媒体と化しているというのは、やはり笑い事ではすまされないのではないか。

あとがきの冒頭が白眉である。

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News23は劇薬である。噛めば噛むほど味があり、生活に潤いをもたらしてくれるが、しかし、劇薬であることに変わりはない。なにも事前知識を持たずにNews23を服用した場合、極めて大きな副作用を生じる可能性が高い。不用意に子供に見せ続ければ日米の悪逆ぶりと未来の暗さに落胆し、北朝鮮に亡命しようと図るような人間に成長してしまうかもしれない。
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2006年03月06日22:42





株本について

「株関係でお勧めの本は」というご質問を時々コメント欄で受けることがある。前にもコメント欄で紹介したことがありますが、あえて一冊となると、『デイトレード:マーケットで勝ち続けるための発想術』がオススメですね。

もっとも僕自身は、ある程度投資スタンスが固まってからこの本と出会ったので、直接この本からトレーディングを学んだというわけでありません。どっちかというと、ああやっぱりね、こういう考え方で良かったんだと確認させてもらったという感じかな。

ただ、この本、タイトルが非常に良くないですね。デイトレーダーより、もう少し長めのスタンスでトレードしている人にとって学ぶことが多い本だと思う。株関係の名著ってどういうわけかタイトルがトホホなものが多くって困る。「Trading for living」を『投資苑』と訳した人の言語感覚ってまったく理解出来ないな~。

そうそう、僕はこの本は原書と翻訳と2冊持っているんですが、原書の後半部分のテクニカルな売買スキルの説明の部分が翻訳では訳されていません。まあ、日本市場とアメリカ市場とでは、株価の動き方がかなり違うので、削り落とした訳者の意図も分からんでもないけど、そのおかげで、株式トレードにおけるメンタルな部分が極端なまでに強調された本になってしまってます。このことが良いことなのかどうかは微妙ですね。株式トレードにおいて、メンタル面のコントロールが何よりも大事であることに異論はありませんが、かといって投資スキルはどうでもいいとは思えない。メンタル面の重要性と基本的な投資スキルの両方を読んで、この本の真意がはじめて理解出来ると僕は思ってます。

この本以外となると、『マーケットの魔術師』の正編・続編・株式編の3冊、さきほど書名を上げた『投資苑』、そして、伝説的な投資家リヴァモアの伝記である『欲望と幻想の市場』なんてところがお勧めですね。こうした本を僕は英語でストラッグルしながら読んだんですけど、今は全て翻訳で読めてしまいます。確かに楽でいいんだけど、トレードの冷徹さを記述したこうした本の真意が、日本語の湿っぽい文体でうまく伝わるのかどうかはかなり疑問です。

その他「売り専」の掲示板でのマーケットの奇術師さんの過去ログや、BNF氏の2ちゃんねる時代の書き込みなんてのも、当然のことながら何度も熟読したいところでしょう。

ファンダメンタルズ重視で行くかテクニカルで攻めていくかで読むべき本も当然のことながら変わってくると思いますけど、誰もが学ぶべき書籍や資料っていうとこんなもんですか。こうした資料を読んだら、後は実践で学ぶしかないでしょう。

それから、株式トレードって、上手な人から学ぶだけではなくて、「底辺の投資家」の投資行動を冷酷に観察することも大切だと思う。そういう意味では、北浜流一郎や山本有花といったバカの権化が書いたウンコ本も本屋で立ち読みくらいはしておくべきだし、株式関係の掲示板などもちらっと眺めて、その時点での投資家の心理状態を知っておくことも大切だ。

さらに言うと、底辺よりはちょっと上の「平均的投資家」がなにを基準に投資しているのかを知ることも意味がある。いわゆるチャート本のたぐいも何冊かは買って熟読してみるべきだと思う。あれを学ぶべき教材だと思ってはいけないわけです。罫線読んで講釈ぶってる投資家で成功してる人って見たことないですから。チャート本は、標準的な投資家はこういうチャートを見るとこういう風に判断するのかというインデックスでしかない。日足のヒゲなんて上に出ていようが下に出ていようが、大した問題じゃない。もっと大局的なうねりを掴むことの方がはるかに大切。あるいはもっと小さなさざ波を把握することも意味があるかもしれない。いずれにせよ、チャート本は「平均的投資家」の投資行動の背景にあるものを教えてくれるにすぎない。ここんところを勘違いしてる人は多いね。

後は、株以外の本を読んで、感性と知性を磨く方が大切だろうな。最近読んだ本では『プラグマティズムの思想』という本の中のC・S・パースの「探求」論には、ちょっと衝撃を受けました。パースは「疑念から信念に到達しようとする努力」を探求と呼ぶのですが、探求の根拠となるものを徹底的に分析していく彼の論証力は背筋が寒くなるくらい凄い。ある銘柄の売買を決めた時、どのような根拠に基づいてそうした判断がなされたのか、実はじっくり考えてみると、その判断の根拠となるものの希薄さ薄弱さに冷や汗が出る思いがする。「いや、俺は確固たる判断に基づいて売買している」などと言い張るお馬鹿さんもいるかもしれないが、その確固たる判断とやらが、チャートや四季報や過去の経験則だったりするのなら笑うぞ。「私たちの観念を明晰にする方法」というパースの論文も読んだけど、19世紀の半ばにここまで記号論的思考を突き進めた奴がいたなんて。とんでもない天才がいるものです。

2006年04月30日00:26





『日本人と中国人』(山本七平)

1年ほど前に買ったきり、気になりつつもそのまま積ん読になってた本だが、何となく手に取り、読み始めたら、面白くて止まらなくなり、そのまま一気に読み終えてしまった。まだ、ちょっと興奮状態なんだけど、読後感を書いておこう。

山本七平がイザヤ・ベンダサンの名義で1972年から1974年にかけて月刊『文藝春秋』に断続的に連載し、その後「幻の名著」となっていた『日本人と中国人:なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』である。

一読、ため息しか出てこない。30年前に書かれた本だとは思えないほど、未だに触ると血を吹くようなアクチュアルな問題群が鮮やかに提出されている。山本七平の論敵でもあった本多勝一の当時の著作なんて、ほんと、読むに耐えないことを思うと、時の流れって残酷だと思う。名著は残るのだ。Time will prove everything.だよ。

この本は、「国民感情を法的な条約より優先」して、台湾との日華平和条約を一方的に破棄し、日中国交回復をメディアが嬉々として囃し立てた「狂った時代」に向けられた静かな告発の書である。そして、実は「狂った時代」は今も続いている。

中国の見たくない側面は「華麗にスルー」しても良心の痛みをみじんも感じないらしい筑紫哲也や、靖国問題で日本が妥協をすれば日中間の問題の70%は解決出来ると本気で信じているらしい加藤紘一や、そして、どんどん中国蔑視に傾いていく2ちゃんねる周辺のネットワーカーも、「等身大のリアル中国」を直視しようとはせずに、勝手に妄想の中の中国を賛美したり侮蔑したりしているという点では同じことであり、完全に山本七平の批判の射程内にいる。つまり、日本人の中国認識は、その後の30年間、まったく深まっていないのだ。

そして、つくづく思ったのは、今生きている日本人のほとんどは太平洋戦争に至るまでの数十年間の歴史について、本当にな~んにも教わっていないということ、そして、あまりにも無知だということだ。もちろん、僕自身を含めての話である。

僕は、この本の中ではじめて、いわゆる「南京事件」の神話の成立の背景についての説得力あるマトモな議論に出会った。なるほどそういうことだったのか。いや、もしかしたらこれは「現代史の常識」で僕が無知なだけだったのかもしれないが。

1937年12月、中国政府は、日本が突きつけた満州国承認などの要求を受諾する。事実上の無条件降伏である。戦争は終わった。世界はそう考える。しかし、にもかかわらず、日本は軍事行動を止めず、南京総攻撃を始める。つまり、南京攻略は意味も目的もない全く理由が分からない狂った軍事行動だったというんですね。南京陥落を嬉々として報じた朝日新聞などのメディアの狂態ぶりは、この作戦が何かの目的を持った戦争だったのではなく、「国民感情」を優先したある種のパフォーマンスであったことを物語っている。

しかし、戦争や外交は、あくまで「他者」が存在した上で行われるものであって、国民感情で、戦争やって、提灯行列で祝う国民なんて、まったくもって大馬鹿である。

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戦争は通常、だれでもある程度は理解できる理由がある。(中略)だが理由が全くわからないと『彼らは、戦争が好きだから戦争をやっているのだ』としか考え得なくなるのである。
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「日本人は好戦的な民族である」との対外的イメージは、日本軍のこうした「南京での狂気」に由来するものだと思うが、蒋介石はそうしたイメージをうまくプロパガンダとして利用して「南京大虐殺」の神話を作ったのだと思う。蒋介石の外交の巧みさは舌を巻くばかりだが、失態はもともとは日本にあったのだ。

本多勝一や朝日新聞、そして中国共産党が積み上げたおびただしい数の南京事件の証拠の写真や文書は、一つ一つ検証していけば、おそらくほとんど全てが反証できてしまうだろうし、ということは、つまり、「南京大虐殺なんてありませんでした」ということになるのかもしれないが、しかし、虐殺の全てが否定出来るとしても、それでもやはり「南京での狂気」はあったわけだ。ああ、そうか。そういうことだったのか。

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否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として、明確に意識していないのである。これが軍国主義といえるだろうか。いえない。それは軍国主義以下だともいいうる何か別のものである。恐ろしいものは、実はこの「何か」なのである。
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そうなのだ。この恐ろしい「何か」が問題なのである。対象をリアルに直視しようとせず、感情に流されて対象を崇拝したり侮蔑したりさせてしまう「何か」が問題なのだ。

日本人にとって理念化された崇拝の対象だったものとして、山本七平は「中国」と、もうひとつ「天皇」を挙げる。「中国に土下座するのと、天皇に土下座するのとは、実は同じことなのである」という刺激的な一節があったりして、まあ、こういうことを書く人って、左翼からだけではなく、右翼からも愛されないないよな~と思いつつ、しかし、だからこそ、山本七平の書いた本は今でも読むに値するテキストなのだと思う。

江戸時代、儒学者達の狂ったような中国礼賛による「中国天孫論」が、あっという間に「中国犬猿論」になってしまうまでのプロセスを手際よく分析していく手さばきは本当に鮮やかで、山本七平は21世紀の日本を予知していたのかと言いたくなるほどだ。

中国を絶対的な権威と見なし、正義と見なし、それを尺度に日本の全歴史を計り、その尺度で日本の過去を自虐的に再構成しなおす。ところが、そうした尺度で、今度は本家を見ると、中国の方が実はその基準から外れていることが分かる。そうなると、日本こそが「天孫」であり、中国が「犬猿」だということになる。「中国天孫論」に反対して「中国犬猿論」が登場するのではなく、あまりに理念的図式的な「中国天孫論」の中から、同じくらい理念的図式的な「中国犬猿論」が生み出されてしまうのだ。

おそらく全く同じプロセスが今繰り返されているのだと思う。理念化し図式化した左翼史観を学校の教科書で教わり、メディアから浴びせられてきた世代ほど、ちょっとしたきっかけで「反中」に転じるはずだ。日本の現在の「右傾化」「中国・朝鮮半島嫌い」の生みの親は、朝日新聞であり、筑紫哲也や本多勝一であり、日本の学校の歴史教科書だと思うよ。

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今はまた「中国=天孫・日本人土下座時代」であろう。これは当然いずれは逆転する。従って私は、日本人の中国観は南京攻略戦当時と少しも変わっていないと考えている。この問題は今のうちに処理しなければならない。そうしないとまた恐ろしい結果を招く。そして処理の方法はすでに(新井)白石が示しているはずである。
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そうしないとまた恐ろしい結果を招く。この予言は不気味だ。
新井白石が示している処理の方法とは、一言で言えば、外交とはお互いの相互理解などではなく、とことん文書を応酬することであり、こちらとあちらとの違いを明確化することであり、感情を廃し徹底的に法の論理を貫くことだと思うが、しかしそういうのって日本人ってホントにダメなんだよね。靖国問題をめぐる中国の国民感情なんてのを、ジョークでも皮肉でもなく、大まじめに社説で論じているお笑い新聞だってあるくらいなんだから。

朝日新聞も2ちゃんねるも同じくらいに感情的であり、同じように理念的図式的であり、同じくらい馬鹿だと僕は思う。

そうそう。この本の中では、新井白石の『藩翰譜』など、古い文書から長文の引用が次々と繰り出されるのだが、漢文調の古文ばかりで、実は読むのはかなりしんどい。注の形で大意がまとめてあるので、原文を読むのが面倒くさい時はそっちを読んで大雑把に内容だけつかんだが、文春の連載時は注釈はなかったらしい。1972年当時の文春の読者というと、おそらくかろうじて戦前の教育を受けていた世代だね。彼らは教養があったんだね~。羨ましい話である。実は、僕のひそかな夢は、永井荷風のような文語体で日記を書くことなのだ。

もともと僕は読むのも書くのも早いんだけど、ここまで書くのにざっと一時間。いい本を読んだ時は、脳が活性化されるんだろうな。さあ、この後、この勢いで、来週の戦略を練ろうと思う。

2006年05月28日01:26





『金沢城のヒキガエル:競争なき社会に生きる』(奥野良之助)

動物の絶滅というと、それは心ない人間たちの環境破壊のせいだと決めつけられがちだし、自然界とは弱肉強食の厳しい競争原理に支配されている世界だと多くの人は思っている。しかししかし、そうした見方は人間の勝手な思いこみにすぎない。動物はほんのちょっとした自然環境の変化や、たまたまの異常気象などで、あっけなく絶滅したりするし、強者だけが生き残る冷酷非情な世界でもないというのだ。この週末に読んだ『金沢城のヒキガエル:競争なき社会に生きる』という本はとても面白かった。

この本は、金沢城址の池にかつて生息していた1,500匹を越えるヒキガエルを観察した「愛と驚愕の記録」である。1,500匹ものカエルをどうやって個体識別したのかの工夫はなかなか仰天もので、僕なんか、ヒキガエルを手で触ると考えただけでゲッとなってしまうので、よくやるわ、でもちょっと残酷じゃないの、人道的、いやカエル道的に許されないよな~とか思ってしまうのだが、ともかく、あまりにも面白すぎるヒキガエル社会にはもうびっくりで、一気に引き込まれ、そしてあっという間に読み終えてしまった。

1,500匹のヒキガエルの観察に注いだ情熱を、株式トレードにぶつけて1,500銘柄を連日監視していたら、この人、BNF氏クラスのトレーダーになれたかもしれないし、夜な夜な歓楽街に出かけて1,500人の婦女子の観測を続けていたら、彼のちんちんにとってはより幸福だったことは間違いないが、著者は9年間にわたり、毎夜、金沢城内の池辺に出かけ、地面にうずくまっているヒキガエルを引っぺがし、一匹一匹を観察し続ける人生を選んだ。僕は基本的に変な人って大好きである。

おそらく大学アカデミズムでは不遇だったんだろうな。この人、助教授のまま金沢大学を退職してますが、立身出世の世界からはきっぱりと降りてしまっているらしい著者と、ヒキガエルたちとの「心と心の交流(?)」が本当に面白い。文章もすっごく魅力的だし、ちょっと世を拗ねたような著者のパーソナリティーもなかなかかっこいいぞ。

左足がない三本足のカエルが、7歳というカエルにとっての老年期に、初めて彼女を得ることに成功したという序章に書かれたエピソードは何よりも感動的である。最後まで読み通した後で、もう一度、序章を読むと、ちょっとほろりと来る。

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彼は、前足を彼女の両脇に差し入れ、しっかりと抱きついている。彼女は彼よりもはるかに大きく、そしてよく太っていて、調べてみると標識はついていなかった。まだ私に捕まったことのないメスで、そのつややかな皮膚は彼女がまだ若いことを示している。おそらくこの春、初めて繁殖にやってきた四歳のメスだろう。彼のほうはこの時すでに七歳、最高でも10年あまりしか生きないヒキガエルとしては中年か老年の初めころ、ちょうど当時の私くらいな年齢であった。
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「彼のほうは(中略)ちょうど当時の私くらいな年齢であった」という一節は、何度読み返しても可笑しくて笑いがこみ上げてくる。中年の身体障害ガエルが、若いぴちぴちの婦女子ガエルをゲットしているのを発見して筆者は静かに感動しているのだ。愛だな~。

「おおらかで優雅なヒキガエルの世界」という一節が序章の中にあるが完全に納得した。ヒキガエルって、とってもエレガントで優雅なスローライフの実践者なんだね。

2006年06月05日21:11





『プリンシプルのない日本』(白州次郎)

一読、ため息ひとつ。かっこいいね。容姿端麗、頭脳明晰。こんなかっこいい男がかつて日本にはいたんだね。「育ちのいい生粋の野蛮人」という今日出海の人物評は見事だ。

白州次郎。日本の戦後史のキーパーソンの一人である。ほとんどの日本人が卑屈になりアメリカに媚びへつらった時代、たった一人でGHQに抵抗し、苦しい戦後処理をやり遂げた男であり、日本人の誇りを失わなかった男である。GHQはアメリカ本国に「従順ならざる唯一の日本人」と報告したという。

この興味深い人物は、生前に一冊の著作も残しているわけではない。数多くの逸話や伝説が残され、そのひとつひとつがあまりにも格好良すぎるのだが、今回、彼の書いた文章をはじめてまとめて読むことが出来た。白州次郎直言集というサブタイトルの付いた『プリンシプルのない日本』という本は、彼が生前に雑誌などで発表した記事をまとめたものである。青柳恵介が書いた伝記『風の男 白洲次郎』も面白かったけど、やはり本人が書いた文章を直接読む方がずっとその人となりに近づけた気分になれるものだ。


実は、僕はトレーダーになってから、まったく読書傾向が変わってしまった。観念論者や空疎な理想主義者の書くものは一切受け付けなくなった。リアリストにしか興味はない。いかに深遠な思想を語ろうと、深い道徳を説こうと、現実をリアルに直視する意志のない著作は消えてなくなればいいと思う。

高校生の頃に、大江健三郎の『沖縄ノート』を読んで非常に感銘を受けた記憶がある。先日、久しぶりにその本をぱらぱらと拾い読みしてみて、あまりにくだらないので呆れかえってしまった。ああした脳内妄想が延々と続く記述を文学者の誠実さだと大まじめで受けとめていた時期もあったんだな~。

トレーダーは株価の現実と、自分のポートフォリオの現実を、リアルに見つめる必要がある。それが出来ないトレーダーは破滅してしまう。つまり、「日本経済のファンダメンタリストはしっかりしているのだから、株価はやがて反騰するはずである。含み損があっても耐えしのげばよい」と希望的推測で相場を見るのではなく、「チャートがぶっ壊れ、血の臭いも漂っているのだから、悔しいが株価はさらに暴落する」と判断して苦しくても損切りを決行しなければいけないということだ。自分の判断ミスを認めたくないというプライドは身を滅ぼす。

本を百冊読むより、株式トレードを1年続けることの方が、多くの考察、多くの内省を行うことになる。本気でそう思ってるよ。


白州次郎はリアリストである。彼の書く文章には華麗なレトリックも気取りもない。対象を的確に掴み、必要最小限のプリミティブな言葉で語り尽くす。彼は、英語は流暢に話したものの、日本語となるとちょっと吃りでややたどたどしかったそうだが、確かに、彼の書き言葉にもそうした「たどたどしさ」が感じられる。特に読者の笑いを誘おうとした逸話の紹介は、ことどとく滑っていて、もっと上手く語れないのかねとツッコミを入れたくなるほどだけど、おそらく彼の思考が、日本語の湿っぽいリズムとは上手くかみ合わないんだろうな。第一印象では「文章あまり上手くないな」と思ったが、読み進めるうちに彼の論理の明晰さと正義感とを強く感じるようになった。これは名文である。

彼は公平である。アメリカのGHQに対して、日本に対して、自分自身に対して、偏見を持たずに、彼は語り尽くしている。

「占領政治とは何か」という20ページも満たない非常に興味深い記事がある。

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占領されている間のことなど、精神修養でも志している人間ならいざ知らず、思い出そうとしただけでも憂鬱になる。よくまああの数年間我慢したものだと感心して驚くと同時に、どうにも仕方がなかったとはいえ、からっきしいくじもなかったことだと自分ながら少々あきれもする。(p.162)
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GHQ占領下において、自分が「からっきしいくじもなかったこと」を彼はためらうことなく語ることができる。自分に対して公平であるからこそ、彼は占領政治を行ったアメリカに対しても公平に書くことができる。

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大体GHQにやってきた大部分の人々は、自分の国で行政の行位やった経験のある人はいたかも知れぬが会ったことはなかった。無経験で若気の至りとでも言う様な、幼稚な理想論を丸飲みにして実行に移していった。憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能な様なものをどしどし成立させ益々得意を増していった。一寸夢遊病者の様なもので正気かどうかも見当もつかなかったし、善意か悪意かの判断なんてもっての外で、ただはじめて化学の実験をした子供が、試験管に色々の薬品を入れて面白がっていたと思えばまあ大した間違いはなかろう。(p.170-171)
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「一寸夢遊病者の様なもので正気かどうかも見当もつかなかった」なんて評はあまりに辛辣だが、彼の文章にはおそらくまったく誇張も修辞もないのだと思う。

「子供の化学の実験」の産物として日本国憲法がある。日本国憲法については、僕は改正するべきだと思っているけど、まあ、改正するべきではないと思う人がいてもいいが、少なくとも、「平和憲法」なんていうヘンチクリンな名前で呼ぶのだけはやめて欲しいと思う。

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この憲法を平和憲法だなんていってありがたがっている御連中は、おそらくこの憲法の出生由来を知らないのではないだろうか。占領中にこういう政治問題を取り扱うGHQのある部局の幹部の一人は、この憲法草案が如何にして出来たかということを自慢たっぷりに話すほど不謹慎であった(p.163)
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もしかしたら、知らない人もいるかもしれないので書いておきますが、日本国憲法ってGHQが書いた憲法草案の翻訳です。日本国憲法には英語の原文が存在します。だいたいあの憲法前文の翻訳調の文体って異様ですよね。あれを悪文、いや馬鹿文だと思わない人は日本語の言語感覚が歪んでますね。まあ、こんなの現代史の常識ですが、学校では教えてもらえないと思うので、念のため。

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連合国の意図は、日本が侵略戦争を再びくりかえす可能性を徹底的に根絶して、永遠の平和国家即ち完全無力国家の建設ということにあったことは間違いはない。(p.162)
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日本を無力国家へするための装置として仕組まれた日本国憲法は、戦争に疲れ果て、「ほんとの平和の楽園をこの地球上に築き得ると単純に考えた(p.163)」当時の日本人のあまりにも脳天気な国民感情とうまくマッチしてしまう。

ところが、米ソの対立、中国の共産化により、アメリカの対アジア外交がドラスティックに変化する。日本の保守勢力は、日本国憲法を前提に平和のための担保としてアメリカとの同盟関係を選び、日本の革新勢力はこの憲法を「平和憲法」よぶことでその歴史性を隠蔽しつつ丸裸の平和論を唱える。つまり「平和憲法」という呼び方は、この憲法が歴史的な産物であることを隠蔽するためのレトリックだね。(こんなことも現代史の常識ですが、やはり学校じゃあ教えてくれないことだと思うので、一応書いときます。)


閑話休題。白州次郎は公平である。教養のかけらもないGHQの高官どもをケンブリッジ大学で学んだ彼は心の底から軽蔑はしていただろうが、「占領軍であった米国が兎に角飢え死にしないだけの食料をくれたこと(p.177)」「我が国の占領が米国の占領であったことは、最悪中の最善であったとははっきり言える。(p.178)」と評価すべき点はきちんと評価している。

日本が敗戦の苦しみは「これもみな戦争中にフィリピン、仏印、其の他の国でやった悪行の数々(p.162-163)」の因果応酬であるということを白州次郎は何度も語っている。

ちょっと不思議な感じがしたのは、日本が戦争中に非道なことをしたアジアの国々として彼が列挙するのは、フィリピン、インドシナなど、東南アジアの国々ばかりなんですね。朝鮮半島や中国大陸の話は一切出てこない。この本を読む限り、彼にとって「戦争」というのは太平洋戦争のことであって、それ以前の日本の大陸進出や日中戦争についてはほとんど語られていない。これはどういうことなんだろう。この本を一読した限りでは、よく分からなかった。

2006年06月26日00:43





『世田谷一家殺人事件-侵入者たちの告白』(斉藤寅)

昨夜、午前2時頃までこの本を読んでいて、今朝(27日)、テレビを見ると、女子大生誘拐監禁事件である。あまりの偶然の一致に気味が悪いくらいだが、いや、偶然の一致でも何でもなく、これからはこうした事件の報道が毎日のように続くのだと思う。やがて、感覚が麻痺してしまうまで。

女子大生誘拐監禁事件については、犯人たちの犯行の稚拙さを笑う報道が多いようだが、果たしてそうか。稚拙なのは旧態依然とした報道しかできないマスコミの方かも知れないぜ。犯人たちは犯行を隠そうなんて意図はほとんどないのだと思う。世田谷の一家四人惨殺事件の犯人と同じようにね。

中国、韓国、日本の国籍が違い「名前も知らない」3人の容疑者がどうやって知り合い、どうやって連絡を取っているのか謎だとかテレビでは報道してたけど、別に謎でも何でもないだろ。ネット使ってんだよ。他に考えられますか。


世田谷での一家4人の惨殺事件。すでに6年近く前の事件だが、その記憶は未だリアルだ。『世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白』と題されたこの本は、その事件の犯人たちを一人のジャーナリストが突き止めていく驚愕のノンフィクションである。

異常に多い遺留品。あちこちに平然と残された血糊の付いた指紋。軍隊で使う止血用のゴム。韓国国内でしか売られていないスニーカー。一家4人を殺害した後でアイスクリームを食べたり、パソコンを立ち上げてネットサーフィンしたという異常さ。

犯人はどんな人物だろう。少なくとも、誰もが直感するだろう。犯人は日本人ではないと。

もっとも人権意識が高く外国人に対する偏見を持たない(らしい)マスコミや日本の警察の皆さんはそうは考えないようだ。「犯人像について、事件発生当初は、怨恨の線が最も重要視された」という一節には思わずのけぞった。まじっすか。どういう怨恨っすか。

著者は失踪した炭坑研修生のベトナム人との接触から、アジア系留学生からなる大きなクリミナルグループの存在を知り、そのメンバーと接触をする。そして、やがて世田谷の事件の犯人をほぼ特定する。

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このアジア系留学生を中心とするクリミナル・グループは、全国津々浦々どこに行ってもアジトを設け、そこを基盤として仲間と集い、そこで計画を練りあげ、大胆不敵な犯罪を繰り返すのだ。
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動機の一つが日本に対する羨望と憎悪である以上、彼らの目的は金だけではなく、日本人を傷つけることそのものでもある。大胆かつ残虐な犯罪を行うことは彼らのステータスになりうる。彼らはアジトで自分たちの行った犯罪を誇らしげに、微に入り細を穿ち、何度も何度も語る。太古、狩猟民族が、獲物を狩った後、ねぐらに戻ってから、いかに自分たちが勇敢に戦ったかを自慢げに仲間たちに語ったのと同じように。

そして、「マスメディアの旧態依然とした迷走ぶりや現在の警察の言わずもがなのていたらく(p.32)」がある。
大阪で数万円の金を奪うために風俗嬢を殺し、それから1ヶ月もたたぬうちに、今度は親代わりの身元引受人の老夫婦を殺そうとする。これで犯人が「日本人」だったら、心の荒廃、モラルの崩壊、残虐な民族日本人、壊れていく日本、犯罪国家日本、格差社会の無惨な現実、などなど、様々なレッテルを貼って連日連日報道しまくるだろうに、犯人が中国人留学生だったりすると、砂の中に首をつっこんで現実を見ないことにするダチョウのように、華麗にスルー出来てしまう。こうしたメディアの馬鹿さ加減はホントに問題だと思う。民間防衛とか本気で考えないといけないのかも知れない。危機はすぐ目の前にある。

この本、もしかしたら全国民必読の書かも知れないぜ。

ただ、この人の文章は嫌い。安っぽい週刊誌のルポ記事みたいに、妙に扇情的な思わせぶりな書き方してるけど、あまりにも重いこのテーマとはちょっとそぐわない。お前その場にいて見ていたんかいとツッコミ入れたくなるようなチープな出来損ないの探偵小説のような文章は、何とかして欲しい。まあ、小説みたいに読めて面白いという人もいるとは思いますが。

2006年06月28日02:40
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読んでみたかった、ただそれだけ。拉致されたひとみさんたちの北での生活史を知りたかった。当人達が書くにはまだまだ時間が必要だろうし、書きたくもないかもしれない・・・。とりあえず自由な世界へ『おかえりなさい』とねぎらいたい。楽天ブックス購入検討書籍只今私のブ

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かおるんの自己紹介

29歳の専業主婦です。 趣味は旅行とグルメと株式トレード。 運用資金は50万円でスタートして2年。今は500万円ほどです。 伝説のトレーダーぽんぽこさんの熱烈なファンでした。一度だけブログのコメントにお返事がいただけたときは、嬉しくて...。 ネットの上でのお付き合いですが、私が人生でもっとも影響を受けた人の一人です。偽悪的で乱暴な口調の背後に、繊細で知的な人柄が隠れてましたね。かっこ良かったです。トレードについての知識だけではなくて、歴史とか政治についての考え方、読書や映画についてなど、いろいろ影響を受けました。 もう一度、あのぽんぽこ節をネットで読みたいです♪

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